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ACT-3 魔戦決着

 皓皓と光る月が照らすのは誰もいない夜の歩道だ。
 その中で立ち尽くすオメガの姿だけが、音も無く不吉な死を蒔き散らす呪像のように、憎悪の意図を込めた奇怪なオブジェのように、空の闇よりも暗い影を地に伏せる二人に投げかけていた。
 この先二人を待つのは死の運命のみだろう。
 うつぶせのまま吹抜の方に首をねじまげ、大道寺が口を開いた。
「…お、俺も…よくよく運が…ないな」
 かっと血を吐く。
「せっかくひさしぶり…おまえに会えたというのに…もうお別れとはな…」
 そこで大道寺の言葉が止まった。
 彼は友の顔を見ていた。
 吹抜の口元に浮かぶ笑みを。
「…らしくないな、大道寺。あの沙漠でも弱音を吐かなかった貴様だろう」
 普段より低くはあるが、苦悶の色をまったく感じさせない爽やかな声が語るそれは、かつての闘いの記憶なのか。
「…そうか、そうだな」
 大道寺の眼の中にあった死の影が消滅し、不敵な光が再び瞳を満たす。
 新たな闘志を得た大道寺の顔から苦痛の色が薄れていった。
 吹抜がさらに続ける。今度はオメガに向けた言葉だ。
「どうした、重力の増えかたが鈍ったようだぞ。もう限界か?」
 苦しげな口調なのにどこか楽しんでいるかのような感じがある。
 オメガの顔が怒りに歪む。
 吹抜の指摘通りではある。通常は一気に1000倍までかける重力を、いまは50倍程度で押さえていた。
 だがそれには理由がある。
 あまりに急激な重力制御はパワーのオーバーランを生む。
 下手をしてラピスにまで傷をつけるのはまずかった。
「馬鹿め、これ以上の必要などないわ。もうすぐ貴様らの体重は5トンを超える。心臓がいつまで保つか楽しみだ。もう首を回すことすらできまい」
 嘲笑に対する吹抜の返答は一言だけだった。
「どうかな」
 何気ないようなその一言に込められたものがオメガの動揺を誘う。
 それだけではない。
 吹抜の顔が徐々に上がりつつあった。
 既に上半身だけでも数トンの荷重がかかっている筈の男が、腕のみで上体を起こしかけているのだ。
「ぬう、き、貴様」
 圧倒的に有利な立場にいる筈のオメガが何を感じとったのか、うめき声を発した。
 何かに怯えているように。
 うつむいていた吹抜の顔が、胸が、月の光に照らされていく。
 首から下げたラピスが輝いた。自らが光を放っているかのようだ。
 オメガの動揺が更に激しくなる。理由は判らない。だが、その胸中にあるのはいまや確信に近い敗北への予感だった。
 ラピスの輝きがいっそうと冴える。
「くたばれぇ!」
 ついに耐えきれなくなったのか、オメガが絶叫する。ラピスの事は既に思考の中に無かった。
 同時にその肩が上に開く。そこにせりあがって来たのはパラボラ状の異様なメカニズムだ。
 異常に太いコードが体内へと続き、凶々しいエネルギーが全体に満ちている。
 すでに片膝をつき、半分立ち上がりかけている吹抜に上半身を向ける。
 銀粉を振りまいたかのような光の粒が、オメガの上半身にまとわりつき始めた。
 それは、邪悪な食虫植物がその花弁から毒々しい花粉をまき散らす様にも見えた。
 微かな振動音がその体内から響きだした。
「陽電子ビーム砲でこの地上から塵ひとつ残さず消え去るがいい」
 吠えるような叫びは狂気をはらんでいた。
 メカニズムがせりだしてからエネルギー充填まで約30秒。
 あと残り12秒で、眼前の敵は素粒子レベルで消滅する運命にある。
 カウントダウンは続く。
 9、8、7、6、残り5秒だ。
 ようやく勝利の感覚が戻ってきた。眼前の吹抜はさきほどの姿勢からぴくりとも動かない。
 陽電子ビーム砲の準備が完了した事を知らせる神経パルスが、前頭葉を刺激する。
 唇の端に歪んだ微笑が浮かぶ。
 オメガが体内の凶悪なエネルギーを開放しようとしたまさにその時。
 足元で何かが動いた。レーダーには探知されていなかった物体だ。
 反射的に下を見る。
 なにか黒いものがうごめいている。
 瞬時にズームアップされた視界に映しだされたのはモグラだった。
 さきほどの重力攻撃でえぐられた道路の割れ目から半身を出してもがいている。
 ゆっくりと視線を元に戻した。
 吹抜が立ち上がった所だった。
(なるほど、これがラピスのパワーか。だが…)
(…たとえ視線を逸らそうが、吹抜、貴様の姿は体内レーダーにミクロン単位の精度で捉えられている。この俺に隙は生じはせんぞ。貴様が塵に帰す瞬間が数秒先に伸びただけのことだ)
 足を軽く引き、身構えた。
 もはや次はない。
(さらばだ、吹抜)

