まさおのにっき
1997年4月7日号


今週の体重。82.5kg
(4/7計測)

先週との差 -0.5kg


4月7日(月)雨

今日は花見を予定してたんだけど、雨で中止になってしまいました。5日(土)の昼にもさくら祭の仕事があったんだけど、雨で6日に順延になったと思ったら、やっぱり6日も雨でとうとう中止。花見は先月30日に1回出来たとはいえ、何か物足りない春の幕開けとなってしまいました。もうちょっと暖かくなったらバーベキューしよっと。

バーベキューとかは好きでよくやるんだけど、それを某ボーカリストSさん(彼女の名誉の為匿名)に話したら

「へー、もうすっかりアウトサイダーだね。」
「? ‥‥ひょっとして、アウトドアのこと?」
「‥‥そうとも言う!」

Sさんといえば、こういうこともあった。

「ウチにもよく入ってるよ、裏ビデオのチラシ。このまえ、『ハーディングの極秘ビデオにゅーて!』っていうのがあったよ。ハーディングって、あのスケートの人だよね。」
「‥そうだけど、にゅーてって、ひょっとして『入手』(にゅうしゅ)の事?」
「‥そうとも言う! いやー、あたしって漢字苦手なのよね、なんたって帰国女子だから。」
「‥‥‥‥。」

ヘールボップ彗星。
4月1日に、あんまり天気がいいもんだから、見そびれていたヘールボップを今日こそ見よう!ということで埼玉の高麗川の河原で夜のバーベキューをしました。でも、ヘールボップが見える筈の北西の空が何の光だかわからないけどうっすらと明るくて、ぼんやりとしか見えなかった。でもとりあえず見えたからいーか。まだチャンスはあるだろうし。
これだけ騒がれているんだから一度くらいは見てみたい、というミーハーな心も少しはあるけど、けっこう前から星を見るのは好きなんですよね。うまく説明できないけど、なんか懐かしいような、安らいだ気持ちになれる。だって、実は私宇宙人なんです。まあ、人間は宇宙の一部なんだからあたりまえだけど。

星は何万光年、何億光年離れている訳だから、何万年、何億年前の光を見ていることになるのだけど、私は、何億光年の距離を超えてその星と自分が同じ「今」を共有している、と考えます。「光年」というのはあくまで「距離」であり、光そのものの時間は「0」ですから(詳しく説明すると相対論や素粒子とかの話しになって長くなるのでまたの機会に。実は私にもよくわからない‥)、その星の光が自分に届いたその時がその星の「今」である訳です。そして、その星の更に先には、更に遠くからの「今」の光が、もっと向こうには、150億光年先からは、この宇宙が誕生した時の「今」の光が(実際には目には見えないだろうけど)間違いなく自分に届いている筈です(現実には、やっとハップル望遠鏡で110億光年位先の天体が観測できるようになった)。ということは、星空には(もちろん昼間の青空にも)、宇宙誕生からのすべての時間が「今」として存在している、ということになります。だから、そのなかに自分を置くことで、懐かしく、また、その時間を自分が共有できることで、安心できるのかもしれません。ひょっとしたら、曇りや雨のときにはなんとなく憂鬱になったり、ずっと屋内にいると精神的に滅入ったりしてしまうことも、日光を浴びることが出来ないという原因だけでなく、そんなことも関係しているのかもしれません。

そうやって考えていくと、自分の過去というのも光としてはこの宇宙空間には存在していることになる。いや、光として、などとはいえない。今私から32光年離れた場所にいる人にとっては私は生まれたばかりの赤ん坊として今「実存」しているのである。だから「私」が地球から光速より速く遠ざかることが出来れば、光を追い越して過去の「私」と対面することが出来ることになる。しかし「私」が二人になってしまうのはやはり矛盾があるので、相対性理論ではちゃんと物質どうしの相対速度、つまり「私」と地球の間の速度は絶対に光速を超えられないことになっている。

しかし、「過去」は間違いなくこの宇宙には存在しているのだから、何らかの方法でそれを見る事だけでもできないだろうか。もしそれが出来れば、それは「タイムマシン」ということになる。でも、タイムマシンというからには未来だって見たい。しかし、今までの話しからすると、まだ起こっていない未来の光は存在していないのだから、未来を見るのは不可能だということになる。
しかし諦めるのはまだ早い。
「反物質」というのをご存じだろうか。今の「物質」を正とすれば負、まったく逆の性質をもった物質である。自然界には存在が確認されていないが、物質が生まれるときは物質と反物質が同時に生まれる(ペアクリエイションという)ことがすでに確認されている。しかし、ちょっと考えればわかる通り、同じ大きさの正と負をたせば0、つまり物質と反物質もぶつかれば消滅してしまう。ではなぜ今自然界には物質ばかりで反物質は存在しないのか。本当ならたとえ物質が生まれたとしても同じ数だけ反物質も生まれているのだから反応しあってすべて消滅してしまうはずである。これに関しては様々な仮設により説明が試みられているが、私にはいま一つ理解できない。だって難しいんだもん。

とにかく、反物質が存在するのならば、粒子としての光子(フォトン)、重力子(グラビトン)にもそれぞれ反光子、反重力子があるはずである。もし反重力子があれば、重力を打ち消して、大きな動力を使わなくても空を飛ぶことが出来るし、もし反光子、つまり反光があれば、光を追い越せば過去が見えるのだから、反光を追い越せば未来が見える‥。あくまでも理屈の上ではだけど。

こうやって考えると、タイムマシンもあながち夢ではないのでは、と思えてきてしまう。現に、まだ読んではいないけど、いや、読んでも理解は出来ないだろうけど、ホーキングの最近の著書ではタイムマシンの可能性について言及しているという。

タイムマシンでさえ夢の世界の話とは言っていられなくなってきている位ですから(まあ、もし実現するにしても相当先のことでしょうけど)、自分の常識や既成概念では考えられないからといって頭から否定してしまうような事はしないようにしないと。まあ、だからといってへんな宗教とかをそのまま信じちゃったりしても困るけど。

ところで、ヘールボップの話はどうなったんだろう?

今日の小話。
さきほどのSさんにあやかって、ちょっとした間違い特集。

1. ベーシストSさんの場合。

はじめてSさんが北海道にある奥さんの実家に挨拶に行った時のこと、少し緊張していたSさんは玄関に飾ってあった熊の剥製を見て思わず一言、

「いやあ、これはまた、りっぱな熊のくんせいですねえ。」

それを聞いたお母様が、「あの、お食事は奥に用意してございますから。」と答えたとも言われているが、真偽は定かではない。

2. サックス奏者のMさんの場合。

車で移動中、橋を渡っているとき、河原でパラグライダーが飛んでいるのが見えた。そこでMさん、

「ねえ、みてみて、あれ。なんて言うんだっけ? あのらっかせいみたいなやつ。」

落花生みたいには見えないなあ。落下傘には似てるかもしれないけど。

3. ニッポン放送「鶴光の噂のゴールデンアワー」アシスタントのTさん(おMわこさま)の場合。

鶴光「さあ、今日のじんじんテレフォンのテーマは『かけられました』。水かけられました、カギかけられました、などなど、どんどんお寄せください。顔面シャワーかけられましたでもよろしおまっせ。」
Tさん「はいはい、気持ちいいですねー、あったかくて。」
鶴光「‥‥‥。」

それではまた。

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