2004.08.23
誤字等No.106
Google検索結果 2004/08/23 笑う角には:2,870件
「笑う角には福来る」。明るくニコニコと笑いながら角を曲がれば、そこにはきっと幸福が…
違います。そんな諺(ことわざ)はありません。
有名な諺ですが、なかなか正確には覚えてもらえていないようで。
正しくは、「笑う門には福来る」。「角」ではなく「門」です。
「門松 (かどまつ)」の「かど」ですね。
「門 (かど)」とは、家の出入口である「門 (もん)」から派生して、家そのもの、あるいは「家族」「一族」などを表す言葉です。
一家揃ってにこやかに笑っている家庭なら、確かに幸せなのでしょう。
ささいなできごとも「幸福」として受け止めることができれば、自然と「幸運」が寄って来るように思えるものです。
その状態こそ、まさに「福来る」の正体と言えます。
「角」を曲がったその先に偶然幸運が待っている、といった他人任せな言葉ではないのです。
「かど」を「角」と誤変換してしまっただけならば、「誤変科」に属する誤字等となります。
ところが、検索結果には「門」と「角」を取り違えた「勘違い」が多数見られました。
そこで誤字等の館では、これを「取違科」に分類することにします。
現代日本語では、「門」という漢字を単体で「かど」と読む機会は多くありません。
それに対して「角」の方は、「corner」の意味で普通に使われる言葉です。
「かど」とだけ言われて思い浮かべる漢字表記は、「門」よりも「角」となることでしょう。
そう考えれば、「わらうかど」が「笑う角」になってしまうのも仕方のないところです。
問題は、これが「諺」として成立している言葉であるということ。
「諺」は古くから言い伝えられてきた格言の類で、その形は「決り文句」として定着しています。
意味にも表記にも「工夫」する余地はなく、諺を使えるかどうかは「知っている」か否かにのみ依存します。
疑問を持たずに「笑う角」という表記を使っている人は、この諺を「本当は知らない」ということを自ら証明しているのです。
意味まで正しく分かっていれば、「角」という表記になるはずがありませんから。
このように「よく分からない」状態で諺を使うことは、あまり推奨できるものではありません。
変な勘違いをしていることが発覚すれば、恥をかくこともあるでしょう。
そしてそれ以上に、本来とは異なった解釈によって「意思疎通」の妨げともなり得ます。
「よく知らない」のなら、諺など使わない方が身のためです。
どうしても使いたいなら、まず「本当の意味」を知ってからにしましょう。
ところで、「笑う門には福来る」に関しては、後半の「福来る」の部分が「服着たる」などと表記されていることもあります。
これは誤変換ではなく、「駄洒落」の世界ですね。
「笑う角には」と書いて「笑うツノには」と読んでいる人もいるようですが、これもただの駄洒落…ですよね?
日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。
笑う門には副来る:8件
笑う門には服着たる:30件
笑う過度には福来る:13件