医 学 生 日 記  

'02年度 四年生/一学期

大動脈瘤の音?!  ワトソンさんも知っていた
精神科セミナー  病院実習
絵のタイトル  8歳男女
解剖前の合掌  人それぞれ
内視鏡  モニターの中
黒い点  悪いほくろ
公衆衛生実習:保健所  結核とワールドカップ
公衆衛生実習:保健センター  精神障害者支援活動
公衆衛生実習:国立国際医療センター  国際協力のお勉強 
公衆衛生実習:病院とアート  
金魚  魚のお医者さん
病理学実習  病気の組織色々 
骨髄バンク  創始者の一人  
フリークオーター  生体材料工学研究所

大動脈瘤の音?! 
4年になって教室が隣に移ったけど、他はさほど変らず授業が続いている。
内科の心臓についての授業でいろいろな心音を聞いた。と言っても聴診器を胸に当てて直に聞いたわけでは なく、心臓の動きや音の特徴などを記した図を見ながら音が聞けるソフトがあって、それを教室の大画面で 見聞きしたのだ。普通に聞けば「ドキッ、ドキッ・・」としか聞こえないが、慣れてくるとそのドキッの 一拍の中に1音、2音、などといくつかの音が組み合わさっているのが聞き分けられるようになり、更に 熟練すればその音の変化や、間にはさまる雑音で心臓の色々な異常が分かるようになる(らしい)。 当然のことながら学生は「そう言われてみれば、そう聞こえる・・??・・か?・・な?」といった有様。

その中で、心臓から血を送り出すところの大きな血管がふくれて、その内側の壁がはがれてバタバタして いるような時の雑音、というのがあった。ああ、これがそうなんだ〜!!とそれにひときわ感心したのは、 それが子供の頃読んだシャーロックホームズ・シリーズの中で出てきたものだからだ。「緋色の研究」 という話の最後の方で、恋人の復讐を遂げた犯人の胸の音を聞いたワトソン医師が、そのビリビリする 雑音に「これはいけない!大動脈瘤じゃないか!」というシーンがあって、音だけでそんなことが分かっち ゃうものなんだろうか??と、とても不思議に思ったものだった。(厳密に言えば解離性大動脈瘤による 大動脈弁閉鎖不全症の拡張期灌水様雑音、というものらしい。他の原因でも起こる。)一世紀前の医療も、 なかなかすごい。

精神科セミナー

二日間、数人ずつの班で都内もしくは近郊の様々な精神病院に行って実習。一言に精神病院といっても、 総合病院の科の1つとしてあるものから専門の病院まで色々ある。内容的にも、症状の重い時期を 数ヶ月位まで短期間集中してみるのが主な役割の病院と、入院期間が長く、時にはそれが何十年にも 渡る人もたくさんいる専門の病院では、また全然内容も雰囲気も違う。つまり実習内容も行った先に よって全く違うのだった。

私が行ったのは都立病院の敷地内にある特別養護老人ホームのワンフロアにある、施設付属の 精神病院だった。患者さんは年配の人ばかりで、一番多いのはアルツハイマー性痴呆などの変性型痴呆。 (単なる老化によるゆっくりしたボケとは違うもの)他、鬱病や分裂症の人も結構いるが、 老化と病気の進行、新たな発症などが混ざり合い、どれとははっきりいえないケースも多いようだった。 そんなに広くはないが病室は明るく、普段は殆どの人は自由にロビーなど行き来し、看護婦さんたちも こまごまと声をかけていていい雰囲気だった。その時は今はあまり調子の悪い人がいなくていい状態、 とは言っていたが。

ただし、本当に状態が悪くて普通の病棟には置けない場合「保護室」という鍵付き個室もある。布団と 水洗の便器以外は何もない部屋。他の精神病院に比べると数は少なく、作りも華奢だが鉄の扉の向こうの そこだけは他と違う空気を持っているのだった。

私たちは先生(←とてもソフトな美人)からお話を聞くほか、レクレーションの時間に一緒に 歌を歌ったり、廊下や部屋で患者さんと雑談をしたりした。そのうちの一人のおばあさんが ニコニコしながらこんな風に話したものだった。 「本当に皆さん若くて素敵ねえ。信じられないでしょうけどねぇ、私も皆さんみたいな頃があったのよ。 もうみんな夢の中のことみたいだけど・・本当に時が経つのは早くて・・みんな夢の中のようで・・」

