医 学 生 日 記  

'01年度 三年生/一学期

新学期  M3の春
心臓のけっかん  ホント悩みました
ハンセン氏病訴訟  ついに。
アイコン  in クラス掲示板
修正テープ  キュートなフォルム
千葉大チフス事件  20年目のびっくり
解剖実習終了  もう終り
ヴェサリウス  近代解剖学の祖
精巣挙筋  なぜあがる
生理学実習  体の不思議
お弁当  謎の紙袋
期末試験  専門にはいって初の本格的な試験期間

新学期 
いよいよ専門の3年生。と言っても専門課程自体は2年の3学期から始まっているので、時間割などには さして変化はない。月曜から金曜、一限から午後の実習が夕方までで、「休講」とか、「空時間」という ものが存在しない。前の大学のときは理系とはいえ数学専攻で実験や実習が全く無かったため、その当時と 今を較べると大体倍ぐらいの密度。今となっては私は勤め人に較べれば楽だと思えるし、念願の生物系の 勉強だしで毎日が楽しみだが、二十歳そこそこの人達が、よくこの密度の中で更にバイトして、部活して、 飲みにいって、デートして、ネットして(これは私の頃は無かったな〜)とやってるなぁと感心してしまう。 えらい。

みっちり詰まっているだけに、休日が嬉しい。1月に専門が始まった頃、とある先生が「明日から週末です ね。休みがこんなに嬉しいなんて、今まで思ったこともなかったでしょう」と言うと、学生たちは大きく うなずいていたものだった。確かに前の学生の時は、なにかのイベントや、遊園地だの映画だのに行く時は、 「夏休みとか休日って、どこも込んでるし、やってらんないよね〜。」と平日ばかり出かけていたものだった。

もっとも、医学生でもだんだん慣れてくると適当に手を抜くこつを覚えてきて、色々活躍している模様。

心臓のけっかん 

胎児の心臓の出来かたを習った。体の中に出来た一本の単純な管がむくむくと変化して、ふくれたり、窪んだり。 仕切りの壁を作り、よじれ、あるところは細胞死を起こして自ら削れ、あのややこしい形を作っていく。 それを追っていると、そこに仕込まれた仕掛けのすごさにゾクゾクする。

心臓といえば、小さい頃にテレビでやっていた「魔法使いサリー」という漫画に、インドから来た、心臓の 病気を持ったお友達が出て来る感動的なお話があったのだが、そこでその子のお父さんが、 「この子は生まれつき心臓に"けっかん"があるのです」と話すシーンがあった。

当時の私には「欠陥」という語彙はなく、心臓って、血を送るポンプなんだから「血管」あるよね?? それとも、中には血が通っても、心臓自体には血管が生えちゃまずいのかなぁ?でも(見たことのある図では) 血管あったように思うけど??(?_?)と頭の中は大混乱。トコトコと台所に行き、母親に「ねえねえ、おかあさん。 心臓って血管ないの?」と訊ねると、あっさり「あるにきまってんでしょ」。え〜??じゃあさっきの お父さんの発言って一体・・?その謎は何年も私の頭にこびりつき、ついに「欠陥」という言葉を知った 時はもう、ぽんっっ!っとそのシーンや声までが頭に浮かび、うわ〜!そうかそうか〜(^o^)と一人喜んだ ものだった。

今でも、心臓が出て来る授業ではもれなく、"心臓の血管"・・・(^。^)と思い出してしまう。

ハンセン氏病訴訟

元ハンセン氏病患者への補償問題の訴訟の控訴を政府が断念。ぎりぎりまで政治判断はもめたが、(どこまでが ポーズなのかは知らないけど)、これを控訴したらその後和解に持っていくにしろ、組閣早々小泉首相の "らしさ"は一気に半減しちゃうだろうし、どうするんだろう?と観察していたが、ついに。決着。

ハンセン氏病患者の療養所の若き女性教師を描いた小説「小島の春」(昭和初期のベストセラー)を読んだの は高校生の頃。読んだきっかけは「サザエさん」の長谷川町子さんの絵入りエッセー中でさらっと触れてたため。 そのエッセー(というか絵日記)が書かれた頃は「小島の春」が何かは読者も周知しているようだったが、 昭和末期の私には既に意味が分からなかった。長谷川さんの娘時代の明るい話の中でのんきに出てくるし、 そのあとも些細なことで「私もハンセン氏病だったらどうしよう!などと大げさな心配をして、かかりつけ 医に行ったら笑われて・・」といった話が続く。これって今だったらぴんと来ないだけではなくて、 のんきなエッセーにはなりえないだろう。

高校生の頭でも、ここまで不用というのを分かってて何十年も引っ張って、やめるのすごい大変だと思う けど?(その途端、ものすごいおとしまえがかぶさって来るだろう。)誰もがそんな役を引き受けるのは ごめんだって言う事情でまた引っ張って、にっちもさっちも行かなくなるんじゃ・・?と心配になったものだ。

