2008.06.07
誤字等の館 (ごじらのやかた) に寄せられる読者様のコメントに対して館主が答える「誤字等の談話室」、その第59弾です。
『申し訳ありません』の件です。 『申し訳』と『ない』に分けられるから正しいという自論をお持ちのようですが、 私はそうは思いません。なぜなら、『申し訳ある』とは言わないからです(申し訳 があったら先に言え!となりますが)。 『申し訳ない』の反対語(?)にあたる『申し訳ある』という言い方が存在しない のに、そこから派生した『申し訳ありません』という言い方はおかしいと思います。
こういった議論は、楽しいですね。
お付き合いします。
まず、「申し訳ない」に助詞を入れて、「申し訳がない」とした場合。
反対語(?)は「申し訳がある」ということになりますよね。
これも「存在しない言い方」でしょうか。
文法的に、どこか変なところ、ありますか?
助詞を省いて「申し訳ある」としたときと、何か違いがあるのでしょうか。
文法としては正しくても「普通は使わない表現」というものは、たくさんあります。
たとえば、「跡形もない」という言葉。
その反対、「跡形もある」と言いますか?
「造作ない」の反対で、「造作ある」と言いますか?
「願ってもない」の反対は「願ってもある」ですか?
「面目次第もある」
「非の打ち所がある」
「天にも地にも掛け替えある」
このような言い方は存在しないから、「面目次第も」「ない」と分解できないことになりますか?
ということで、
『申し訳ある』という言い方が存在しない
ここがダウト。
「普通は使われない」ということと、「存在しない」ということは、別物です。
よって、「反対語」が存在しないから、という説明は私にとって説得力がありません。
以上。
次の反論、お待ちしています。
「長年の間」は「小さな小川」と同様に重複ではないかと考えますが、 辞典を見ても、出ていません。 友だちの文章の中にあったので、「長い間」・「長年」でいいのではか と私が言いましたが、本人は「こう、言ってきたのだから、これでいい」 と主張します。 「長年の間」について教えてください。
確かに、「長年」だけで意味は通りそうですね。
でも、少し分解して、「長い年月の間」と言ったらどうでしょう。
これも「重複」ですか?
「長年」は経過時間の長さを示し、「間」でその期間ずっと、という継続性をあらわす表現。
そう考えれば、特に問題ないのではないかと考えます。
「誤字等の談話室13」の[055]の項で 『とことんまで「不快」な文章になってしまう危惧があります』 と書かれていますが、この『危惧があります』という言い回しが、どうもなじめません。 『惧れがあります』または『〜ことを危惧します』なら落ち着きますが。 たいしたことではないかと思いつつも…。
「危惧」と「惧れ」は、どちらもほぼ同じ意味の名詞だと思うのですが…
「懸念があります」「心配があります」などではいかがですか。
私が推測するに、「なじめない」理由は、「危惧する」というサ変動詞の存在ですね。
普段「動詞」として意識している言葉だから、それを一般的な「名詞」として使われると違和感がある、と。
「危惧が感じられます」「危惧を表現する言葉として」「危惧の存在が予見されます」
といった例でも、落ち着かないものがありますか?