'01年度 三年生/三学期医 学 生 日 記
新年になって、新しい教室になった。去年までは「基礎系」といわれる、人の体のつくりと仕組みについて の生物と医学の基礎を習っていたのだが、いよいよ具体的な「内科」「外科」「産婦人科」「精神科」etc.. といった具体的な系統講義に入るのだ。去年から少しずつ始まっていたのだが、今年からは時間割がすべて その系統講義と実習。講義室も大学病院の建物の中になった。新しくてピカピカで机に電源があって別世界。 (去年までは地震が来たら真っ先に危なそうな部屋だった。何人かがパソコンを持ってきたりすると、部屋 中タコ足配線になって大騒ぎだったし、しかもよく電気系統が壊れた。)まるっきり病院の中なので、患者さんでいっぱいのロビーやら、入院受付室などの横を毎日通って教室に 行く。廊下の天井のレールにはカルテを載せた箱がぶら下がって行き来してるし、ますますキャンパスという 雰囲気からは遠ざかっていくのだった。初日は道に迷った数人と廊下をさまよって、霊安室にたどり着いて しまったし・・。 →えにっ記:新教室
内科の授業で肝炎や肝癌について習っていると、若くして肝炎で亡くなった中学校のときの担任の先生 が思い出されてならなかった。その先生は理科の先生だったのだが、私は小学校と違って理科の専門家が いるというのが嬉しくて、年中職員室に入り浸って質問していたものだった。当時、私の通っていた 中学校では、教科書や学校で使っている問題集以外の質問をしてはいけないというわけの分からない規定が あったのだが(おそらく塾の宿題をやらせようとする生徒対策だと思うが)、読んだ本のことでも何でも、 聞きたいことは聞いていいと言ってくれていた数少ない先生の一人だった。ある時私の両足に真っ赤なまだらの湿疹が出て保健室に行ったときも、りんご病に違いない、感染るから 出席停止にしないとという保健室の先生方の見立ての中で、その先生だけ「学校に来るとき、草むらに入っ たんじゃないの?」と真実を言い当ててくれたものだった。田舎の学校なので周りに虫とか植物とか観察 ポイントが多くて、私は一人のときはよく色んなとこにガサガサ道草しながら登下校していたのだ。 実際医者に行ったら、確かに単なる接触性皮膚炎と診断された。
そういう調子だったので教育学部の数学に進むという報告をしに行った時も「なんでまた数学?」と怪訝 そうにしていたものだった。だから今、「結局医学部に行きました〜」と聞いたら絶対「ほ〜ら、やっぱり ね。」って笑ったに違いないと思うにつけ、その報告が永遠にできないのが返す返すも残念でならない。 思えば亡くなったと聞いた時に、誰かが面白がってくれるかもしれないから話そうかなと思ったことは、 話しておこう。例えつまんないと言われても、永遠に話しそこなうよりはまし。とすごく思ったのが、 今の色々なことにつながっていると思う。
産婦人科の授業が始まったばかりの頃、ある先生が「じゃ、まず帝王切開のビデオを見せます。」と言った。 なぜまた普通分娩を飛ばして帝王切開?と謎に思ったのだが、後で思うに、みんなをギョッとさせて 目を覚まさせたかったのかもしれない。脊椎に針をぶっすりさした麻酔から、お腹を切り開くところ(またすごく太っている妊婦さんで、お腹も 脂肪だらけだったため、切り口が余計ぐちゃぐちゃに見えた)、子宮を切り開くところ、赤ん坊を引っ張り 出すところ、また一針一針縫い合わせていくところ、どれも思ったよりずいぶん血がガバガバ出ていて、 学生達は普通の人よりは、切開や内臓といったモノを見慣れてはいるのだが、血の気が引いていた人が 少なからずいた。
経験者(切られるほう)としては、すごく短時間に終わるし、結構ライトな手術だと知ってはいるのだが、 切ってる手元は見たことがないので興味深く、ま〜こんなことされてたのねぇ。って感じだった。 (当時、切られながら、私も見たいよぉ〜と思っていたものだった)また、私が手術を受けた病院は親切と いうかせっかちというか、生まれたらすぐ「ほらほら、家族に電話してあげなさい!」って電話を渡して くれる病院だったので、思いっきり内臓出た状態で電話してたっけ・・ (それをうんうんと聞きながら先生は腹を縫っていた。)
あとで、男の子は女に生まれなくて良かった〜といってるし、女の子は帝王切開は楽そうだと思ってたのに ・・と不安そうなので、「結構簡単だし、本人は痛くないし平気だよ!」と言ってみたのだが、さほど効き目は ないようだった。それでも、それぞれ結構おかあさんを見直したりしていたのが、ちょっといい感じ。
