恐怖のトホ母.「野生の食欲」の母を持つというコト

 「人生はメシである」。これはワタクシいわんやの言わば人生哲学、ないし座右の銘とでも申すべきものでございまして、ワタクシのこれまでの人生はまさにこの行動原理によって貫かれていたと思うのでございます。ある本によると作家の椎名誠氏もこれと全く同じ人生ポリシーに忠実に生きていると書いていたはずでございまして、やはり知性あるオトコが到達する人生哲学というのは、オノズと似てくるということの証左と申せましょう。

 タクシがこの行動原理を確立するうえで強く影響を受けたのは、いわんやが生まれた直後からその食生活を全面的に支配していたトホ母・その人であるのは認めぬわけにはまいりませぬ。トホ母自身はすでにヨワイ70を過ぎた、まぁ世間的に見れば立派なおバアさんでございますが、彼女の食生活哲学は常に「たくさん」というこの一言を基調に形成されているのでございまして、現在でも依然として「たくさん」という単純な理想に向かって飽くなき食生活を続けているのでございます。

 方、トホ妻はと申しますと、これがまたトホ母とは正反対に「メシなんて食わずに済めばそれにこしたことはない」とでも言わんばかりに、食うことに対する情熱に乏しい女。従いまして、結婚した当初というのはワタクシとトホ妻の食い物に対するポリシーの違いによって様々な軋轢が生じたものでございます。たとえば…

---軋轢シーンNo.1---

トホ妻 「ねぇ、ちょっとアナタ食べ過ぎよ。もう中年なんだからそろそろトシを考えて…」

いわんや「健康体で肥満してるわけでもないのに何で食う量を制限されなきゃいけないんだよ!」

---軋轢シーンNo.2---

トホ妻 「こんなにたくさん作ってどうするのよ?!食べきれないじゃないよ!」

いわんや「明日も食えばいいじゃんかよ!材料ちょびっと残すくらいなら作っちゃった方がいいの!」

 1年365日、これを10年として3650日。トホ妻とメシを食うのが一日平均1回と少なめに見積もってもすでに結婚後我々は約4000回にわたって一緒にメシを食っているわけでございますから、食生活ポリシーの違いによる衝突回数というのもまた数えきれぬ程発生したわけでございます。

 かしワタクシもヨワイ40を超えるとさすがに昔のようなドカ食いはできなくなって参りました。それに加えて何しろ過去約4000回にわたってトホ妻とメシを食ってきたわけでございますから、お互いに徐々に相手に対して自然と歩み寄り、トホ妻は昔よりほんの少しだけ食い意地が張り、逆にワタクシは昔に比べると食い意地において少しだけ淡白になったという側面もあるのではないかという気も致します。

 のように「昔ほど食わなくなった」ワタクシでございますが、いわんや実家ではトホ母を筆頭に依然として「たくさんこそ食生活における唯一の美徳である」という規範が純粋保存されておりますから、たまに何かの用事で我々が実家を訪問した際に供される「たくさん」の食物の量たるや…それに加えて、70才を過ぎてなお、そのたくさんの食物を貪欲な野生動物のように食らうトホ母の食いっぷりたるや…もう我が目を疑うばかりなのでございまして、その幾つかの場面を御紹介致しますと…。

---我が目疑いシーンNo.1---

 年のお正月のことでございます。ワタクシの両親が近所の「しゃぶしゃぶ食べ放題」の店に我々夫婦、姉夫婦&そのコドモらなど一同を連れていったことがございました。ある一定額を払えば肉だろうが野菜だろうが豆腐だろうが、何でも食べ放題というよくあるシステムの店でございます。この店でトホ母は他の誰よりも大量のしゃぶしゃぶを食ったのは間違いなく、その量はワタクシが摂取したしゃぶしゃぶ量の約1.2倍程度、トホ妻が摂取した量の3〜4倍に達すると推定されるのでございます。

 さに掃除機のように肉や野菜を食う70過ぎのおバァさん…しかし本当の驚きは全員が満腹になってデザートタイムに移行してからやって来たのでございます。デザートのケーキも取り放題でございますが、なにせ当日のワタクシはすで相当量のしゃぶしゃぶをムサボリ食っておりますから、いくら甘いもの好きと言えどももう腹はパンパン。しかしここで屈服しては「野生の食欲を持つ女のムスコ」としてのメンツが立ちません。とりあえず平然とした顔でチョコレートケーキなどを食って体面を保ち、あとはコーヒーを飲みながら破裂しそうな胃をナダメておったのでございました。

 のようにコーヒーを飲むワタクシを尻目に、その時トホ母の食ったケーキの量たるや…あれが実際にあったこととは未だに信じられぬ気分でございます…とにかく彼女がそこにある全ての種類のケーキを食ったことは間違いございませんで、しかもそのうちの何種類かは最低2〜3個づつは食べていたはずなのでございます。このトホ母の食いっぷりには、大量の食物を食うことに慣れていないトホ妻が驚倒したのはもちろん、「人生はメシである」という行動原理を持つワタクシですら、メマイを起こしそうで…。

---我が目疑いシーンNo.2---

 はいわんや父はネット遊び用にワタクシのお古のMacを使っておるのでございますが、たまにそれが動かなくなるとワタクシが無料サポートマンとして会社から実家に直行することがございます。そのような“出張サポート”の際は晩メシも実家でお相伴にあずかるわけでございますが、その晩メシの量がまた…。まぁトホ母にすれば「亭主のパソコンのためにバカ息子にわざわざ足を運ばせたんだから、せめてメシくらいたくさん食わせてやろう」ということなのでしょうが、いやもう…ホトホトすさまじい量なのでございます。