だから5年前にライ予防法が廃止になると突然新聞にでかでかと載った時は、一体誰がやった?と心底驚いた。 管直人厚生大臣がすごい勢いで新風を吹き込んでいた頃だったので、やっぱ既存のしがらみから離れた人って こういうこともできるんだなーと感心したものだった。それでも、遅すぎる、謝罪が足りないと激しく批判 されてはいたが、そうされるの分かっていて実行したんだからすごい一歩だったとは思う。

今回もまた超型破りな首相による壁越え。まだずーっと先があるにしても、「実行」による前進は貴重だ。

アイコン

医学科のクラスHPの掲示板で、自分専用アイコンを使うのが流行り出した。

自分で持ち込んでもいいが、管理人さんが、その人のイメージでフリーサイトから 持ってきたものが大半。
で、私がもらったアイコンはこれ。
こんなにかわいいかは置いといて、結構〜似てる(^_^;)!と自他共に受けました。

修正テープ

最近、ノートを取ってて ふと気付いた。似てるっっ!!
 
修正テープ(文具)    ミジンコ

千葉大チフス事件

微生物学で色々な病原細菌を習っていた時、先生が「もう20年以上も前のことで、皆さん生まれる前の 事件で知らないでしょうが、千葉の病院のあちこちでチフスが大量発生して、それがある医者のやった事 だって騒ぎになったことがありましてね・・」と話し出した。知ってる知ってる!私がまだ小学校か中学校 かってぐらいで、バナナに菌を注射したって聞いて、そんな犯罪が可能なんだぁ、怖いなぁ。と興味深く ニュースを見たり両親に解説してもらったりしたのを良く覚えている。研究なんかに没頭すると、感覚が 麻痺してそういうことしたくなる人もいるんだよ。酷い事を・・。というのが大方の意見だった。 ムツゴロウさんこと畑正憲氏も、あるエッセーの、自身がアメーバの研究に没頭していたころの話の中で、 「彼のそんな心持ちが分かるような気がする」と書いていた。

と懐かしく思い出しつつ聞いていると、先生は更に続けた。「あれはね、冤罪ですよ。立証するための実験で 何度バナナやカステラに菌を植えてもすぐ死んでしまってね、あんな糖分の多いところでは絶対無理です。 それに食べた二日後に発症してるし、潜伏期間が短すぎます。当時病院の管理が悪くて自然発生の感染は 多かったんですよ。病院や厚生省はその方向では行きたくないって言う強い意向があったようですしね。 もともとその先生が見かねて告発したんだけど、犯人だって決め付けられて追い詰められて、最後には 頭もおかしくなって反論する気力もなくなっちゃてね。」

え〜っ!!!(@o@)!20年以上「そういう悪いやつがいた」ってずっと思っていた私はただただびっくり。 インターネットなどで調べてみると、最近の筋弛緩剤混入やカレー事件と同列に扱って証拠の残りにくい 卑劣な無差別犯罪として取り上げられているものが多く、たまに「一方、感染経路や潜伏期間などが 不自然で、当時自然発生も少なくなかったことから決め付けによる冤罪であるとするジャーナリストも いる。」とちょこっと書いてあるのもあった。

翌週先生の所に聞きに行くと、にこにこしながら「おや、あなたはあの事件知ってるんですか?」 「ええ、私は30代ですからよく覚えてます。く(^^;)。」(実際事件が起きたのは私の生まれる前だが、 判決が出たのがちょうど中学のころだった)

調べてみた事などもたずねると、「私達専門家の間では、あれは自然発生で間違いないだろうってはっきり してるんですよ。」との事。うーん、だとするとすごいショックというか、その容疑者の運命ってあまりに 過酷。今はどうしてるんだろう?先生曰く「罪を着せられて、医師免許剥奪されて、服役(6年)して、今は どうしてるんでしょうねぇ・・。」・・・なんとも怖い話。

解剖実習終了

解剖実習が終わった。数ヶ月前の姿は見る影もないご遺体をそれでも原型に近いように並べて、きれいに はたいて伸ばしたシーツを巻き、ありがとうございました。と誰からともなく合掌してカバーをかけた。 「散らかって」いる間はなんだか申し訳ない気が時々したが、久しぶりにきれいにさっぱりとした姿に 整えるとこちらも晴れ晴れしたお別れの気持ち、というと変だがそんな心持になった。もっとも、班によって 雰囲気は色々。私のいた班は、みんな大らかで陽気で、決して根を詰めすぎるって事はないが、結構勉強家 だったりしてやるときは結構やる、なかなかナイスな班だった。ご遺体は一週間は更にやりたい人や 復習したい人用においてあるが、そのあとは火葬に回し、遺族の元に帰る。

そのあと、隣の組織実習室で打ち上げがあった。解剖の先生方や、聴講に来ていた教養の先生、隣の組織学 の先生や神経科学の先生方までやってきて、飲んで食べて話し込んでのとても楽しい打ち上げだった。

