2005.12.18

【誤字等の談話室 40】

誤字等の館 (ごじらのやかた) に寄せられる読者様のコメントに対して館主が答える「誤字等の談話室」、その第39弾、じゃなくて40弾です (2007.1.10修正)。

[086]

申し訳ないについての談話室を読ませていただきました。
まだ20年しか生きてない私が意見させていただくには大変恐縮ですが、
ふと思ったことがあったので発言させていただきます。

分割できる「ない」は打ち消しの意味を持つものだと文法で教わった記憶があります。
そして打消しの「ない」は「ぬ」に置き換えることができるとも教わった記憶があります。
つまり、申し訳+ない の本当の形は
申し訳がつかない という言葉がいつしか略されて「申し訳ない」となったのではないでしょうか?
思考の流れはこうです。
申し訳ぬ というのはおかしい→しかし分割はできる→略されて変化したのでは?→申し訳がつかない→申し訳がつかぬ・・・
同じ意味合いで「面目ない」も説明がつくと思います。

「ない」にはいくつもの意味があります。
「有る無し」の「無い」、「打ち消し」、あるいは「強調」など。
そして「打ち消し」の意味を持つものだけでも、その用法は多岐にわたります。
形容詞に付く場合、名詞に付く場合、動詞に付く場合、それぞれで使い方が異なるのです。

そのなかで、「ぬ」で置き換えができるのは、ひとつしかありません。
つまり、「ぬ」で置き換えられるかどうかは、このたったひとつの用法(助動詞の「ない」)を見分ける手段でしかありません。
置き換えができないから分割できない、などというのはまったくのでたらめです。
置き換えができないのなら、他の用法であるというだけの話。
おそらく、どこかで何か勘違いをして教わってしまったのでしょう。

「面目ない」は、「名詞」に「ない」を付けて否定の形容詞に変えた形です。
「関係ない」「間違いない」など、類例はたくさんあります。
「申し訳ない」も、同じ形です。
途中に「が」を入れても意味は変わりませんので、助詞がひとつ省略された形とみることは可能です。
わざわざ「申し訳がつかない」などの回り道をする必要はありません。

と、いろいろ書きましたが、自分なりに考えてみるという姿勢は非常に良いですね。
専門家の言葉を鵜呑みにするだけでなく、自分の頭を使って考えること。
現代人が忘れがちな、とても大事なことです。

[087]

【誤字等の談話室 39】の「漢字表記の間違い」について「誤字等」として自己分析し、公開されるお考えはありませんか。
想像や推測ではなく、自らの体験に基づく解説をされることは意味のあることと思います。
多くの人の参考になるはずです。
是非ご検討ください。

私自身も「完璧」には程遠い人間ですので、間違いはよくあります。
気付かずに文章を公開してしまい、ご指摘を受けて修正したことも何度もあります。
実際、自分の間違いを誤字等としてネタにしたことも過去にあります。

確かに、自分自身の間違いは分析しやすいです。
でも、分析しやすいからこそ、あまり考察を発展させられないんですよね。

特に今回の間違いは断定の助動詞「たり」を「足り」と誤変換してしまったものでして、あまり面白いものではありませんでした。
考察してみても、話を膨らませるだけの内容が出てきません。
何か興味深い切り口を見つけたら、そのときに考えることにします。

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