Asmara Letters



Subject: アスマラ便り8
Date: Thu, 17 Dec 1998 10:53:36 +0300
From: 佐藤 寛
To:  宇田川学

「自助努力と携帯顕微鏡」

 ちょっとこの国の保健分野の現状を見てみましょう。
 元EPLF(エリトリア民族解放戦線)の戦士(エチオピア側から見れば「ゲリラ」ですけど)で、現在アスマラ大学保健科学学科長をしている人の話を聞きました。政府の要職にこの「元戦士」が多いことは現在のエリトリアの特徴です。別に恐い人たちではありません。ただ彼らは他の途上国の留学帰りエリートのボンボンとは異なり、確実に戦闘で死線をくぐってきた経験を持っている人たちだ、という事実は軽からぬ意味を持っています。彼らの存在が「汚職のない」今のこの国を支えているのだと思います。
 NGOが撤退した話題になると、彼は「日本は金持ちであって、自立できている。アフリカの多くの国は貧困であるがゆえに他人に依存している。問題はこの「豊か−貧困、自立−依存」の組み合わせの中で『貧困であっても、自立している』ということが可能かどうかだ」と言います。「清貧」ってやつですね。独立戦争の戦いの延長上に現在の開発努力があること(特に人材の面ではステイタスがゲリラから公務員になっただけで担い手は同じなのですから)が、国民の士気を高め、「自助・自立」への意気込みを支えているのでしょう。

 さてこの国のプライマリー・ヘルスケア(基礎保健・PHC)は、一人当たり国民所得150$前後(ユニセフによれば140-163$)という低所得途上国として当然の事ながら多くの課題を抱えています。五歳児以下死亡率出生1000対136、妊産婦死亡率出産10万対998、予防接種カバー率41%、農村部での安全な水へのアクセス率7%等はこうした現実の一端を示しています(数値はいずれもユニセフ1996)。ただし、人口は約300万人とそれほど多くはありません。
 現在保健分野の仕組みは、コミュニティーレベル(TBA=伝統的助産婦(Traditional Birth Attendant)、ないしはコミュニティーヘルスワーカー(CHW))、ヘルスステーション(HS)、ヘルスセンター(HC)、病院という階層化が基本とされており、HS数は現在145,HCは48、病院は全国で13を数えるのみです。これで現在国民の60%をカバーしています。保健スタッフの不足は深刻でHCには原則として医者はおらず、看護士(婦)が運営しています。しかしこれらの施設は全て活動しており(遊休施設はない)、給料、薬剤(基本薬剤リストに従って)は定期的に供給されていて、しかもこの供給システムにはドナーはほとんど関与しておらず、政府が自前でおこなっているという(ただしキリスト教ミッショナリー運営のHS24、HC5についてはミッションが賄っている)ことです。給与は比較的高水準(新卒看護士で240$、ヘルスアシスタンで130$)に設定しており、低地の高温地帯に配置されると30%の僻地手当が加算されます。これらの給料も全て政府が自前で賄っているのです。ところで政府の財源の中で重要なのは税収とともに「海外エリトリア人からの献納」です。独立戦争時を通じて「海外四散(Diaspora)」エリトリア人はEPLFに定期的に「支援金」を送っていました。つまり、国内に残った人も、海外に逃亡した人も「ともに戦っていた」ということです。独立後もこのシステムは続いており、最近サウジ在住のエリトリア人コミュニティーが保健省に400万ナクファ(約7200万円)を寄付したとそうです(Eritrea Profile 98/9/12)。
 コミュニティーレベルの人材教育の仕方ですが、独立以前のEPLFは、自らの支配地(解放地域)でのコミュニティーヘルスの充実によって人心を掌握していたとも言われ、当時から既にPHCの末端部分に大きな力を入れていました。当初はCHWのために識字能力のある若い女性をコミュニティーから選び、彼女らを集めて最も近いHCで10週間のトレーニングを実施した後、出産キットなどをを渡してコミュニティーに帰していました。しかし、トレーニングを受けても未経験の彼女らに人々は出産介護を頼まないので、これでは意味がないと判断し、字が読めなくても経験のあるTBAをトレーニング対象とするようになったということです。このCHW、TBAのトレーニングは現在も続けていますが、注目すべきはトレーニングコースに関しては、教える人(HCのスタッフ)、教えられる人(村出身の女性)ともに一切の金銭的支援は与えられていない(トレーニング中の食料は支給される)ということです。また、彼女らにはトレーニング終了後も保健省からの給料は一切出ません。彼女らはこれまで通り、出産介護などのサービスに対して直接顧客から対価を受け取るというこれまでのやり方を続けているのです。他の途上国では「トレーニング」が「臨時収入」の手段と考えられている場合が多い事を考えると、これはこの国の「持続的開発」のための好材料と考えられます。以前キリスト教系NGOがトレーニングに「インセンティブ」を取り入れ、撤退後活動が崩壊したことから、現在エリトリア保健省はトレーニングには一切の金銭的インセンティブを付与しない方針を立てているということです。
 しかし多少給料が良くても地方のHS、HCレベルのスタッフの生活条件が悪いことは事実で、現在育成中の高等教育を受けた人材をそうした地域に配置できるのか、は大きな問題でしょう。既存の保健施設のスタッフは多くがEPLF時代からのいわゆる「元戦士(ex-fighter)」で、ヘルスアシスタント、ナースなど資格は十分ではないものの「人民への奉仕」という士気が高いということです。世代交代後の若い、都会で教育を受けたスタッフが現在のレベルの活動を維持できるのか、大きなチャレンジで、他の途上国と同様のPHC状態(機能不全、スタッフの不在)にならないとも限りません。まだ正式独立後5年(アスマラ奪回からは8年)という事実が「闘争」と「開発」の連続性を保証していますが、長期的に現在の公務員の士気の高さをどう維持するかが課題でしょう。