絵のタイトル

授業参観の時、3年生の廊下に張ってあった絵がとても面白かった。好きな色の絵の具で ぐるぐる渦巻きを描いて、それを何か好きなものに見立てて仕上げるという課題で、こんな風に フリーな要素の多い課題は私が小学生の頃はなかったな〜と眺めていくと、 タイトルのつけ方の傾向がなかなか興味深かった。

女の子のは「キラキラの国」「星のうずまきのまち」「カラフルなまち」「天使のくに」・・・ いずれもかわいくてきれいで、色や光があって、まち、むら、くにといった完結した単位を つけているのが圧倒的に多い。それもあくまで幸福に完結した世界。まあ流行りとかも あるんだろうけど。

対して男の子。パワフルで混沌。幸福感には無頓着。「さかさまなくにのたつまき」 「ぐちゃぐちゃまつり」「いろの大せんそう」「へんなえ」「ヘビのケンカ」「たつまきのだいぼうそう」 ・・・。珍しく「村」をつけている子がいると思ったら「一人しかすんでいない村」。 色に着目は「カラーさばく」。

傾向はあくまで傾向で、個々とはまた別の話だが、例外的なものはクラスに一人二人 いるかってところで意外と少ないのだった。

解剖前の合掌

法医学の先生がふと「これはあくまで自分個人の感じ方だけど」と断って、司法解剖する前に遺体に 向かって合掌するあの習慣が嫌いだ、ともらした。遺体を一人の人間として見ている時と、調査対象 として見る解剖の時はあくまでモードが切り替わっていて、物のように扱うなんて、とは言うけど 本当に人として感じていたら、ざくざく切り開いたり、皮をむいたり出来ない。自分としては 切り替えて部屋に入るのに、あの合掌でまた一回引き戻されるので、いやだとのこと。

私自身は直前に挨拶することは苦にならないし、むしろ自覚や区切りになっていいのだが、そういう言葉を 聞いて、その先生はまじめにやっているんだなぁとちょっと感心してしまったのだが、他の人達はどう 受け取ったんだろう。ともあれ、やり方は人によって違うが、麻痺してしまうという事と、 切り替えられるってことは、似ているようでいて実はとても重要な違いだ、と思う。

内視鏡

内科でも外科でも、内視鏡はいまやとても重要な道具である。一昔前に「胃カメラ」と呼ばれて いたものの様に(今は先端にカメラのついた「胃カメラ」はないのだけれど、患者さんに分かり やすいためその名前のままで言ったりする事もある)、細い管を入れて中を観察するほか、 検査のためにちょっと組織をちぎる、クリップで挟んで止血する、薬を付けるもしくは注入する、 ワイヤーや熱で悪いところをくびり取る・・腹腔鏡というカメラやマジックハンドを何本か使う 方法では、ちょっと前までは開腹手術で大変だったかなり大掛かりな手術も出来たりする。

すっかりおなじみなので、先進国ではみんなそうなんだと思っていたら、意外にもこの普及の 仕方は日本独特らしい。保険は整備されてるし、全国の小さな病院にも装置があるしで、気軽 にやるが、アメリカなどではよほどのことがないと内視鏡検査はしないそうだ。胃カメラを 開発したのは日本人だそうで、精密機械と細かい仕事が得意なお国柄もあるんだろうか。

授業でもその映像を見せてもらう事が多いのだが、説明している先生の多くの人が、「面白い って言い方はよくないけど、これってモニター見ながら機械を操作して進んでいってかなり ゲームに近い感覚なんですよ」と言うようなコメントをする。遠隔手術という、手術をする 人が患者さんから遠い場所にいてモニターとコントローラーで手術を出来る、という技術も (これは内視鏡に限らずマジックハンドを使った開腹手術もあるが)同様。

いいかげんな意味ではなくても、ちょっと語弊があるようで外では言いにくいところもあるが、 同様の印象を受ける人は多いらしく、国外でも「Nintendo operation」と言う俗称があるらしい。 Nintendoはもちろんあのゲームメーカの任天堂の意。

黒い点

皮膚にできる腫瘍の授業で「メラノーマ(悪性黒色腫)」が出て来た。欧米人に多く日本ではあまり多くないが、 悪性化してガンになったホクロのようなもの。一般に恐れられている胃がんや肺癌などと比べ、ホクロの ガン?となじみが薄いこの腫瘍、実はガンの中でももっとも散らばりやすくて危険なものの一つらしい。

