2007.02.10

誤字等No.163

【振るってご参加】(誤変科)

Google検索結果 2007/02/10 振るってご参加:38,400件

セミナー、集会、懇親会。
日々開催される様々なイベントで、主催者は多くの参加者を募ろうとします。
当然、ネット上でも、参加を呼びかける告知の文章が大量に生み出されています。
そんな場面で、決まって多用される言い回しがあります。

「ふるってご参加ください」

この「ふるって」とは、「自分から積極的に」といった意味の言葉です。
つまり、ここで求められているのは、単なる「参加者」ではありません。
自ら進んでそのイベントに参加したいという意思を持っている人です。
さして興味もないのに、なんとなく参加する人は「お呼びでない」のです。
「強制されたから」という理由で、仕方なく参加する人も「対象外」です。
一方的な呼びかけでありながら「自発性」までも要求するとは、欲深いものです。

ふるって」は、漢字で「奮って」と表記します。
やる気にあふれる、「奮い立つ」の「奮う」です。
漫然とした「無気力な姿勢」の対極にある、鼻息も荒い姿です。
主催者は、参加者たちにどこまで多くを望むのでしょうか。

ところで、この「奮って」という言葉。
現実問題として、用法はあまり多くありません。
「ご参加ください」あるいは「ご応募ください」につなげて使う場合がほとんどです。
よく目にするわりには、使用場面が極めて限られていると言えます。

そのためでしょうか。
この言葉は、ある種「枕詞 (まくらことば)」のような使われ方をされています。
そこでは、言葉としての「正確な意味」は重視されていません。
すなわち、実際には上記のように「積極性」を要求しているわけではありません。
あくまで「語調」を整えるために付加されているに過ぎないとも言えます。

そのような「曖昧性」のある言葉は、表記自体も曖昧になりがちなもの。
奮って」についても、別の漢字で表記したものが蔓延しています。
その中でも大きな勢力を備えているものが、今回の表題「振るってご参加」です。
調べてみると、結構な件数がヒットします。
同様に、「振るってご応募」もたくさん見つかります。

ふるって」という「読み」は知っているが、意味は「なんとなく」程度にしか理解していない。
そんな状況で、「ふるって」が「振るって」と変換されたなら。
素直にそのまま使ってしまうというケースは、十分に考えられます。
誤変換が見逃される理由のひとつは、ここにありそうです。

ただ、ひとつ気になることがあります。
ふるって」から変換される漢字は「」だけではありません。
誤字の原因が「意味の曖昧性」にあるなら、他の変換候補も登場しているはずです。
実際に調べてみましょう。

降るってご参加:11件
揮ってご参加:40件
震ってご参加:11件
篩ってご参加:1件
古ってご参加:2件

見つかりはしましたが、結果はきわめて少数でした。
振るって」とは比べ物になりません。

なぜ、数ある誤変換の中で「振るって」だけが突出しているのでしょうか。
これだけの違いが生じるからには、何らかの理由があるはずです。

もしかすると、多くの漢字変換プログラムで「最初」に出てくる変換結果が「振るって」なのかもしれません。
最近のプログラムは結構賢いものが多いので、数ある変換候補からいちいち「選択」する必要はあまりありません。
最初に表示された候補をそのまま確定するといった操作が、大半となるのではないでしょうか。
もし、そのようなプログラムで「ふるって」を変換したとき、最初に表示される候補が「振るって」だとしたら。
そのまま疑問を持たずに確定してしまう人は、少なくないことでしょう。

とはいえ、これでもまだ「振るって」の圧倒的な件数を説明するには弱いです。
他に考えられる原因は、何でしょうか。

考慮すべきは、「振るって」で正しいと思い込んでいる人の存在です。

振るって」を正解と信じていれば、その人にとってそれは「誤変換」ではありません。
意識した上での「正確な表記」です。
自らの書いた文章を何度読み返したとしても、そこに「間違い」があることに気づくことはないでしょう。

振るって」で正しいと思い込むに足る、何らかの根拠。
それがあれば、検索結果の件数をいくらか説明できそうです。

可能性としてあるのは、「振るって」の語感から独自の解釈が行われていることです。
「はりきって参加する」といった意味合いにとらえれば、納得してしまうかもしれません。
もともと「奮う」と「振るう」は同じ語源を持つ言葉のようですから、無理の少ない解釈とも言えます。

一般的に、誤字であっても「それでも意味が通じるように思える」ものは、広く使われる傾向があります。
厳密な解釈は必要ありません。
なんとなく、「それで正しい」と思えてしまうだけの説得力を持ち合わせていれば、十分。
そのような誤字は、概して強いものです。
振るって」の表記がこれほど蔓延しているのも、そのためかもしれません。

そしてもうひとつ。
私は、「主催者」側の心理にも解決のヒントがあると考えます。

参加者を募る主催者の望みは、何でしょうか。
無論、そのイベントが盛り上がり、成功を収めることです。
そのためには、たくさんの参加者を集めることが必須です。

もし、人々の召集に失敗したら。
そのイベントは「不振」、すなわち「振るわなかった」ことになります。
主催者は、人がたくさん集まり、イベントが「振るう」ことを望んでいるのです。

そのような心理が背景にあると考えれば。
ふるって」を「振るって」と表記する気持ちも理解できるのではないでしょうか。

「結果」を求める先走りの心が影響した表記。
振るってご参加」には、そんな側面が隠されているのかもしれません。

ただし、このような主催者の考え方には、ひとつ大きな問題があります。
それは、イベントを主催する「自分」にしか視点を置いていないことです。

振るって」の表記にあらわれるのは、「結果」としての成功を望む気持ち。
一方、本来の形である「奮って」に込められているのは、参加者の意志です。

自らの都合のみを意識し、他者の心理を理解しようとしない姿勢。
そのような心構えの持ち主が、何らかの「成果」をあげることは極めて困難です。
主催者側がそのような人間だけで構成されていては、そのイベントは悲惨な結果を迎えるでしょう。

人間を相手にした活動において最も重要な、「相手の気持ち」に意識が及んでいるかどうか。
「他者の立場」でものごとを見る能力を備えているかどうか。
ささいな言葉遣いの中に、人としての「資質」が見えてくることもあるものです。

自己中心思想の罠に陥って、大切なものを見失っていないかどうか。
一度立ち止まって考えてみるのは、いかがでしょうか。

……などと偉そうな台詞で終わるのもどうかと思いますので、最後にもうひとつの亜種をご紹介。
件数こそわずかながら、なんと「奪ってご参加」という表記もみつけてしまいました。

確かに、「奮って」と「奪って」は形の似ている漢字です。
しかし、いくらなんでも、この誤字を見逃すのはお粗末過ぎます。
数の少ない入場チケットを、力ずくで奪い取ってでも参加しろということなのでしょうか。
自分の主催するイベントにそこまで自信があるのなら、たいしたものですね。

[実例]

日本人とは、かくも「誤変換」に弱いのでしょうか。
このような「誤変換」が原因と思われる誤字等の品種を、「誤変科(ごへんか)」と命名しました。

[亜種]

振るってご応募:13,400件
降るってご応募:6件
揮ってご応募:9件
震ってご応募:1件
奪ってご参加:9件
奪ってご応募:1件

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