Asmara Letters


Subject: アスマラ(の近くからの)便り4
Date: Thu, 09 Jul 1998 02:27:31 +0300
From: 佐藤 寛
To:  宇田川学

 お元気ですか。あいかわらずサナアにいます。一体いつになったら本当にアスマラ便りがアスマラから出来るのでしょうか。
 ところで、問題です。アスマラに一番近い外国の首都はどこでしょう。
 アジスアベバ?ジブチ?いえいえ。実は、サナアです。紅海を真横に飛ぶとサナアなんです。 だから、サナアからアスマラ便りを出すのは、それほど外れてないということですね。

 

「くにづくりと『通貨』」

 「国」が国であることを示す印にはいろいろなものがあります。国歌、国旗はその最たるものでしょう。通貨もかなり重要です。歴史は「コイン」の重要性を教えてくれます。このサナアも様々な支配者が都したのですが、誰が自分の名を印したコイン(貨幣)を鋳造したか、は時代を区切る重要な指標となります。
 前回の便りでエリトリアは独立以来、無理して自前の飛行機会社を持つ事はせずに近隣諸国の飛行機会社に依存して実質的な路線を歩んでいるとお伝えしました。そして、貨幣さえ独立後四年間は、従来通りエチオピア・ブルをそのまま使っていました。それは「賢い」選択ですが、やっぱりそういう国のあり方は「危うい」のかもしれません。
 最近の歴史の中で独自の通貨を持たない独立国はおそらくエリトリアだけだったのではないでしょうか(もしかして南アフリカの方にそういう国がありますか?あったらごめんなさい)。というよりも、自国の通貨が否定されることが「植民地化」の象徴であったとも言えるかもしれません。その意味で、自前の通貨を持つことは「独立」を象徴するものだと言えるのかもしれません。そのエリトリアが去年の11月にようやく独自の通貨を発行、流通させ始めたのです。単位は「ナクファ」といいます。これは、対エチオピア独立闘争時代に当時の解放戦線EPLFの重要な戦略拠点で、激しい戦闘が行われた都市の名前と同じです(アスマラの北)。エリトリアにしてみれば、これはいくつかある「国造り」の重要なステップの一つです。独自の通貨を手にした嬉しさは容易に想像できます。新通貨の紙幣もコインもデザインはすっきりしていて、なかなか素敵なものができあがりました。それまで流通していたエチオピア・ブルに比べてもかなり立派な通貨で、視覚障害者のために紙幣には金額の違いを示すサインまでついているのです。
 これらの印刷、鋳造はおそらくヨーロッパの業者に依頼したものと思われます。つまりお金がかかっているわけで、このための予算は決して少なくなかったと思います。やたらに援助をもらうことを潔しとしないイサイアス大統領のことですから、これも自前でまかなったのではないでしょうか。単純に経済性だけを考えるなら、エチオピアがエチオピアの予算で印刷してくれるブルをそのまま「ただ乗り」して使っていても良さそうなものですが、やはり「自国の通貨を持ちたい」という願いは経済性をめぐる考慮を上回ったのでしょう。
 しかし、この通貨が今回の紛争の重要な遠因となっていることは間違いないようです。

 エリトリアは1993年に国民投票を実施して圧倒的多数の支持を得て合法的にエチオピアから分離独立しましたが、エチオピア人の中にはまだまだエリトリアの独立を心情的に認めていない人々が多いようです。そういう人々にとって、エリトリアがいくら独立したといっても、従来通りブルが流通している間は安心だったのでしょう。両国民の行き来も自由であれば結局エチオピア人がエリトリアに行って見ても今までとあまり変わらないわけですから。しかし、通貨が違ってしまうと、国境を越えたとたんに不都合が生じます。実際には国境地域ではブルを使った交易が続いていたのでしょうし、エリトリア政府はナクファとブルを1:1と設定して等価交換を可能とするように想定していました。
 現在エリトリアは食糧の自給にはほど遠い状況です。主食のインジェラの原料となるテフ(穀物)のほとんどはこれまでエチオピアからの「移入」で賄っていました。それが「輸入」になったことでトラブルが始まるのです。エチオピア政府は正直言ってエリトリアが独自の通貨を導入することをあまり快く思っていなかった様です。「ヨーロッパだって共通通貨を導入するという時代にわざわざ別の通貨を作る必要はない」とエチオピアは主張します。そんなわけどエチオピアはブルとナクファの等価交換を認めないことにしたのです。この結果国境貿易は大きな困難に直面します。エリトリア側はナクファしか持っていないのですから、モノが買えなくなります。もちろんエリトリア国内には既に流通しているブルのストックがありますから当面はブルで支払うことも可能でしょうが、さらにエチオピア側は取引額が2000ブル(現在1$=6.88ブル程度)を越える場合は「ハードカレンシー」による決済を要求し始めました。
 異なる通貨間には「為替制度」が必要で、貿易に際してハードカレンシーを要求するのは特に不思議なことではありません。エチオピアからすれば「そんなに一人前になりたいなら、勝手になれば。そのかわり一人前の為替制度を適用するぞ」というところでしょう。これはエリトリアにとっては大きな誤算だったのではないでしょうか。
 このあたりから両国の経済関係はぎくしゃくし始めたようです。エリトリアの外貨収入源は海外にいるエリトリア人からの送金と、アッサブ、マッサワ両港を利用するエチオピアからの施設利用料です(エチオピアはエリトリアの独立によって内陸国=ランドロックドカントリーになっているので、それまで自国の港として使用してきた両港の継続的使用は死活問題でした)。エリトリア独立に際しては、エチオピアに対して従来通り港湾へのアクセスが保証されていました。そして両国がブルを共通通貨としている間は港湾施設料をブルで決済しても問題はなかったわけです。そしてナクファ導入後も1:1の交換が可能であればブルでの支払いでいいわけです。しかし、エチオピアが両通貨の交換を拒否し、国境貿易に「ハードカレンシー」を要求するならば、エリトリアとしてはその「ハードカレンシー」を港湾使用料として当のエチオピアから得るしかないのです。この結果港湾使用料の「ドル払い」を求めることになります。ところが、エチオピアだってそんなにハードカレンシーを持っているわけではありませんから面白くありません。
 こうして、エチオピアは今年に入ってからアッサブ、マッサワ両港をなるべく利用せず、ジブチ港を利用するという方針に転換した模様です。これは、エリトリアから見れば「ボイコット」です。エリトリアの人口は350万人、エチオピアの人口は約6000万人。エチオピアの分の輸出入物資の流通が完全に失われれば、単純に計算しても港の流通量の90%以上が失われるのです。これは致命的です。
 全ては、ナクファの導入がきっかけでした。通貨を持ちたいという悲願。それを果たすことが今、自国の存在を再び危うくする事態を招いてしまうという皮肉。「若い国」エリトリアをめぐる試練はまだまだ続きます。

 次回は、今回の国境紛争の経緯についてご報告したいと思います。
 では。


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Last updated 9.July.1998