Asmara Letters


Subject: アスマラ便り2
Date: Thu, 21 May 1998 23:06:46 +0300
From: 佐藤 寛
To:  宇田川学

 皆さんお元気ですか、私はまだサナアにいるのですが、アスマラ便りその二をお送りします。

「航空路と開発戦略」

 私はまだサナアにいます。今アスマラ入りのチケットを買おうとして困っているところです。サナアからアスマラまでは直行便があれば一時間の距離なのですが、現在直行便がないのでめんどくさい乗り継ぎをしないと入れません。
 旅行会社で調べたところ、エチオピア航空でサナア〜アジスアベバ〜アスマラという乗り継ぎ便が週に一便あって、これがアジスでの乗り継ぎが二時間ととても便利なので、これにしようと思っていました。ところが今月12日にエチオピアとエリトリアの間で国境衝突があって、エチオピア航空のエリトリア乗り入れ便が全て中止になってしまったのです。
 さて、エリトリアにはまだ自前の航空会社がありません。飛行機がアスマラ空港に着くと「エリトリアンエアー」と書いて、鳥のロゴの入ったタラップ(乗客が乗り降りする階段)が飛行機に横付けされますが、これが唯一の資産です。町中に「エリトリアンエアー」のオフィスもありますが、やっているのはルフトハンザとエチオピア航空の代理店業務です。これも「実力以上の高望みはしない」というエリトリアの堅実な政策の一環と言うこともできます。確かに小さな経済的基盤を持たない小国が航空会社を乱立させても採算が合わなければ国威発揚にはなっても、国庫の負担になるばかりですから。
 とはいえ、この航空機時代に航空路へのアクセスなしには生きていけません。そこで、エリトリアが頼りにしているのがエチオピア航空なのです。もともとエチオピア時代には主要国内線としてアジスアベバとアスマラの間は飛んでいたわけで、エリトリアの独立に伴ってそれが国際線になっただけのことです(ちなみに私が1993年にアジスから飛んだときは国内線乗り場から乗りました)。
 そんなわけで日に一便か二便はアジスアベバ〜アスマラ便がありますので、アジスに出れば世界中どこへでもアクセスがあります。またエチオピア航空がアジスから外国に行くときにアスマラに寄ることもあるので、ロンドン、ジェッダ、ドバイなどへは直行で行き来することも出来るのです。
 そのエチオピアと悶着を起こしてエチオピア航空が止められてしまうのは、あまり好ましいことではありません。そもそも、今エリトリアには周辺国と国境紛争などしている余裕はあまりないのです。かつてあったイエメン航空のサナア〜アスマラ便(週二便)がなくなっているのも、1995年の末にイエメンとの間で紅海上の島をめぐる領有権問題を起こしたからです。スーダンとの間には独立以来ずっと双方の難民をめぐる対立があります。これにエチオピアとのいざこざが加わればエリトリアは主要周辺国のほとんどと問題を抱えることになります。あと国境を接しているのはジブチと、紅海対岸のサウジアラビアですべてです。

 私の当面の課題はエチオピア航空以外でどうやってサナアからエリトリア入りするかです。
 選択肢は三つあります。
 その一、エジプト航空でサナア〜カイロ〜アスマラ。これはサナア〜カイロが週二便、カイロ〜アスマラが週二便あるのですが、乗り継ぎが悪く、カイロで2日待つか4日待つかしなければなりません。喧噪と「たかり」のカイロの町にはあんまり降りたくない私としては好ましくありません。
 その二、サウジ航空でサナア〜ジェッダ〜アスマラ。これは乗り継ぎのいい便が週一便あります。ただし、それでもジェッダで9時間半待つことになり、ご存じの方はご存じでしょうがジェッダの空港は航空客でも荷物扱いしますから、トランジッドビザでホテルで仮眠などということはとんでもなく、ましてや手荷物にも預け荷物にもアルコール類は一切厳禁です。そもそも私はサウジのあの人為的に締め付けた宗教的な雰囲気が嫌いなのです(もちろん、イスラム教が嫌いってわけではありません)。
 その三、ルフトハンザ航空でサナア〜フランクフルト〜アスマラ。これは週三便あります。フランクフルトでの乗り継ぎは6時間弱です。これが私としてはベストですが、ネックは料金がジェッダ経由の8倍くらいかかることです。「経済路線」を求めるアジ研がこのチケットを買ってくれるとは思えません。
 そろそろどれにするか決めないといけないのですが。