医療事故や訴訟が問題となっている今、どうして事故が起こるのか、どうすれば防げたのか、訴訟では どんな点が争点になるのか、その対処のよしあしで何がどう変わるのか、診断書やカルテのもめない書き方 は、といったこともよく勉強しておきましょうという科目で、これも比較的新しい内容。素人目から見ても、 医療関係者にはそういうことはぜひきっちり学んでおいて欲しいと思うところだ。大事な事でも法律の話などはえてして眠かったりするのものだが、講師は大学の先輩で元脳外科医、現在は 保険会社で医療訴訟関係のコンサルタントをしているという非常に現場に密着した中堅の先生で、話がとても うまく、すご〜く具体的なケース紹介が次から次へと続いてみんな居眠りどころではなかった。怖くて。
ある小児科の授業で、絵本を小脇に抱えてやってきた先生が、今日は親と子というテーマの本を3冊 読んでもらうので、指された人は前に来て朗読するように、と言った。先生が名簿を取り出して適当に 名前をピックアップし、3人目に私の名前が呼ばれたとき、クラスメート達はいかにも普段から子供に絵本を 読んでそうな私が当たったせいか「おっ」とざわめいて、そのざわめきが結構大きかったので次にどっと 笑った。私も一緒に笑っていたのだが、ちょっといやな予感がした。先生が教室に入ってきたときにチラッと 私の苦手な絵本が見えたからだ。そうそうぴったり85分の1の確率にも当たるまいと思ったのだが・・。指名された男の子が「葉っぱのフレディ」を読み、次に女の子が「I love you いつまでも」という外国の 絵本を読んだ。ほのぼの、しみじみ、笑っちゃうとこなんかもあって和やかなムードの次は、不安的中。 85分の1の確率を引いた私は、「さっちゃんのまほうのて」を読む羽目になって、教卓の前の 椅子に座った。この本は数年前からかなり有名になって大きな本屋なら大抵置いてある。さっちゃんは 元気な幼稚園児だが、先天性の四肢欠損で指がない。今日も幼稚園でからかわれて大喧嘩をした さっちゃんはママのところへ行き・・といった話を私はかなり淡々と読んだ(つもり)。
でも淡々も持ったのは中盤まで・・。
・・とまあこんなわけで、私は見事に朗読を中断してしまったのだった。
もともと私は不特定多数の前ではめったに泣かないたちだったので、もうすっごく恥ずかしかった、です。 私は特別に同情深い性格でもなければ、すごい子供好きってわけでもないんだけど、この本は非常に苦手。 でも、このあとで、教室で、メールで、クラスの掲示板で、色んな人がいろいろ感想を述べたり、声を かけてくれたりしたのが嬉しかったので恥をかいた甲斐はあった・・かも。
法医学の実習で、今年から「症例検討」というのが始まった。班ごとに様々なケース(事故死、自殺、 犯罪による刺殺、絞殺他、ミイラ化して見つかった赤ちゃんなど)の遺体の資料をもらい、 それがどんな形状で、どんな傷や痕跡があり、どういう状況によるものか、何が分かるかを調べて発表する。 配られる資料は遺体の性別や年齢、解剖した施設(この辺は適当に変えてあった)、発見された状況や解剖時の 所見などが色々記載されているほか、様々なアングルからの遺体のカラー写真。人数分用意された資料は、 非常にきれいにカラープリントをされていたため生々しいことこの上なく、「これ、かばんに入れて持って 帰ったらやばくない?」と皆ざわめいていたのだが、それはちゃんと考慮されていて授業ごとに 回収して先生が保管していた。私の班の資料はひき逃げの被害者だったのだが、写真を見るとなんだか見覚えがあるような。はて?? 豊かな黒い髪、静かな顔、外側の傷から、傷を調べるために切開した所から見えている骨まで、どれも 記憶と一致する。なんと!半年前、司法解剖の見学でまさにその場に 居合わせた、そのご遺体ではないか。 なんて偶然。あの日も、この時間に連絡がないなら今日は解剖はない、今ままでそんな前例はなかった と言われながらも、それでもなんか来る気がする、とねばったらその前例のない急な解剖が入って、 私一人が見学する羽目になったのだ。よくよく縁があったのか・・。
どの班も、安らかな死とは程遠いケースをつぶさに追っていくため結構気がめいるのだが、ただ授業を聞く のと、自ら調べて発表のための準備をするのでは大違いなので、学習効果は大だろう。ちなみのこの実習の 代わりに去年までやっていたのは血液型の検査だったらしい。先生が言うには不慣れな人同士で採血しあう と、キャーキャーワーワー大騒ぎになって殆ど「採血実習」になってしまうので今年から変えてみたらしい。 それもちょっとやってみたかったけど。
