5.ジャンヌ・ダルク
(3)野盗討伐
シャルル七世の人柄をブルゴーニュ派の年代記作者はこう表しています。
「国王には3つの欠点がある。それは、“移り気”、“猜疑心”、そしてその
上を行く“嫉妬”である。国王の周りの人々は頻繁に顔ぶれが変った。とい
うのも、国王は配下の者をその功によって取り立ててもしばらくするとその
者がいつか自分に害しないかと不安になってくるのだ。そして、少しでも怪
しいそぶりを見せると国王はその者を更迭してしまうのだ。」
ジャン・デ・アランソン候は常にジャンヌと同じ戦場で戦ってきました。ジャン
ヌにとってアランソン候ほど頼りになる人物はいなかったでしょう。彼がジャンヌ
のサポートを行ってきたから、今のジャンヌがあるようなものでした。
シャルル七世はそんな二人を別々の部隊へと配属させました。シャルル七世に
とって二人が戦場で活躍し名声を挙げることが面白くなかったのです。また、シャ
ルル七世はジャンヌとアランソン候だけでなく、戦いによって名を挙げた臣下たち
に対しても同じような行動をとりました。そのため、不満を爆発させた臣下たちに
よる謀反が頻発していました。なかにはイギリス軍と手を結ぶものたちもいました。
それでも、シャルル七世はなんとか国王の座を守り続けることができました。
和平が結ばれた後のジャンヌは不満を抱える日々を過ごしました。彼女は戦いに
よって勝利し、イギリス軍をフランスから追い出すために故郷を後にしてきたので
すから、和平など彼女にとってはとんでもないことでした。
そんな彼女の戦意をうまく利用して野盗の討伐をさせようと考えるものが国王の
臣下の中にいました。この、戦乱の中で手薄になった城塞を乗っ取って我が物顔で
商人たちから金品を取り立て周囲の住人たちを恐怖に与えていたものたちが多かっ
たのです。
それはジャンヌの望むものではありませんでしたが、彼女はその仕事を引き受け
ました。彼女はラ・シャリテを本拠とする野盗討伐に出発しました。
ジャンヌはラ・シャリテを攻略する前に国王顧問官の進言にしたがってサン=
ピエール=ル=ムーティエにある要塞を攻略することにしました。この要塞は今の
ジャンヌたちの本拠地とこれから向かおうとしているラ・シャリテの中間地点にあ
りここを野盗に押さえられていてはやっかいだったからです。
サン=ピエール=ル=ムーティエ攻略は簡単には行かず、野盗たちの反撃に会い
退却しようとしていたとき、ジャンヌはわずかな兵士とともに簡易の橋を作りサン=
ピエール=ル=ムーティエに奇襲をかけ、たいした抵抗にも会わずに攻略すること
に成功しました。
サン=ピエール=ル=ムーティエを攻略したジャンヌたちはラ・シャリテ攻略へ
と向かいました。
ラ・シャリテの攻略は11月頃行われましたが、極寒のなか兵も少なく、国王から
の物資の補給もされなかったため失敗に終わりました。
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