そしてまた、これは私は小さい頃からすごく気になる病気であったのだ。小さい頃テレビでやっていた 「巨人の星」っていう漫画の主人公の恋人の一人がこれで死んでしまったのがものすごく印象深かったので。 その女性は爪に小さな黒いしみが出来、気になって針でつついたらそれが良くなくて全身に転移してしまった、 ということだった。そんな病気聞いたことないし、ホントにあるんだろうか?と「家庭の医学」で調べて 怖くなったりしていたものだった。(当時、ヒロインが難病で死ぬというストーリーが流行っていたので、 始終調べていた)

腫瘍は大体怪しいと"生検"といって、ちょっとちぎって顕微鏡などで詳しく調べるものなのだが、あのヒロ インは針でつついたぐらいで広がったのに生検したら危ないんじゃ?質問してみると、ニコニコした先生 はすっと真顔になって、これに関しては危険なので生検でも丸ごと広く切り取ると教えてくれた。

授業が終わってからこっそり「あの〜むかし巨人の星っていう・・」と切り出すと、即、「あ、あれね爪の とこねー、色素滲み出してきたりであれはやっぱりメラノーマでしょうねぇ」といきなり話が通じたの だった。やはりプロ、チェック済みなのですね・・。

公衆衛生実習:保健所 

一週間の公衆衛生学の実習。数人ずつのグループで色々な施設に行った。私はさいたま市の 保健所と保健センター、新宿の国際医療センター、大学内での病院内のアートのセミナー という日程。

まずは保健所。大抵の学生は保健所にはほとんど縁も関心もなく過ごしてきているので、 概要の説明だけで、実は身近なところでこんなに色んな仕事がされていたっていうのが驚きだ。 もっとも私の場合は子供が生まれてからは母子保健やなんかでかなりお馴染みになっているが。

そのうちの1つの結核に関するお仕事に同行させてもらう。管轄内の住民が結核になるとまず 保健所に届けられ、登録される。それから治療が終わって一年経つまでずっと保健婦さん (正確には今は保健師)が追跡してケアするのだ。管轄外の病院に入院してももちろん出向 いていく。そこで制度の説明をしたり、色々な相談に乗ったり、発症前に接触した人を 洗い出して検査してもらうために聞き取り調査をする。昔と違って、家や近所を消毒したり はせず(吐き出されてから時間がたった菌ではもううつらないらしい) 必要以外には感染の事実を口外しないようにかなり気を遣う。

それでも・・・必要な人には連絡は行くわけで(そしてそこから話が広まることもあるだろう)、 職場や近所のあとのことを考えると、ちゃんと答えてくれないこともよくあるらしい。 職場を頑として教えてくれない人もいるらしく保健師さんの苦労するところだ。 面接は一般病棟から更にガラスの扉をくぐる隔離病等の中。患者さんも含め全員特別なマスク着用 (これが顔にくっきり丸い跡がつく代物で、帰りの顔はちょっとヘン・・)

保健師さんの、不安をかかえた患者さんとのコミュニケーション能力は本当にすばらしくて、 もう一人他の組に同席したクラスメートもひたすら感心していた。今回の患者さんは 地域の保健師さんがゆっくり相談に乗り、退院した後もずっとフォローしてくれるのが とても心強いと喜んでくれていたが、なかには役所にずっと監視されて付きまとわれるのがいやだと 敵対心を持つ人もいたりで、そういう場合はかなり大変だそうだ。

今は入院しないで服薬だけで済むことも多いし、入院しても大抵は2,3か月で治るらしいが やっぱりうつれば面倒だし、ことに年配の人には昔の、非常に悪い病気のイメージがあって、 あまり言いたがらないのがよけい感染を広げているとか。また、決められた期間薬を飲めば 治るものを途中でやめて再発したり、薬の利かない菌を増やしたりで感染を広げるケース、 若い医師が結核に慣れていなくて診断がすごく遅れるケース、年配の医師が古めかしい治療 法を未だにやっていることでこじらせたり耐性菌を作るケースも多いらしい。

保健師さん曰く「分かんないなら抱えとかないで専門家に回す!お医者さんになったら、 ほんっとにそれはお願いしますねっっっ(^^#)」

その後、結核審査会というその月に登録申請のあった患者の申請を受理するかどうかの会議にも 出席した。専門家が集まり、1件1件詳細にデータを検討し、X線写真を見、治療の妥当性を チェックしていて、すご〜く勉強になった。それにしても毎月そんなに申請があるうえ、 適当とはいえない治療を受けていたりするケースがままあるのが驚きだった。

