Asmara Letters


Subject: アスマラ便り3
Date: Sun, 24 May 1998 22:30:40 +0300
From: 佐藤 寛
To:  宇田川学

 お元気ですか。
 引き続きサナアからです。
 私は先週アメーバ赤痢(だと思う)で、まるまる一週間を棒に振ってしまいました。
 今月の始めに、エリトリアとエチオピアが初めての本格的な国境衝突を起こしたために、アスマラ入りが先延ばしになってしまうのではないかと心配している今日この頃です。

 今日は5月24日、エリトリアの独立記念日です。当時のEPLF(エリトリア民族解放戦線)がエチオピア軍からアスマラを奪回したのが1991年のこの日。そして国民投票の結果を受けて正式にエリトリア国として独立したのが1993年のこの日です。だから今年は「解放7周年」「独立5周年」と言うことになるのでしょう。
 一方イエメンの方は一昨日5月22日が南北統一8周年でした。この日に合わせてフナイシュ島(紅海上の島、イエメンとエリトリアが領有権を争っている。この島名が載っている地図はなかなか優れもの)の帰属を決める国際法廷の判決が出るはずでしたが、判決は7月に延期となりました。これでサナア〜アスマラ直行便復活もまた遠のいてしまいました。

 今日は、イサイアス・アフェウォルキ大統領の先日のインタビュー記事から「スポイルの回避」にかけるエリトリアの心意気をお伝えしましょう。
 アフリカの地域的な文脈では、イサイアス大統領はちょっとした「暴れん坊」的な注目を集めているようです。もちろん、暴君とか絶対君主と言うイメージではなく、「大人の妥協をせずに正論ばかり吐いて回りの国家元首たちを困らせる」という感じで。独立直後にエリトリアは52番目の加盟国としてOAU(アフリカ統一機構)に加盟したのですが、事もあろうにこの加盟スピーチでイサイアス大統領は「OAUはこれまで一貫してエリトリア問題を無視し続けてきた。OAUは設立目的とは裏腹に実質的な機能を一切持っていない」と痛烈な批判を行って、出席者に衝撃を与えたりしたのです。
 周辺アラブ諸国もそれなりにこのイサイアス大統領に注目しているようです。アラブ世界の政治ニュース紙として評価の高い「アルハヤート」紙(ロンドン発行)は、今年(1998年)3月25日づけの紙面でイサイアス大統領のインタビューを掲載しました。「開発」に関わるところだけ抜粋してご紹介します(以下は「Eritrea Profile」紙 98/4/11掲載の翻訳記事より)。

(問)エリトリアを「アフリカのシンガポール」にするという経済的スローガンの現状については? 
(答)その方向に向けた希望は捨てていない。現在の我々の能力の限界と困難にもかかわらず、過去7年間にエリトリアが達成した成果は、数多くまた重要なものであったと言えよう。ことに過去三年以内にエリトリアを訪れた人はそのことに容易に同意するであろう。

(問)エチオピアのような周辺国には多くの外国援助が流入しているが、エリトリアにはそうした援助の流れが見られない。これは西側諸国がエリトリアを援助したがらないからなのか、それともエリトリアの法律によるものなのか。
(答)われわれは援助を拒否している(We reject assistance)。われわれは人道的、あるいは慈善的な支援を全く必要としていない。これ(この方針)はこの(開発の)分野でのわれわれの採用した枠組みに基づくものである。そしてこれは根本的な方針に根ざすものであり、われわれの行く末を決する問題なのである。われわれは無償資金供与と援助(grants and assistance)はアフリカのいかなる発展途上の国々にとっても、経済成長を遅らせるプロセスに過ぎないと考えている。そしてまたそれは、社会と国家の能力を弱体化させるし、そのうえ援助の規模はしばしば非常に限定的なものに過ぎない。過去5〜6年にわたってわれわれは様々な方向からやってくる無償資金供与と援助についての調査を行った。慈善、人道的組織の名においてやってくるものもあれば、二国間関係を樹立している国家の名において来るものもある。調査の結果は、細かい数字をあげないが、これらの支援の内実際に役立っているのは30%以下に過ぎなかった。

(問)あなたの「援助の拒否」は途上国世界にとってのユニークな実験と呼べるのだろうか。そして、エリトリア国民は耐乏状況にとどめるこのような政策にいつまで我慢できるのだろうか。
(答)私はこれがユニークな実験だとは思わない。ただし、こうした決定を下すこと自体はユニークかもしれない。アフリカ経済の大部分が損害を被っていることが一つの実験である。これは、政府と関連機関が経済問題を適切にコントロールするという責務を果たさなかった結果である。彼らは(援助によって)麻痺させられた結果、自らの可能性を高め、政策を策定し適切に実施することによってコントロールを実効あるものにすること、が出来なかった。われわれのこの分野での方針は他者及びわれわれ自身の教訓を生かすことにある。従って、実験は決してユニークなものではなく、われわれは無償資金供与と援助を拒否することに決めたのである。これは部外者にとっては奇妙なことかもしれない。しかしこれまでの援助の結果は(経済の)破壊であったし、現在もなお多くのアフリカ諸国の経済を破壊し続けているのである。
 もしも、誠意を持ってわが国を支援してくれる国があるならば、われわれが真に欲しているのは融資であり、投資であり自由で開放的な貿易なのであり、援助と無償資金供与に依存しないことなのである。(了)

 ね。すごいでしょ。もちろん、現実はそう見事なものではないでしょう。その現実をアスマラからお伝えしたいと思います。


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Last updated 31.May.1998