ヴェサリウス

ヴェサリウス(Andreas Vesalius)というのは、16世紀の解剖学者で、それまでの本や動物の解剖 (それも、えらい人は自分では手を出さない)から得た知識のつぎはぎである、間違いの多い解剖学を 一新した人。画家と組み、精密で正確な解剖図を作った。なんと医科歯科大学にはこの解剖図譜、通称 『ファブリカ』(『人体の構造』:De corporis humani fabrica libri septum )の初版本がある。 ヨーロッパのオークションに出たのを、日本の古本屋の主人が買い取ったという千うん百万の品。 大学で買い取るに当たっては、文部省の補助も受けたものの、、時代錯誤、ムダ使い、その予算で色々 するべきことがと、もめまくったらしい。確かにその意見もすごく良く分かるんだけど・・・。

最後の解剖実習の日に、隣の部屋にその『ファブリカ』、他にも色々コレクションがあって、『ターヘル・ アナトミア』、それを杉田玄白たちが写した『解体新書』、日本の腑分け(解剖)のカラフルな図がいっぱいの、 長〜い巻物のレプリカ。。などの古書をずらーっと出して見せてくれた。ん〜しあわせ。。 私はほんとに部屋から離れがたかった。(ので、隣で始まってた口頭試問に遅れた(-。-;)

精巣挙筋

解剖してる時、腹筋の下の端っこの一部が細く下に伸びていって「精巣挙筋」というものになることを 知った(もちろん男性だけ)。文字通り、精巣を挙げる働きがある。なるほどなるほど、それで噂に聞く "怖かったり、痛かったり、寒かったりすると、挙がる"ってことができるのか。と感心していたが ふと疑問に思った。その元になっている腹筋って、「随意筋」つまり手足のように自分の意志で動かす 筋肉なのだ。随意・・?同じ班の男の子はしばし考えて(試みて?)「自由自在・・じゃない・・ と思うけど・・」

筋肉のもう一つのタイプは心臓や腸、血管といった、自分の意志じゃない自律神経系というシステムで動く 筋肉。寒いとか痛いに反応するのはこっちでは?でも腹筋だし。。回ってきた解剖の先生の一人に聞くと、 「確かに随意筋ですけどねぇ〜でもまあそういう(動かす)訓練もしてないし。」じゃあ訓練可能なんで しょうか???

自律神経の大家の先生「随意と不随意とか、実はきっちり別れるもんでもないんだよね。自律系って すごく要素多くて、今はやりの分子生物系とちがって研究もやりにくくて難しいんだよ。」
脳、神経の先生「ふーむ確かに随意筋ですなぁ。でも太ももの内側をこうこするとひょっと挙がるって いう反射もありますなぁ(実演)。まあ"随意"とか"反射"って言葉も結構いいかげんでねぇ。」
うーん。分かったような分からんような。っていうか全然分からないというか。(^_^;) 解剖の若手先生「攻撃防御の時って腹筋が緊張するから、それででしょう」これは結構分かりやすいかも。

ってな話を向けるとまぁ、我も我もと、特にスポーツをやってて様々な経験の豊富な男の子達が熱く語る語る。 なんか、すご〜く大変なことなんですね。それで様々な反応とか対処法があるものなんですね。と 非常に勉強になりました(^_^;)。

生理学実習

8回にわたって、様々な生理学の実習。生理学とは。つまり子供の頃、どうしてぐるぐる回ると目が回るの? 眠るって脳みそがどうなるの?心臓がドキドキしたりしなかったりするのはどうして?ジュース飲むとすぐ おしっこしたくなるのって??と不思議に思ったような事の数々を実験して、そのメカニズムを探るという 私にはとってもとっても毎日が楽しみだった科目。まとめなければならないレポートがいっぱいで、その ためのデータ−のコピーの量がものすごいのだが夏休みに何とかしましょう。(と現時点では思っている。)

お弁当

ある朝教室でかばんを開けると、ない。しまったぁ!せっかく作ったお弁当、置いてきちゃった。くそー。 がっかりしつつ、一コマ目の授業が終わったのでトイレに行こうと廊下に出た。廊下にはぞろぞろと次の 授業から出席しようと来ていたクラスメートがいっぱいいた。その人ごみを通り抜けようとすると、 その一人が、「なんか、そこに届けもんが置いてありますよ」

「?」振り返ると、扉のすぐ外にあった椅子に茶の書類封筒。宛名に私の名前が書いてある。中を見ると 私のお弁当。「!!!」封筒をひっくり返すと下のほうにつるの職場名が印刷されている。そう、つるが ちょうど通勤路の途中にある大学の駅で途中下車して教室前までやって来ていたのだった! (場所は前遊びに来た時教えたので知ってた。)

期末試験

2週間の試験期間。3学期末にも試験はあったが、そんなに科目数が無かった ので、まだ割とのんびりしていたが、今回は本格的な専門科目の試験が色々。 あまり準備期間を取っていなかった人は、直前にはもう訳分からない状態に。 「専門は一夜漬けがきかない」ということが実感できる期間だった。 私ははじめから一夜漬けや三日漬けしようとは思っていなかったので、 割と人間らしい生活をしていたが、それでも準備万端ばっちりという風には そうそういく訳も無く、終わった今はかなり脱力気味。


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