その他色々な業務を聞いたのだが、一番大変そうだったのは、その時、そこが 2002年6月のさいたま市だったということだ。世界中の人間が前例にない規模で集まる ポイント。そう、ワールドカップ、さいたまアリーナ。

警察、消防とはまた違う面から、事故はもとより、暴動、テロに備える。そして万が一、 まだ経験のない一類感染症、エボラなどの厄介な伝染病が持ち込まれたら・・。炭素菌が 撒かれたら、ホテルに病人が出たら、病院にこんな人が来たら・・シミュレーションを 繰り返し、とんでもなく分厚いマニュアルを作り、あちこちに協力を求め、通達を出しまくり、 たくさんの器材も買い揃えた。白い粉が落ちているという通報に宇宙服のような装備で 出かけて回収し、大福の粉だった、なんて事を既に随分繰り返したらしい。

街は異様なまでのサッカー熱に浮かれてウキウキしているが、保健所職員さん達は「あとは 準決勝がまたこっちであるんですよねぇ・・とにかく早く終わって欲しいです・・。」と 既に燃え尽きた風情なのだった。知らないところで色んな苦労があるもんだ・・。

公衆衛生実習:保健センター 

保健センターと保健所はどう違うのか?内容的には似ているが保健所の方がより事務方や役所的な仕事が多く、 センターの方は住民に直接関わる地域密着実働部分が多い、らしい。私達(といっても二人だけ)が参加した のは、ソーシャルクラブといって精神障害者の社会復帰への橋渡し的な活動で、具体的にはレクレーションや 手芸工作、調理実習、といった作業を保健師や講師の下で行う。入院する必要はないが、就業や就学はまだちょっと 難しいという人が外に出て他の人と何かをしたりする機会を提供している。

その日はちょうど調理実習で、20人ぐらいの参加者の大半は分裂病(今は統合失調症という)の人。老若男女 混ざっていて、家庭を持っている人も何人もいた。小説などで描かれる、入院が必要なぐらい派手な症状を 呈している状態以外の、こういった人がどんな人たちなのかといったイメージは私たち学生をはじめ一般の 人にはあまり無い。私たちが接した範囲では、ニコニコ日常会話を交わす人から静かに言われたことを 細々とする人までいろいろながら、みんな大人しくまじめで不器用といった感じで、強いて挙げれば服装が 流行のものではないこと、ぎこちない硬さがあるのがちょっと違うところだろうか。込み入った会話があまり できない人も多いが、これはまた知能に問題がある訳でなく、うまく頭が回らないと言うか何と言うか ちょっと説明が難しい。(今の時点で私もはっきりとはつかみきれていないし)

月に何度かの集まりに来るメンバーを保健師さんたちは実によく把握していて、調理中もずっと声をかけたり、 もしくは邪魔をしないように見守ったり観察をしている。みんなが帰ってからのミーティングに参加したが 誰さんは最近調子がいい、誰さんは家族とこういう状態らしい、この前町で見かけたらこうだった、あの 説明は混乱するからこうした方がいい、次の工作ではこうしようと、それはそれはものすごい緻密、かつ 熱の入ったミーティングで知られざるプロの世界にただ感心するばかりだった。それに、プロ意識、という ものを超えた母性的な精神を感じずにはいられなかった。保健師というのは女性の仕事とは限らないので こんな言い方は叱られるかもしれないが。(それに私自身、何でも母性にこじつける論理も嫌いなんだけど)

午後の実習のために迎えにきてくれた保健所の職員さん(男性)も「職務を超えた母性のような熱心さだと 思う、見てて感心する」と言っていたので少なくとも端から見てそんな風に見えるような見事なお仕事で あったことは確か。色々理想とはかけ離れた苦労も多そうだとは思うが。

公衆衛生実習:国立国際医療センター 

 新宿にある国際医療センターという大きな病院に12人ぐらいのグループで 国際協力についてのお話などを聞きにいった。その病院は普通の総合病院としての仕事もしているの だが、国際協力やその人員を育てる場としても活躍している。その仕組みや、活動の様子のビデオ や講義は知らなかったことがいっぱいあってなかなか面白かった。・・のだが、一週間の実習期間の 最終日ということもあってか、暗くなると半分以上の人がうつらうつら・・・。 「結構面白いビデオだと思うんですけどねぇ・・・」と寂しげな顔をされてしまって申し訳なかった。