色々な病気をまだちょこっと習っただけだが、診断の真似事をしてみた、という感じの講義。入院患者の 症状やそれまでの病歴、検査結果などが詳しく書いたプリントを読みながら、この症状から何がわかる? この数値は何を表す?と先生がバンバン質問していく。みんな乏しい知識を総動員しながらあたふた 答えるが、まあそうそう満足な答えができるわけもなく、先生が次々とその答えについてや問題点、分かる こと、見落としていたところ、注意すべき点などを鮮やかに解説していくのを、ひたすら感心しながら せっせとノートする。知らなければならないことがあまりに膨大であることや、ちょっと習ったぐらいでは どんなに役に立たないかがよく分かるのだが、状況証拠から犯人を追い詰めていくような推理の楽しさが 味わえる。
東京都の行政解剖を行っている施設の見学。行政解剖はちょっと前にやった司法解剖(犯罪死体の検案)と どう違うかというと、病院や医師のもとで死んだわけではない「変死」だが、犯罪がらみかどうかは分から ないという死体を調べるための解剖である。道に倒れてた、とか一人暮らしで死んでいた、というのも多いが、 家族と共に住んでいても、突然の発作で部屋で死んでいたなんて時も、当てはまる場合がある。大多数の県では提携した大学や病院で行うが、東京など数が非常に多いところは監察医務院がある。そもそも の発祥が、戦後、飢えなどで毎日たくさんの人が行き倒れているのをきちんと処理していないことをGHQに 指導されたところからきているらしい。わずか50年やそこら前には、たくさんの子供や大人がそんな風に 毎日死んでいたんだなぁと思うと、なんとも言葉にしがたい気分だった。
その日は3体の遺体がついた。解剖自体は司法解剖と変わらず、ビジネスライクにどんどん進み、終わったって 感じだった。職員の人は学生の見学には非常に神経を使っていて、遺族も来るところだから絶対に失礼のない ように、見学の話も外でしないようにと繰り返し厳重な注意があった。
「医動物学」なんて言葉自体、つい最近まで知らなかったが、要するに寄生虫とか、毒のある動物など、 医師が知っておくべき、人にかかわる動物一般についてを学ぶ科目。子供の頃からず〜っと、そういうのは かなりチェックしてたのでとっても楽しい科目だった。この大学には寄生虫の伝道者のごとくマスコミでもおなじみの藤田紘一郎教授がおり、先生も多ければ 大学院生も結構いる。またそれぞれの専門ごとに全国からいろいろな先生が来てくれ、午前の講義の他 週2、3回は午後いっぱい実習、実習でよそでもこんなに熱心にやってるんだろうか??と思うぐらい だった。(聞いてみたら、ここよりかなり標本数も時間数が少ない大学も多いが、もっと熱心なところも あるらしい) →えにっ記:医動物学
5、6人の班でそれぞれ割り当てられた病気について(症状や特徴、治療などについて)調べ、発表する 実習講義。そのうちのいくつかの班は実際に患者さんの面接に同席させてもらい、その様子などから分かる ことも発表する。私は実際に面接に行く班だったため、初めて患者さんと接する機会を得た。入院という のは誰にとっても嬉しいことではないだろうが、精神科の患者さんが医師にいろいろ話す場に、ぞろぞろ 入っていって後ろで並んでじっと見ているというのは大変こちらも申し訳なく落ち着かないものがあった。それでも教科書読んで講義聞くだけっていうのと、その場にいるというのでは、その情報の質も量もまるで 違うので、感謝をもってこの機会を活かすべく努力するしかない。
それと、精神科を志望している人がまさに水を得た魚といった感じで熱心に勉強し、班を引っ張っていく のが大変頼もしく楽しかった。
いくつかの科目で試験があった。それなりに勉強はしなくてはならなかったが、いっちばん大変な三年生 中期を終えればこれぐらいはのんびり感じる。前回のどたばたで落とした脳と神経の仕組みについての 科目の勉強も、時間的な余裕があるのと2度目で分かりやすいため楽しかった。あの状態で、すれすれで 合格していたら今ごろかなり忘れていただろうから、これは天の配剤でしょう。
試験が午前中に終わった日、つると待ち合わせて築地に行き魚河岸の中にあるお寿司屋さんにいった。 回っていないお寿司は、すごーーーく美味しかった。(回っているのも大好きだけど)