Asmara Letters



Subject: アスマラ便り12
Date: Tue, 22 Dec 1998 19:38:57 +0300
From: 佐藤 寛
To:  宇田川学

「戦争の隣国」

 日本国政府がいつまでもエリトリアに対して「危険度5=退避勧告」を出し続けているのは邦人保護の目的では理解できます。しかしこれは同時にエリトリアに対する「経済封鎖」という副作用を持ち、結果としてエチオピアの目指す「エリトリアの孤立化」政策に合致してしまうので、中立の立場をとるべき日本の対応としては公正さを欠き、望ましくないのではないか、と私は主張してきました。そして危険度認識を下げるべき根拠として

などを理由としてあげてきました。
 ところがこのジブチ航空はわずか二ヶ月で運行を停止する事になってしまいました。それというのもジブチ政府が11月18日にエリトリアに対して国交断絶を宣言したからです。

 なぜこんなことになってしまったのでしょうか。
 いつものように「エリトリア側」の解釈を紹介しましょう。お断りするまでもないですが、私はこのエリトリア側の解釈が全面的に正しいと主張するつもりはありません。「戦時下の噂」にはいくつもの誇張や我田引水的な解釈が混ざり込むことは明らかですから、ここで紹介する解釈もそうしたたぐいのものである可能性は否定できません。ただ、それでも私がエリトリア側の解釈を紹介するのは、エチオピア側の解釈は日本国政府や国際社会に直接届くのに比べて、小国エリトリアにはその力がないと思うからです。

 さて、エリトリア側の今回の件に関する解釈はこうです。

 というわけです。

 私としては戦争寸前の状態にある二つの隣国の間の板挟みになっている小国ジブチに同情したくなるのですが。ジブチにしてみれば、何も好んで「エチオピア側」に立って戦争の当事国の仲間入りをし、エリトリアの恨みを買いたくはないでしょう。しかし、人口6000万人の地域大国エチオピアと300万人の新生エリトリア、かたや紛争の結果上得意になりかけている国で、かたや「自由貿易港」構想などではライバルになりかねない国、この二つの国を天秤にかけざるを得ないとすればエチオピアにすり寄るのは当然です。
 それに、戦争時にはいかに周辺国や国際世論を味方に付けるか、も重要な戦略の一つですから今回の「ジブチ・エリトリア断交」はエチオピア側の外交的な大きな戦果、と言っていいでしょう。
 でも、だからこそ、私はこの展開は非常に危険だと思います。こうして中立国が一つ減り、ジブチもまた「エリトリアは周辺国と悶着を起こすトラブルサムな国」という宣伝に加わることになれば、エリトリアの国際的な孤立を促すことになるかもしれないからです。人でも国でも孤立させられ、追いつめられると危険な行動を起こす可能性が高まります。

 とはいえ、「捨てる神あれば拾う神あり」というわけでもありますまいが、エリトリアはエチオピアによる「アフリカにおけるエリトリアの孤立」戦略(そういえば、OAUの本部がアジスアベバにあることもエリトリアにとってはかなり不利になっていますし、「アフリカの角」地域の地域共同体であるIGAD(開発のための政府間機構)の本部はジブチにあります。そして現在、エリトリア出身の同機構理事はエチオピア航空にも、ジブチ航空にも乗せてもらえないために、ジブチにある本部に帰れなくなってアスマラに足止め状態になっています)に対して、「アラブシフト」戦略で対抗しているようです。
 10月には、紅海上の島(フナイシュ諸島)を巡るイエメンとの係争が、国際調停裁判所の裁定によって解決しました。この裁定は島の主権をイエメンに認め、現在展開中のエリトリア軍の三ヶ月以内の撤退を求める内容でしたが、エリトリアはこれを即在に受諾し、イエメン側から喝采を浴びたものです。この結果イエメン航空のアスマラ線再開(95年末に紛争が発生してから休止されていました)、両国関係の急速な改善(イサイアス大統領は11月にアデンを訪問してサレハ・イエメン大統領と会談しました)へと結びついています。また1995年から国交断絶状態にあったスーダンとの間でもカタールの仲介で「合意文書」が調印され、国交正常化に向けて動き始めています。
 さらに、念願の自国航空会社も誕生しました。これはサウジアラビアの財閥とエリトリアの合弁会社で(エリトリア側の出資者はエリトリア国立銀行、ナショナルインシュアランス社、そして政権政党であるEPRDFです)、その名も「紅海航空(レッドシーエアー)」と言います。機体は75人乗りBAC1−11ジェット機で、11月末に就航しました。今のところ保有機は一機のみで、月曜、木曜にアスマラ〜ジッェダ、火曜、土曜にアスマラ〜アッサブ(国内線ですが両都市間には道路がつながってません。エチオピア航空が運行停止してから、同路線は途絶えていました)、水曜、日曜にアスマラ〜ドバイ、水曜日にアスマラ〜サナアというスケジュールで、ほぼ一日一往復のよちよち歩きです。が、ともかく自前の航空会社ができたことは「孤立」を避けたいエリトリア、「一人前の国になりたい」エリトリアとして慶賀すべきことでありましょう。
 しかしこうしたエリトリアの「アラブシフト」はアラブ世界からは歓迎されるでしょうが、これもまた将来的には危険な芽をはらんでいます。エリトリアの人口はキリスト教徒とイスラム教徒が半々だと言うことはすでにお伝えしましたが、アラブ諸国との関係が強まることは(特に原理主義のスーダン政権とは)、国内の政治的イスラム教徒の発言力強化に結びつき、キリスト教徒であるイサイアス現政権内のバランスを危うくする可能性があるからです。もっとも、ジブチはアラブ連盟とイスラム諸国会議の双方に所属する純然たる「アラブ・イスラム国家」ですが。

 いずれにせよ、双方の国内では互いの政権に対する非難のトーンが高まり、互いの疑心暗鬼も拡大しています。時間がたてばたつほど調停の条件も難しくなってくるでしょう。最貧国である両国が「いつ戦闘になってもいいように」準備するために投入する軍事費は、庶民の口からインジェラを遠ざけます。
 これまたエリトリア側の言い分ですが、「すでにエチオピアでは250万人が飢餓状態に陥っており、エチオピア政府は外国に援助を要請している」ということです。
「しかし我々は、今年の収穫が豊作であったこともあり、二年分の穀物の蓄えがある。それに我々は安易に援助など求めたりはしない」
 やせ我慢だとしても、さすがエリトリア、というところでしょうか。


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