5.ジャンヌ・ダルク


  (1)ジャンヌダルクの登場

    「オルレアンの囲みを解きて王太子をランスに伴い、戴冠せしむるため王太子の
  もとに赴くなり、と唱うる“乙女(ラ・ピュセル)”なるものシアンの町を通過せ
  りとの風聞あり…」
    ジャンヌ・ダルクが初めて歴史に登場するのはこの聞き書きの中といわれていま
  す。

    彼女はシュンパーニュ地方のドン・レミという村で羊飼いの娘として生まれまし
  た。彼女の生まれた村は王への忠誠が極めて厚いところでした。

    ジャンヌは13才の頃、どこからともなく声を聞きました。その声は「フランス
  へ行け」といっていました。その後も彼女はその声を頻繁に聞くようになりました。

    そして彼女が18才になったころ声は彼女に具体的な指示を与えました。「オル
  レアンの町の囲みを解け。それにはまずヴォークルールの町へ赴きロベールという
  名の隊長に会え」と声は告げたといわれています。この声の指示に戸惑った彼女は
  近くの村に住む叔父に相談し、その叔父に付き添われヴォークルールに出かけまし
  た。

    ロベール隊長に会ったジャンヌは「自分は主が王太子に救いの手を差し伸べるか
  らそれまで、守りを固めるようにと伝えるため、主の命によりやってきた」と告げ、
  自分を王太子のもとへ送ってくれ、といったような事を頼みました。しかし、ロベ
  ール隊長はこの彼女の申し出を当然の事ながら拒絶し、彼女の側にいた叔父に向か
  い、「この娘をひっぱたきさっさと家へ連れて帰れ」と命じました。しかし、ジャ
  ンヌは諦めませんでした。その後も彼女はなんとしても、自分は王太子のもとへ赴
  き主の命を伝えなければならない。王太子には主以外の助けは期待できないのだか
  らと、ロベール隊長に掛け合いました。

    そして、3度目についにロベール隊長はついに、彼女の申し出を受けました。彼
  女の熱意もありましたが、それ以上に以前から流れている“乙女”の噂が現実になっ
  たという市民の熱狂にも押されたからでした。
    ロベールは彼女に剣を与え、騎士を1人と従騎士を1人それに従者を4人同行さ
  せ、彼女にこう言いました。

 「では、行くがよい。あとはなるようにしかならないだろうから」

    1429年3月に彼女はシノンの城へとついた。そして、王太子への面会を求め
  ました。
  
    “乙女”の噂を耳にしていた王太子はジャンヌが本当に主の使いなのかを確かめ
  るためある「いたずら」を行いました。ジャンヌを城へ招きいれた日に彼は王座に
  廷臣を座らせると自分はその他の廷臣たちの間に紛れんだのです。しかし、彼女は
  城へ向かい入れられると廷臣たちの中に紛れている王太子をすぐに見つけひざまづ
  き、「心やさしき王太子様」と挨拶をしました。
  王太子は「私は王太子ではない。王太子はあそこです」と王座に座っている廷臣
  を指さしましたが、ジャンヌは「いいえ、あなたこそが気高い王太子様です」と答
  えました。(この話は正当なフランス王は王太子シャルルであることを世間にしら
  しめるための後世の歴史家の創作だといわれています)

    そして、その後自分が天の声にしたがってこの場所にやってきたこと、王太子は
  オルレアンの囲みを解き、ランスで戴冠されるだろうと予言しました。最初は不信
  がっていた王太子たちもそのあとにジャンヌが王太子しか知らない事実を告げると
  王太子はジャンヌを信頼しました。

    王太子シャルルの信頼を得たジャンヌは軍を借りるとすぐにオルレアンへと進軍
  しました。途中イギリス軍と戦い、その戦いに勝つとその勢いでオルレアンを解放
  しました。オルレアンの市民は彼女たちを歓喜の声で迎かえ入れました。

    勢いに乗ったフランス軍は今までの敗戦が嘘だったかのように勝ち続けついにラ
  ンスを解放しました。そして、王太子をランスに迎かえ入れ戴冠式を行いました。
  ジャンヌの予言は成就されたのです。

    しかし、フランスを徐々に解放しはじめた王太子の軍のなかでは権力闘争が始まっ
  ていたのです。そして、彼女はそんな貴族たちの嫉妬の的となりました。


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