 突然、周囲が明るくなった。雷鳴のような轟音が響きわたる。
 空を見上げると巨大な火の玉が西の空へと流れていく。
 激しい電磁障害が生じていた。
 レーダーがまったく効かない。
 
 その時、八王子上空を巨大流星が流れたのは後にアマチュア天文家の報告により判明する事実である。
 
 はっと顔を戻した時には、吹抜の姿は視線の先には無かった。
 砥ぎ澄まされた銀の刃のような殺気が胸の中心を突き抜ける。
 光速の伝達速度をもつ電子擬似神経系が防御の命令を出すよりも早く、懐深く入り込んだ吹抜の掌はその軌跡をたどった。
 数十ミリ秒遅れて陽電子ビームが発射された。
 大気と対消滅反応を起こしながら流れる陽電子の粒子が、ナイフの刃のように暗く鈍く光りながら夜空につき刺さる。
 消滅するほんの数瞬の間に、オメガの身体の動きとともに流れたビームは京王プラザホテルに命中した。
 その瞬間に大道寺が感じたのは「光」だった。あまりにすさまじいために圧力さえ感じさせる光がホテルの中腹から広がる。
 爆風がその後に続き、そして衝撃波はほとんど同時に襲って来た。
 対消滅による物質−エネルギー変換反応は、すさまじい破壊を八王子の駅前に出現させていた。
 崩れる京王プラザの一角が駅ビルを削りながら落ちてゆく。
 衝撃波によって駅前ロータリーの噴水が根こそぎ吹き飛び、タクシーがマッチ箱のように宙を舞う。
 まさしく地獄のような光景が展開していた。
 大道寺に出来ることは地面に伏せ、ただ吹抜の名前を叫ぶことだけだった。
 
 十数分後、すべてが収まった後、奇跡のように無傷だった大道寺が見たのは朝焼けに半身を染め立ち尽くす2人の姿だった。
 だが、その姿のなんと無残な事か。
 吹抜に覆い被さるように立つオメガの右半身の肩から右手は失われ、高熱にさらされたためか、全身のあちこちと顔のほとんどが半ば壊れたメカニズムを露出させている。
 電子系統は完全に停止しているようだ。生身の部分がどの程度あるのかは判らないが、生命の気配は感じとれない。
 その影から吹抜が静かに後ろに下がった。
 驚いたことにぼろぼろの服以外はほとんど無傷だ。
 オメガの顔を見上げる。
 吹抜の動きが判る程度の機能は生きていたのか、それとも吹抜がタイミングをはかったのか、それと同時にオメガの左の電子眼に弱々しい光が点った。
 唇がかすかに動く。
「…さ…すが…だ…だが…ルル…ドの…聖…母からは…」
 そこまでが限界だったのかオメガの首が、がくりと落ちる。
 ごとりと、その左手が地に落ちた。それだけではない、頭が、胴体が、足が、次々に崩壊していく。
 自己分解機能を有していたのか、数十秒後にはオメガの体はもはや周囲の残骸と区別がつかなくなっていた。

 吹抜の手によって助け起こされながら大道寺が呟く。
「奴、ルルドのなんとか、とか言っていたな」
 ああとうなずき、吹抜が口を開いた。
「俺の知る限り、その名前に一致する組織でこのラピスを狙うような奴等はただひとつだけだ」
 そして南の空を見上げる。
「手掛かりはインドネシアにある。パオパオだ」
 理由は言わない。いつもの吹抜の癖だ。大道寺もあえて聞こうとはしない。
 代わりに吹抜の背中をぽんとひとつ叩き、うなずく。
「行くしかないな。俺も当然つきあうぜ」
 大道寺に微笑を返し、吹抜は元、自分の店だった、今は廃虚と化している場所へと向かった。
 がらがらと瓦礫の山をかき回して上着とジーンズを取り出す。
 どうやら、タンスの置いてあった部屋の辺りらしい。
 ぼろぼろの服を取り替えると吹抜は大道寺の方に向き直った。
「で、どうする。いつ出かける?」
 大道寺が面白そうに尋ねる。
「今日、これから出発だ。敵の動きもこれからますます激しくなるだろう。急いだほうがいい」
 肩をすくめて後ろを指差す。
「それにもう店も無くなっちまったしな」
 はははと明るく笑いかえす大道寺と2人並んで、吹抜は京王八王子駅に向かって歩き出した。

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