2005.11.12

【誤字等の談話室 37】

誤字等の館 (ごじらのやかた) に寄せられる読者様のコメントに対して館主が答える「誤字等の談話室」、その第37弾です。

[083]

こんにちは。いつも楽しく拝見させていただいております。
先程、タモリのジャポニカロゴスを見ていたら、「申し訳ありません」が誤用だということが取り上げられて
いました。
「とんでもありません」が誤用で「とんでもないです」が正解なのは存じておりましたが、「申し訳ない」も
それと同類だということを今日初めて知って少々ショックでした。(普通に使っていることもあり・・・)
当方、Googleで検索をかけてみましたところ、膨大な数がヒットしてしまいました。それだけ根付いてしまっ
ていると思われますが・・・
考察の価値があるかも知れないと思いました。

その番組は見ていないのですが、単純に「間違い」と断言したのでしょうか。
だとしたら、困ったものです。

確かに「申し訳ない」は、全体が一語の「形容詞」扱いされています。
であれば、「とんでもない」と同様、「ない」を「ありません」や「ございません」に変えることは間違い、と言えます。

しかし。
私は「申し訳ありません」を誤用と断定することには反対です。
なぜなら、「申し訳ない」は、明らかに「申し訳」+「ない」と分解できるからです。
「申し訳 (もうしわけ)」は実在の名詞であり、助詞を使って「申し訳がない」と表記する分には何も問題ありません。
「とんでもがない」と言えない点で、「申し訳ない」と「とんでもない」を同列に論じるのは明白な誤謬です。

この「申し訳がない」の「が」が省略された形が「申し訳ない」だと解釈することは、可能なはずです。
一語の「形容詞」として見るだけが答ではありません。
「名詞」+「ない」だとすれば、当然「ない」を「ありません」に変えることは可能です。
つまり、「申し訳がありません」であれば、間違いではないわけです。
この「が」を省略して「申し訳ありません」にすることに、何の不都合があるでしょうか。

同じような形をしている用例で、上記のように「が」を省略することは決して珍しいことではありません。
問題がないことを「問題ない」と言って何か問題あるでしょうか。
不満がないことを「申し分ない」と表記することは間違いでしょうか。
他にも、「意味ない」「変わりない」「とりとめない」「なすすべない」などなど。
すべて、途中の「が」を省略した形です。
これらを「問題ありません」「意味ありません」「なすすべありません」のようにしたら、誤用なのでしょうか。

最近、テレビ各局で「日本語」を題材とした番組が林立しています。
「日本語」に関心を持つ機会が増えるということについては、歓迎すべき事態だと思っています。
あまりに各局横並び過ぎて、一過性のブームとして使い捨てにされる懸念もありますが。

テレビ番組はあまり見ない私ですが、何度かは「日本語」関連の番組を見ました。
正直言って、少々失望しています。
それは、どの番組も「これが正しい」「これが間違い」と「正解」を押し付けるだけの安易な作りになっているためです。
諸説あるような問題であっても、出演している「学者」本人の自説に従って「正解」が決められてしまいます。
それでは、知識を詰め込むだけの学校教育と何も変わりません。
多くの人は、「へぇ、そうなんだ」で終わってしまうことでしょう。

多くの場合、言葉の解釈は一通りとは限りません。
「正解」は、ひとつとは限らないのです。
そのような可能性を無視して、自分の信じる「正解」だけを語る姿勢には、知性など感じられません。

所詮、このようなテレビ番組は「楽しければそれでいい」という価値観のもとに作られた存在です。
「教育的効果」のようなものを期待する方が間違っていることは分かります。
しかし、これら安直な「正解の押し付け」が、日本人の望んでいるものなのだとしたら。
知識はあっても知恵のない、ロボットのような人間ばかりが増えていくことになりそうです。

「本当にそうなのか?」と疑う心を持てるかどうか。
それが、この種の情報をただの「娯楽」のみで終わらせないための方法です。

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