3.国内の情勢(フランス)


  (1)黒死病

    この戦争はフランス国民の生活をひどく苦しいものにしました。
    イギリス兵はフランスの領土を征服すると同時に掠奪を目的としていたので都市
  であろうと農村であろうと場所を選ばずに掠奪をしていました。
  
    「年代記」の作者フロワッサールは「農村は英軍とその同盟者によって完全に荒
  されたので、フランスの大軍は生活品を欠き、糧食の窮乏を訴えずにはいられなかっ
  た。彼らの周囲にみられるものといえば、ただ焦土と化した村落の廃虚から立ち上
  る煙の雲のみであった。英兵は、富裕で農穣な物資に恵まれた国を眺め、大量の小
  麦、贅沢な家、多数の牝羊、この世で最も美しい牝牛をみた。彼らは思う存分掠と
  り、そしてそれを戦利品として本国へ送った。」と伝えています。

    イギリス軍はとにかく手あたり次第に掠奪し、本国へ送ったらしくロンドンでは
  「遠征軍が帰った後は新しい太陽がこの国に昇ったようであった。多くの国民がフ
  ランスから得た戦利品で豊かになり、衣類、毛皮、夜具その他のフランスの品を
  持たない家はみられぬ程であった。家々にはフランスの家具、宝石、銀コップ、毛
  皮などがおかれていた。夫人は得にフランス風になることを好み、フランスの夫人
  が喪失を悲しんだ分、イギリスの夫人は取得を喜んだ」といわれていた所からうか
  がうことができます。

    また、1346年のイギリス軍はノルマンディの絹織物工業を壊滅させ、セーヌ
  川下流の交易を遮断したためますますフランスの生活はどんどん荒廃して行きまし
  た。

    さらに、フランスは戦争以外にも天災と人災にが同時に重なり国民はかつて無い
  苦しみを味わうことになりました。

    その一つは1348年から1350年に大流行した黒死病(ぺスト)です。
    ぺストが中世ヨーロッパにたびたび蔓延したことは皆さんもよくご存知だと思い
  ます。しかし、いままでのぺストはどちらかといえば局部的に発生していたのに対
  し、この時のぺストは広範囲にわたって流行したのです。
    当時は病気の原因は呪いであるとか悪魔の仕業と考えられる時代でしたから、ぺ
  ストはアジアとかエジプトなどの異教徒の世界からやって来たと考えられていまし
  た。実際にはクリミア半島から黒海、コンスタンティノープル、エーゲ海、イオニ
  ア海を渡ってシチリア島へとやって来たといわれています。これは当時の地中海貿
  易の1コースで、ぺストは貿易船のネズミやそれについている蚤、病人の咳や衣服
  等によって運ばれて来たようです。

    さらに、シチリア島にやって来たぺストはイタリア半島を北上してヨーロッパ全
  域に広まっていきました。

    ぺストには腺ぺスト、肺ぺスト、皮膚ぺストの3種類があり、この時流行したぺ
  ストは主に腺ぺストでこれに肺ぺストが加わりました。腺ぺストの特徴は首やわき
  の下、脚の付け根といったところが腫れ、高い熱が出てきて全身を悪寒に襲われや
  がて意識が混濁し、体のあちこちがしゅようでくずれて死んで行くというまさに悪
  魔の仕業の様な病気でした。

    この腺ぺストよりも恐ろしいのが肺ぺストです。
    肺ぺストにかかると咳や血痰を吐き、腺ぺストと同じく高熱におかされ呼吸困
  難におちいり精神に支障をきたし、最後には体がチアノーゼと呼ばれる全身がの
  皮膚が黒くなって死んで行きました。

    当時の医学では満足な医療施設が無かったため患者は見捨てられ、逆に健康な
  人がぺストがうつるのを恐れて付近の僧院に逃げこみました。そのため、全人口
  の20%〜25%が死亡し、とくに農村における耕作者の激減、労働力の不足が
  目立ちました。

    ぺストと並んで国民を苦しめたのが国王によって行なわれた頻繁な貨幣制度の
  改正でした。(実際には改正ではなく改悪でした)  


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