 ーブルには大量の刺身や揚げ物・枝豆等々がうず高く並んでおり、ビールもたくさん冷えております。これだけであればワタクシにとっては嬉しい状況でございます。しかも「たくさん」をヨシとするトホ母相手でございますから、遠慮は要りません。ワタクシはたちまち「人生はメシである」という行動原理を最大限に発動し、テーブルの上の食物を相当の勢いでムサボリ食い、かつビールも注がれるままに相当の量をムサボリ飲むのでございます。

 すがに満腹になったし、さてそろそろ帰るか…と思った頃、トホ母の口から信じ難い一言が…「じゃ、そろそろごはんにする?カレー作ったから食べていきなさい」「ええっ?こ、この上にカレー?!」まさに耳を疑うようなセリフではございませんか。今まで食ったものがすべて前菜であったとはッ!ここで「もう腹一杯だからカレーはいらない」などとフヌケたことを言おうものなら「たくさんこそ美徳である」のポリシーを信奉するトホ母から叱責を受けるのは確実。ワタクシとしては「ん…じゃ、す、少しでいいよ」と懇願して“トホ母基準”での「少し」(これは大体一般の“普通盛り”に相当する量でございます)のカレーライスを食うことになるのでございます。

 こで恐ろしいのはトホ母が「ただヒトに勧めるだけ」ではなく自らが率先してこれらを食っているという事実でございまして、70過ぎのおバァさんは40過ぎのムスコと同じくらい、いやひょっとするとそれ以上に食っているのでございます。ウソではないのです。トホ母の胃袋は四次元空間にでもつながっているのでございましょうか?まさに「野生の食欲を持つおバアさん」とでも表現するしかない健啖家ぶり。それにひきかえ中年になって胃の方もやや脆弱化してきたワタクシは必死の思いでカレーライスを食ってかろうじて体面を保ち、またもや破裂しそうな腹を抱えて這うように帰途につくのでございました。

---我が目疑いシーンNo.3---

 は先日もワタクシは実家に行ったのでございます。実家のISDN導入に際して父の持つMacを交換するという大事業を行うためでございまして、ワタクシは会社でいらなくなったMacを汗ダクになりながら抱えてTAXIに乗り、船橋まで大枚9400円という巨額の運送費を投じて運んだのでございます。まぁこれだけの手間とコストをかけたわけでございますから、晩メシには返礼としてそれなりのゴチソウが、しかもかなりたくさん供されるであろうことは十分予想されたことではございましたが…。

 の日はトホ母は書道教室があったため自分で調理をする暇があまりございませんでしたから、どうやらメインディッシュは宅配寿司の出前を頼んだ様子。寿司とビール…この魅惑的な組み合せに励まされながらワタクシはMacの接続作業をどうにか成功させ、全てが上手くいったのが夜の8時頃でございました。腹が減り、喉も乾いたワタクシが「さぁ寿司だビールだ!」と心弾ませて1階のダイニングに足を運んで目にした光景は…。

 近よくある宅配専門寿司チェーンのチラシは皆様も目にされたことがおありのはず。寿司オケのサイズにも何段階かございまして、一番デカい寿司オケですと60カン程度の“収容量”のようでございますが、その時ワタクシが目にしたのはまさにその特大寿司オケにミッチリと握り寿司が詰まった「寿司の海」。当日その家にいたのはいわんや両親といわんや叔母、それにワタクシの4人でございます。3人は70過ぎの老人、1人は40過ぎの中年でございます。え?4人で60カン程度ならそれほど多くない?何をおっしゃいます。ワタクシが見たのは絢爛たる約60カンの握り寿司が詰まった、その特大寿司オケが2なっだったのでございますよ!

 計すれば確実に120カン程度はあったはずでございます。しかも例によって枝豆だの、サラダだのが寿司の海の向こうに山脈のように聳えているわけでございまして、食の細い方であればアレだけのものを「食え」と出されただけで失神したかも知れませぬ。しかしそこは「人生はメシである」という行動原理に生きるオトコの悲しい性。「これは多すぎる!」という冷静な判断よりも「何とか少しでもたくさん食わねば!」というパッションの方が上回ってしまうワタクシなのでございまして、この時も頑張って何とか寿司オケ半分程度は食ったはずでございます。

 にこの時ワタクシが食った寿司の量を30カンと仮定すれば、回転寿司に換算すると15皿分…しかもワタクシが何とか寿司にターゲットを集中しようとしても、横からトホ母が煮物、サラダ、枝豆、そのうえ何やら怪し気なパーティ料理の残りをレンジで再加熱したものなどを次々と差し出してきて「もっと食べなさい反復攻撃」を繰り返すわけでございまして、よくまぁ胃が破裂しなかったものでございます。

 年でございましたか、やはりトホ母ネタである「遊園地のトラウマ」を執筆致しました時、ワタクシはトホ母を評して「野生の牝象のように元気」「いわんやより長生きしかねない」と書いたのでございますが、これは誇張でも何でもございませぬ。まぁ親が元気なのは息子としては喜ぶべきことではございましょうが、世間一般のイメージする「70過ぎのおバアさん」からはあまりにもカケ離れたその姿(身長:たぶん170cm弱、体重:不詳、声:デカい)、そして何よりその食欲…。何となく「コレはコレで一種の病気なのではないか?」とも思えるワタクシなのでございます。

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