2008.02.03

【誤字等の雑記帳 7】

日本語についての話題を、とりとめもなく書き連ねるコーナー「誤字等の雑記帳」、その7です。

[すべからく]

すべからく」という言葉があります。
「当然」「必須」といった意味で、「何かをしなければならない」という気持ちを示します。
よく使われる例文は、以下のような形です。

学生はすべからく勉強すべし。

学生は当然勉強しなければならない、勉強することが学生の義務である。
とでも受け取ればよいでしょうか。

ところが、この「すべからく」に対して、少々異なる解釈を持つ人たちがいます。
そのような人にとっては、例文は下記のような意味になります。

すべての学生は勉強しなければならない、学生なら全員勉強するべきだ。

この違い、わかりますか?
そう、「すべからく」のことを、「すべて」を難しく表現した言葉だと思い込んでいるのです。

すべからく」は、「漢文」の訓読に由来した言葉です。
「話し言葉」としては登場しない、いわゆる「文語」であり、かなり「難しい言葉」の部類に入ります。
そんな側面もあり、自らの文章に「重み」を持たせたいと考える人が好んで使用する言葉のひとつでもあります。

ところが、そんな場面で意味を取り違えていては、完全に「逆効果」です。
特に、「すべからく」と「すべて」を混同する間違いは、その安直さ、単純さ、浅はかさがかなり目立ってしまいます。

そのような間違いをする気持ちも、理解はできます。
「必ずそうすべきだ」と「すべてはそうあるべきだ」のニュアンスは識別しづらいことがありますから。
上記の例文であれば、途中の「すべからく」と文末の「べし」が実は「セット」であることを「知識」として知っていないと、誤読が発生してしまうわけですね。

すべて」と置き換えの効く言葉は、結構たくさんあります。
「あまねく」「残らず」「ことごとく」「総じて」「根こそぎ」「一切合切」……などなど。

これらの数多ある表現と比べても、「文語」である「すべからく」には、一種の「格調高さ」があります。
その誘惑にあっさりととらわれてしまう人たちが、世の中にはたくさんいるのですね。

実際問題として、いちいち「意味を調べてから言葉を使う」ことを日常的に行うのはとても大変です。
たいていは、深く考えることなく「フィーリング」だけで言葉を選ぶことになるでしょう。
多少言葉の使い方を間違えていても、意味を取り違えて解釈されるおそれさえなければ、さほど問題にはなりません。

ただし、難しい言葉を「背伸びして」使ってみるときは要注意です。
うまくいけば文章全体に「カタい」印象を与えることができますが、そこで「使い方」を間違えるとせっかくの演出も台無しです。
自らの底の浅さを露呈し、文章全体の信頼度を低下させることにもつながりかねません。

難しい言葉を使うときは、すべからく慎重であるべし……ということですね。

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