 ところで、なぜルフトハンザなのか、です。実はこのルフトハンザ便は毎日フランクフルト〜カイロ間を飛んでいます。そして、水、金、日にはカイロからサナアに足を伸ばし、火、木、土にはカイロからアスマラに足を伸ばす、というわけです。もうかっているのかどうかわかりませんが、ルフトハンザドイツ航空のこの「フロンティア」精神は、途上国で働くビジネスマンにとっては福音と言えるでしょう(もっともイエメン便の場合乗客の大半はヨーロッパの「アドベンチャーツアー」のご一行ですが)ちなみにイエメンに乗り入れている欧米航空会社は現在ルフトハンザとKLMオランダ航空のみで、イエメンに対する三大ドナーはドイツ、オランダ、そしてわが日本なのです。あ、そういえばアエロフロートは月に二便飛んでいるようです。これは軍事援助とのからみでしょう。南北イエメン分離時代にはサナア、アデンの双方の首都に週二便ずつ程度乗り入れていたようですが、どんどん減便になっています。「援助の額と航空路」ちょっとした相関関係はありそうですよね。もちろん、JALやANAにサナアまで飛んでこいとは言えませんが。そしてこれまでイエメンに乗り入れて撤退したのは英国航空とフランス航空です。イエメンに対するどちらの援助額も最近はあまりぱっとしません。

 話は飛ぶようですが、最近私がよく使う航空会社に「エミレーツ航空」があります。エミレーツ航空というのは聞き慣れないかもしれませんが、出来てまだ10年たたない新参の航空会社です。湾岸産油国の一つアラブ首長国連合を構成する七つの首長国のうちドバイ首長国が経営しており、現在エアバスとボーイング777の新機のみのラインアップでエコノミークラスにも全てプライベートテレビ付きというサービスでぐんぐん業績を伸ばしているのです。ドバイは湾岸産油国の中にありながらレストランでの飲酒が比較的容易で、「自由港」「フリーゾーン」をその開発戦略の中核に据えています。ドバイの空港ももともと「免税店」の安さで東南アジア、南アジアからの出稼ぎ労働者には有名でしたが、今では欧米、日本からも買い物客を引きつけて「中東のシンガポール」としての地位を確立しようとしています。このドバイの戦略の牽引車となっているのがエミレーツ航空なのです。これほど一国の開発戦略と密接な関連をもち、かつ成功している航空会社も少ないでしょう。エミレーツ航空の航路網は半年ごとに増加しており(アセアンの主要各国とドバイは全て直行便が結んでいます)、ドバイの空港の施設も毎月のように拡張しています。確かに、一頃のシンガポールのチャンギ空港の勢いが感じられるのです。
 もちろんこれが出来るのは産油国であるという資本力があるからなのですが、戦略の勝利という面も否定できません。同様な条件を持つたの六つの首長国や、バハレーン、カタール、さらにはクウェートなどもその気になればこうした戦略が取れたはずなのです。でも今から追いつこうとしても手遅れでしょう。アフリカの国にまねの出来る「開発」戦略ではないかもしれません。
 ドバイが「中東のシンガポール」なら、アスマラは「アフリカのシンガポール」を目指しているのです。私はこのスローガンは誰かが冗談半分につけたのかと思っていました。ところが、これはエリトリア政府の正式なスローガンだったのです。
 アスマラの飛行場はたしかに、最近新しくなって待合室は二つだけですが立派です。でも、まだ一機の飛行機もないばかりか待合室から飛行機に乗るのに歩いていくエリトリアが、どうやって「アフリカのシンガポール」になっていくのか、ちょっと楽しみではありませんか。


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Last updated 31.May.1998