Asmara Letters


Subject: アスマラ便り1
Date: Tue, 12 May 1998 23:00:54 +0300
From: 佐藤 寛
To:  宇田川学

「開発援助と人類学」勉強会事務局の皆様


 大変、大変ご無沙汰いたしております。皆様のご活躍については風のうわさに聞き及んでおります。筆無精(一部には男に対してのみ筆無精という誤った情報もありますが)の私の、これまでの無沙汰を心よりお詫び申し上げます。
 前回(第45回)の「開発援助と人類学」勉強会(では過去最高の参加者だったとか。私はまさかこんな盛況の内に開人が続いていいくなどとは思ってもみませんでした。それもこれも皆さんのひとかたならぬご尽力のおかげと感謝しています。一年後に帰るのが恐い、というのが正直な感想でしょうか。


 実は私、まだサナアにおります。日本で皆さんがゴールデンウィークをお楽しみの頃、私はエリトリアの首都、アスマラを四年ぶりにうろついておりました。アスマラは高度2200m、イタリアの植民地時代に計画的に作られた緑とスペースの豊かな、そしてこじんまりかつしっとりとした町です。素敵ですよ。この町に私は6月から住もうと思っています。今はサナアに舞い戻ってイエメンでの調査の最後のとりまとめにいそしんでいるところです。私への連絡は5月一杯はこのメイルアドレスで可能です。アスマラにもメイルのプロバイダーがあるらしいのですが、どの程度信頼性のあるものかはやってみないとわかりません。新たなメイルアドレスを獲得しましたらお知らせします。


 さて、なぜエリトリアなのか。よく聞かれる問いです。あ、ところで「エリトリアってどこ?」なんて問いは発さないですよね、皆さんは。東欧とロシアの間にあるエストニアとリトアニアが合併して新たに出来た国、ではないですよ。1991年にエチオピアから独立したアフリカで一番新しい国です。
 私がひかれるのは、この国(大統領の政治的な方向性が大きいのですが、それ以外にも「国民性」がその背景にあるように思うのです)が、「自力、自立」という今ではもう途上国のみんなが諦めかけている時代遅れの理想を追いかけようとしているからなのです。去年、この国はほとんどの欧米系NGOを追放してしまいました。理由は「我々の自立的な発展を妨げる」からというものです。それは利害対立に辟易した政府高官が怒りにまかせて白人を追放する、といった感情的な対応ではなさそうです。国際的な援助機関、二国間援助機関は残っています。
 それと、私がいた5月上旬には「第一回国民開発運動」月間がスタートしました。多くの国民が地方に散らばって国土開発にボランティアで参加する、というものです。なにやら中国文化大革命の「下放」を彷彿とさせますね。
 こうした政策の背景にある「自助、自立」は開発に携わるものの共通の夢でありながら、様々な現実のしがらみの中で少しずつ切り崩されていく夢でもあります。それを「開発の世紀」であった20世紀後半が終わろうとする今、敢えて追い求めようとするこの国(大統領の名前はイサイアス・アフェウォルキといいます)は、一体どうなるのだろう。エチオピアから実権を取り戻したのが1991年、正式な独立宣言は1994年というこの若い(幼い?)国をしばらく間近で眺めてみたい、それが私がアスマラに行く最大の理由です。
 ご存じの通り、私は「援助に伴うスポイルとジェラシー」にとても興味を持っています。このエリトリアの実験は「援助によるスポイルを何とかして回避したい」という「国民的プライド」のなせる技なのではないかと思っています。国際NGOや欧米援助機関主導の「住民参加型開発」の事例を去年一年間私はイエメンの中で見てきました。その中で常に気になったのは「ドナー主導の住民委員会」は社会的に持続可能なのか、という点でした。エリトリアは他のアフリカ諸国、とりわけ隣国エチオピアが「スポイル」されていく過程を見る中で上の問いに「否」という結論を下したのでしょう。
 では、どういう選択肢が他にあるのか。「国民開発運動」はその答えを模索するプリミティブな実験と言えるでしょう。

 アフリカの東の外れに、世界中の他のどの国よりも「開発」と「スポイル」について考え、模索している国がある、その国に身を置きながら私もまた「開発」についてじっくり考えてみようと思います。日本にいる(あるいは留学先にいる)皆さんにも別の角度から「開発」について考える題材をアスマラからお届けしてみたいと思います。リアルタイムでこの国の実験をお伝えする。これは私にとってもまた実験です。昨年はイエメンから「プロジェクト・エスノグラフィー」をお届けしようとして挫折しました。もう一度チャンスを下さい。今年は皆さんを裏切らないように務めます。せめて月に一度は宇田川さんに宛ててお便りする事にします。
 それは、「開発援助と人類学」勉強会を日本で支えてくれている皆さんにささやかながら恩返しをしたいと、皆さんへの感謝を込めて心から思っている私の決意表明でもあります。
 皆さんが日本で勉強会を積み重ねて下さっていることは、私にとっては何よりの励ましになっています。ありがとうございます。
 では、また。     寛 拝。


 

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Last updated 31.May.1998