2.百年戦争(1337〜1360)


    フランスとイギリスの戦いですから当たり前の事ですが戦争は最初海戦から始ま
  りました。

    海に関してはイギリスの方に分があったため、イギリスは緒戦をものにし、13
  40年にはオランダの小都市エクリューズで大勝しました。この勝利によって大陸
  に拠点を持ったイギリスは自由に大陸へ侵攻する事が出来るようになりました。

    当時、イギリスはフランスの西南部にあるギュインヌという所を植民地としてい
  たので最初はここを足掛かりにフランスを攻めるつもりでしたが、たまたま北フラ
  ンスのノルマンディが無防備であることを知り、急遽ノルマンディへと侵攻しまし
  た。
    これに対しフランスは西南方面から兵を引き上げクレシーという土地でイギリス
  軍を迎え討とうとしましたが完敗しました。フランス連戦連敗です。これが134
  6年の事です。翌年イギリスはドーヴァー海峡の入口にあるカレーを占領しますま
  す大陸への侵攻が楽になりました。
    このとき、フランスは軍備を整える事が出来ずイギリスに対し同条件で戦えるよ
  うになるまで戦うのを待ってほしいと申し出たのですが、イギリス国王エドワード
  3世に「スポーツをしてんるじゃない、戦争をしているんだ。馬鹿な事をいうな」
  と断られたといわれています。

    海運国であったイギリスが海戦はともかく陸戦でも強かったのには前にも書きま
  したが弩を使う歩兵の密集部隊が功を奏したのと(何しろこれに10数年もかけた
  のですからここで働いてもらわないとねえ)、フランスの騎士がクレシーの戦いに
  おいてイギリス軍のこの戦術の効果をみていたにも関わらず騎士がその地位(戦闘
  の中心となること)を保つため歩兵の力を認める事が出来ませんでした。

    さてこの後、戦争はローマ法王の提案により一時中断され、1350年にフラン
  スのフィリップ6世が亡くなりジャン2世が王位につくまでの3年間は平和な時期
  だったようです。
    このジャン2世はそれほど優秀な王ではなくどちらかといえば愚かだったようで
  王位につくとイギリスに対して、宣戦布告をし戦争を再開しました。しかし、それ
  はフランスを存亡の危機に陥れる結果となってしまいました。

    この時イギリスにはエドワード2世の長子で「黒太子(ブラックプリンス)」と
  呼ばれる名将エドワード王子がいました(父親と同じ名前だ)。彼は1356年に
  ポアティエの戦いで4倍もの兵力のフランス軍を破り、ジャン2世を捕虜にしてし
  まいました。
    国王を捕虜にされてしまったフランスでは後の名君シャルル5世となる王太子を
  摂政として当座の危機をしのぎました。なにせ、王様いないと臣下は戦ってくれな
  いからです。(このことについてはまた別の所で)

    そして1460年にプレティニでイギリスとの休戦条約に署名して因われの身と
  なっていたジャン2世を解放してもらったのですが、代わりにいくつかの領土をイ
  ギリス渡さねばならなくなりました。

    この休戦条約に署名したのは決して本意ではなかったのですがフランスは条約を
  結ばなければ行けない状況にあったのです。


次ページへ        前ページへ          目次へ
歴史の部屋へ     トップページへ

ご意見、ご感想はこちらまで