3.国内の情勢(フランス)


  (2)経済恐慌

    中世の通貨といえばおもに金や銀貨でしたが、国王は窮乏のあまり金、銀貨に
  混ぜる銅などの分量を増やし貨幣の価値を下落させてしまいました。このため、
  1336年には金貨1枚約20フランの価値だったものが1340年には半分の
  10フランになってしまいました。銀貨も同様に17フランが約6フランにとな
  りました。これにより物価が約2倍にと跳ね上がってしまいました。1度貨幣が
  改良されて価値が上がった年もありましたが、結局貨幣の価値が元に戻ることは
  ありませんでした。

    物価に関しては特に穀類の高騰が著しかったみたいです。
    例えば小麦の価格は以下の様に変わっていきました。
1セティエ(約156リットル)の価格1ヘクトリットルの価格
1340年4フラン292フラン75
6フラン944フラン44
10フラン726フラン87
1341年11フラン037フラン07
1344年26フラン9517フラン27
1346年
(貨幣の改良された年)
7フラン19
1351年58フラン37フラン18
    もちろん、上がったのは穀類だけではなく工業製品も同じように高騰したでしょ
  うし、戦争で外国商人が来なくなったため香料、絹織物等の外国製品を扱う商人
  も売るための品物が手に入らなくなり大打撃を受けました。

    黒死病による労働力の低下や、イギリス兵による交易路の封鎖に貨幣制度の改
  悪が加わり物価の高騰がおき、国民の生活はかつて無い程の苦しみだったと思わ
  れます。

    しかし、そんな時でも逆に有利な立場を占める者もいました。荘園の日傭人や
  労働者たちです。


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