2004.09.24

誤字等No.112

【見れられる】(過不科)

Google検索結果 2004/09/24 見れられる:317件

いつのまにやら続いてしまった「見られる」シリーズ。
ついに第四回となりました。

前回ご紹介した「見れれる」は、「ら抜き」状態の「見れる」に「れ足す」が加わったと見られる言葉でした。
この「れ足す」現象が、「ら抜き」になる前の形で発生すると、どうなるでしょうか。
それが、今回の表題「見れられる」となります。

前回、「れ足す」は、「可能動詞」に馴染めない人が助動詞「れる」を追加してしまう現象であると推論しました。
「可能動詞」ではなく、助動詞「られる」を伴った形の「見られる」に「」を追加してしまっているとしたら、前回ご紹介した「れ足す」とは趣が異なります。
なんとも「変」な言葉という印象ですが、検索してみれば意外と見つかるものです。

その「見れられる」を分解してみると、「可能動詞」の形をした「見れる」に、可能の助動詞「られる」を付けたものとなっています。
二重の可能表現、とでも言いましょうか。
なにがなんでも「可能」の意味を強調したい、という思いが伝わってくるようです。
または、「られる」の意味が「可能」に限定されないところから不安になり、結局「」を加えてしまうとも考えられます。

無論、「見れる」あるいは「見れれる」という形から「修正」しようとして間違えた、という可能性もあります。
あるいは、「見れる」という形を当たり前のものとして受け入れているために、「ら抜き」と非難されてもどうすれば良いのか分からない、という人もいるかもしれません。
本来の「見られる」という形に思い至れず、苦し紛れに語尾だけを「られる」に変えてみると、「見れられる」という形が出現します。

…という可能性もありますが、「られる」という助動詞の持つ「可能」の働きを強調したがっているという仮説も、捨てがたいものがあります。
その理由は、このような「可能表現の重複」に関して、さらに「一歩進んだもの」が実在するからです。

それは、「できることができる」という言い方。
思わず「二回も言わなくても分かります」と言いたくなってしまいますが、時折見かけることがあります。
どれほど使われているのか、実際に調べてみましょう。

できることができる:2,150件
できることができて:188件
できることができた:259件
できることができ:319件
できることができれば:198件
出来ることが出来る:116件
出来ることが出来て:51件
出来ることが出来た:22件
出来ることが出来:34件
出来ることが出来れば:22件

結構な件数になりますね。
これだけで独立した誤字等としてみても面白いくらいに、多用されています。
「終了させることができることができることができる」とまでくると、もう何が何やら。
そんなにまでして、「可能」なことを主張したがる理由とは、何なのでしょうか。

他にも、「見れることができる」といった形もあります。
せっかく「ら抜き」で「可能」の言葉を作ったのに、「ことができる」を付けたら意味ないですね。

ことができる」を付けないと、「可能」の意味を表現できないのでしょうか。
それとも、「可能」=「ことができる」という、単純化思想なのでしょうか。

単に「日本語が不自由」とか「表現力が貧弱」といった問題で済むとは思えません。
大げさかもしれませんが、これらの言葉遣いからは、何らかの「強迫観念」に苛まれてしまっている人たちの姿が浮かび上がってきます。
ここまで「可能」の表現が強調される背景には、一体何があるのでしょうか。
「できる」を繰り返してまで「可能」を主張する人には、どのような心理が働いているのでしょうか。
詳細に分析してみると、興味深い結果が得られるかもしれません。

さて、「見られる」シリーズは、ひとまずここまでとします。
まだまだ「見られれる」「見られられる」「見られらる」といった仲間もいるのですが、さすがに件数が少ないようですので。
いずれまた何か面白い変種を見つけたら、登場させるかもしれません。

[実例]

日本人とは、かくも「文字の過不足」に弱いのでしょうか。
このような「文字の過不足」が原因と思われる誤字等の品種を、「過不科(かぶか)」と命名しました。

[亜種]

着れられる:12件
出れられる:22件
起きれられる:19件
食べれられる:364件
投げれられる:8件
逃げれられる:14件

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