5.ジャンヌ・ダルク


  (2)パリへ

    戴冠式を終えたあとのジャンヌの心はパリ奪回へと向かっていました。

    しかし、シャルル七世の寵臣ラ・トレイモユはブルゴーニュ=イギリス連合との
  間に休戦条約を結ぶための交渉を行う事を提案し、シャルル七世もその案に賛成し
  ました。
    ラ・トレイモユを筆頭とした文官達はジャンヌや武官の貴族たちが戦いによって
  戦功を挙げていくのが面白くなかったのです。そして、シャルル七世も長い戦いに
  疲れたのか休戦条約を結ぶことに熱心でした。

    そして、1429年8月の終りごろにコンペエーニュの町で4ヶ月の休戦条約が
  結ばれることになりました。

    国王と文官達が休戦条約を結ぶために行動を起こしていた頃、ジャンヌ・ダルク
  は常に同じ戦場で戦ってきたジャン・デ・アランソン侯を呼んでこういいました。

    「侯よ、あなたの部下と他の隊長たちの兵士に出立の用意をさせてください。こ
      れからパリヘ向かいたいのです。なんとしても、今までにないほど近くからパ
      リを見ておきたいのです」

    次の日ジャンヌ達はサン=ドニと呼ばれる町まで進軍し、宿営しました。それを
  知ったシャルル七世は渋々と近くのサンリスの町までやってきました。それから何
  度かパリ周辺で小競合いがありました。9月8日パリに対しジャンヌたちは本格的
  な攻撃をはじめました。戦いは激戦となり正午から日没まで行われる長い戦いとな
  りました。
    日が沈んだ後の戦いの中でジャンヌは弩の矢を腿に受けてしまいました。それで
  も彼女は兵士たちへ「もう少しでパリは落ちるぞ」と叫びながら攻撃の手を緩めな
  いように指示していました。しかし、夜になり長い城攻めで兵士たちは疲れ戦意が
  低下していた。それで、他の隊長たちはいやがるジャンヌを無理やり戦場から連れ
  出し攻撃を中止しました。
    翌日になるとジャンヌは負傷にもめげずにアランソン侯と出陣の用意をしていた
  がそこへシャルル七世の使いがやってきて「パリ攻撃を中止し退却せよ」という命
  令を伝えました。こうして、パリ奪回の戦いは失敗に終わりました。

    このころから、ジャンヌの戦いの運というものが下降し始めたのでした。


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