 「機器のメンテナンス」はいつも途上国に援助をする際に頭の痛い問題です。先日イエメン保健省の前庭に、日本から届いたばかりの四輪駆動救急車(ランドクルーザー、パジェロの後部に寝台と機器を設置したもの)百台あまりがずらっと並んでいるのを見たのですが、1年後にこれらのうちの何台が実際に有効に活用されるかを考えると、暗い気分になりました(これは日本政府の援助ではなく、世銀の援助ですから直接我々の税金ではないですけど)。イエメンではまだ救急車は地方には多くありませんが、それでもヘルスセンターの所長はたいていドナーから回ってきたランクルを業務・私用に使っています。一方エリトリアでは基本的に各ヘルスセンターに1台ずつランクル救急車が配置されているそうです(ただし、これ以外にヘルスセンター所有の車両はなし)。これらは政府が購入したもので、そのメンテナンスについても彼ら自身がやっているということです。確かに独立戦争時代にエチオピア軍から奪った戦車や戦闘機を十分なスペアパーツなしに修理して再生していた技術をもってすれば、ランクルのメンテぐらい簡単かも知れません。イエメン人をエリトリアに技術研修に送るべきかもしれません。
 いまひとつ、この国が有利なのは「民間部門」がまだ未発達で政府のコントロールが効いていることです。特に薬に関しては、政府が一括して輸入しており、民間薬局は政府から薬を購入するしかないのです。このため、民間の薬の乱用による国家ガイドラインの無視、不必要な耐性菌の発生などは今のところ問題になっていません。

 ところで、保健分野の自立という話題が出ると、必ず誇らしげに語られるのはEPLFのゲリラ時代に彼らが独自に開発して占領地域の地下工場で生産し、使用していた「携帯型顕微鏡(マッカーサー式)」です。大きさは10×15センチくらいで、レンズや主要部分以外はプラスチック製の折り畳み式なのですが、マラリアの菌を発見することができる能力を持っています。EPLFはこれを解放地域各地に配置した「裸足の医者」(彼らが今では地方のHS、HCにいるのですが)に持たせ、住民のマラリア対策(現在でもエリトリアで最も重大な疾病はマラリアです)に活用したのです。地下工場で作ったとは思えないほどとても良くできていて、専用ウエストポーチに入れて持ち運べるのです。現在他の途上国に売ることも考えているということです。
 「マラリア対策をしたいが顕微鏡がないのでできない。日本から電子顕微鏡とランドクルーザーを供与してくれ」という、どこぞの国の保健省の役人に爪の垢でも煎じても飲んでもらいたい、と心底思います。ドナーなんて、本当にいない方がいいのかもしれませんね。


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