2006.12.09

誤字等No.160

【まがいなりにも】(取違科)

Google検索結果 2006/12/09 まがいなりにも:21,800件

今回の検索、意外なほど多くのページがヒットしました。
しかも、「間違いの指摘」らしき文章は見当たりません。
純粋な「間違い」の実例が、次々と検索結果に出現します。

いつのまにか、ひっそりと、広く深く浸透している巨大な誤字等。
ネットの海には、まだまだこんな逸材が眠っていたんですね。

おそらく、本当に書きたかった言葉は「まがりなりにも」 なのでしょう。

十分とは言えないが、不完全ながらどうにかこうにか、といった意味の言葉です。
漢字では「曲がり形にも」と表記します。
自分自身の謙遜のために、相手への皮肉のために、苦しい状況を説明するために。
色々な場面で、結構重宝されています。

なぜ「まがり」 が「まがい」 になってしまうのか。
その原因を、いくつか考えてみます。

最も単純な原因と推察されるのは、ただの「打ち間違い」です。
ローマ字入力で「MAGARI」と打ったつもりで「R」を打ち損えば、結果は「MAGAI」となります。
このくらいの打鍵ミスは、そう珍しいことでもないでしょう。

だとしても、それがWEBページとなって公開されるには、もう一段階ハードルがあります。
それが、「ミスの見逃し」です。

失敗、ミスにはすべて「発生原因」と「流出原因」があります。
「発生原因」、すなわちミスの生まれた要因が「打ち間違い」だとしても、それだけでは失敗は成立しません。
誰一人間違いに気づくことなく、そのまま見逃されてはじめて失敗は世界に出現するのです。
この「見逃し」の理由、すなわち「流出原因」は何でしょうか。

ひとつには、これがすべて「ひらがな」だけで書き記すことのできる言葉であることが挙げられます。
ひらがなを打った後で「漢字変換」を行う作業が必要ないため、間違いに気づくチャンスが少ないのです。

さらに、さらに「」と「」の形が似ていることが重要なポイント。
両者は、「見間違い」を発生させるに十分な類似度と言えるでしょう。
画面に表示されているのが「まがい」 であったとしても、それを「まがり」 と脳内補正してしまうことも考えられます。
そうなれば、よほど注意深く見ていない限り、間違いに気づくこと自体が至難です。

しかし、原因がこれだけだとすれば、この「実例」の件数を説明しきれません。
また、もうひとつの「」を間違えた「まがりないにも」なる言葉がほとんど見つからないことも説明できません。
単なるミスではない、「もうひとつの現象」が、主要な原因の地位を占めていると考えられます。

実際、具体的な文例を見ていけば、自然とひとつの仮説が浮かび上がります。
それは、「まがい」 で正しいと思い込んでいる人がいること。
それも、かなり多数の人間がそう思い込んでいるとみて間違いありません。

この誤字等が生まれたもうひとつの原因、それが「取り違え」による「間違った思い込み」です。

文字として書かれた「まがり」 を「まがい」 と読み間違えたのか。
会話の中で聞こえた「まがり」 を「まがい」 と聞き間違えたのか。
あるいは、記憶がどこかで混乱したのか。
まがいなりにも」 なる言葉を「実在するもの」として認識してしまった人たち。
そのような人たちは、自ら意図して「まがいなりにも」と記載しているわけです。
そこに「間違いの自覚」は存在しません。

この場合、「発生原因」は同時に「流出原因」ともなります。
本人は「正しい」と思い込んでいるのですから、「間違いに気づく」ことは不可能です。
文面を何度チェックしようとも、他人の手を借りない限り、修正されることはありません。

その過程を端的に示すのが、「まがい」 を漢字表記した亜種である「紛いなりにも」です。
さすがに、これが「打ち間違い」によるものだとしたら、それを「見逃す」ことはそうそうあるものではないでしょう。

まがいもの (紛い物)」とは、要するに「ニセモノ」のこと。
本物と見分けが付かないほどよく似ているけれど、実際には模造品、イミテーションであるもの。
それが「まがいもの」です。

つまり、「まがいなりにも」 とは、「偽者ではあるけれど」という意味になるわけです。

なんとなく、それで意味が通ってしまうように感じられること。
それが、「間違った思い込み」が蔓延する理由ですね。

「本物」と呼べるほどではないにしても、少なくとも「見た目」だけは「それっぽく」なっている様子。
そんな状態を形容したいと考えているのでしょう。
もしかすると、「本質」より「見た目」を重視する時代の風潮が、背景にあるのかもしれません。

似てはいますが、両者が「同じような言葉」と思ったら大変です。
現実には、「まがり」 と「まがい」 の間には、はるかな開きがあります。
その実証例をお見せしましょう。

まがりなりにも大学を卒業した」と語る人がいたとします。
留年を繰り返したり、ひどい成績をとったりしたのかもしれませんが、大卒であることに違いはありません。

一方、「まがいなりにも大学を卒業した」人の場合はどうでしょうか。
大卒の経歴は「嘘」ということになります。
これはもう「学歴詐称」ですね。

まがりなりにも」 なら、まっすぐな姿にはなれなかったとしても、一応は「本物」です。
まがいなりにも」 は、見た目は本物そっくりでも、真実は「真っ赤な偽物」です。

よく似た言葉ですが、その違いは歴然。
まさに、「まがいなりにも」 という言葉そのものが、「紛い物」なのです。

このようなところで「間違った思い込み」をしている人は、一度疑ってみた方が良さそうですね。
自分自身の「知識」が、「紛い物」で構成されていないかどうかを。

[実例]

日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。

[亜種]

紛いなりにも:631件
まかりなりにも:962件
ながりなりにも:4件
まがりないにも:2件

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