そういえば普段「海外協力隊の医師として活躍したい!」というような志望の人を、まず見かけない。 単に私が知らないだけかもしれないけど、大学のカラーとしてあまりワイルドではないことは確か。

最後、講師の先生が自信たっぷりに、これ当たったらすごいよ。おごるよ。ちなみに今まで誰も 当てた人いません!・・と見せた写真の病名を私が当ててしまったので、もう一人の先生が人数分の 缶コーヒーを調達に走るというおまけがついた。

褐色の足と腕のちいさなしこり、その周りの薄いまだらな脱色。そして、協力隊が行く所。レプラ (らい病)の初期。知っていたのは、たまたま。子供の頃から変った病気、厄介な病気というものを 調べるのが好きだったのに加えて、新約聖書ぐらいの古典から近代小説にまで、いたるところに顔を 出すこの病気は、私にとってはなじみだったのだ。10代の頃にすでに(大昔)。

日本で新規患者に出会うことなどまずないのだから、専門家なんてめったに会えるものじゃない。 だから終わってから積年の色々な疑問をいっぱい質問できて嬉しかった。そして別れ際、その先生に 「あのねぇ、あなた、あんなの分かるようじゃ普通の病気、診断できなくなるからだめだよぉ。」 と、アドバイスいただいたのだった。(^_^;)

公衆衛生実習:病院とアート 

最終日に病院の建築や内装のアートコンサルタントをやっている会社の人のセミナーがあった。 日本は特に先進国の中では建築や内装に実用や権威付け以外の要素を入れるのが遅かったし、個人的にも 大変興味深いところなので、色々な施行例や海外の実例などのスライドは面白かった。

ただ、金持ち用の病院というのがはっきり分かれているような制度による差とか、実用の都合との 兼ね合いによる制限に対する問題に触れない批判が多かったことや、医療側が分かりにくい専門用語を 連発して説明する、相手に対する想像力の無さ(これ自体は正にそのとおりなのだが)を言いながら、アートを 学んでいるわけではない医学生の大半は知らないであろう横文字、アート用語の洪水で話を進めていたのが 気になった。かなりの人が途中から聞く気を失って寝ちゃってたし題材は面白かったのでもったいなかった。

金魚 

金魚すくいでもらってきた金魚が病気になった。飼ったことのある人なら分かるかもしれないが、 白い綿のようなものがつくカビによる皮膚病に、黒いブチまで出てきたのだ。一応家でできる応急策として 塩水に泳がせて殺菌を試みたが、進行は止まらず、しっぽも崩れてきた。餅は餅屋と近所の小さな熱帯魚 などの専門店にいって相談。

「黒いぶち、動いてました?」「え?う〜ん、多分・・じっと見てたけど寄生虫には見えなかったですが・・」 「カビと寄生虫だと処方が全然違うんですよね〜ホントに動いてませんでした?」「多、多分・・」 「白いのはカビでしょうけど、じゃ、カビってことでこれカビは全部これ一本で効きます」 主な一群の病気が一つの薬で治るなんて素晴らしい。人間もいつかそこまでいけるのかなぁ・・と内心 感心しつつただでもらって来た金魚に1260円のパラザンという薬を購入。

「この濃度に薄めて、三日泳がせて、その間はエサやら無いで下さいね」「えっ!金魚って三日もえさなし で大丈夫なんですか?」「普通平気ですけど、見るからにガリガリにやせてるとか、ぐったりしたら中断して ください。あとは飼い主さんの観察で・・」・・・ガリガリ・・金魚のガリガリにやせた状態って?! 判断できるのだろうか?

プロには簡単なことでも素人さんはよく分からないし不安なのです。というのはいずこも同じ・・

結局、その薬は3日でみるみる効いて、きれいな金魚に変身。崩れたひれは戻らないのかと思ったらすっかり 再生。そういえば魚のひれに血行があることを顕微鏡で見たことがあったのに。その知識だけで動物の角や爪 の先とは違うと分かりそうなものなのに。まだまだ推理力が甘い!

病理学実習 

病理学というのは病気の組織を肉眼や顕微鏡などで見て、それが何であるかを調べる学問。3年生の基礎医学 では「組織学」で色々な臓器や組織が顕微鏡で見るとどうなっているかを学んだが、今度はその異常パターンを 学ぶ。昔はひたすら主な病変組織をかたっぱぱしから見てはスケッチしたりして最後に試験、というやり方 だったが、最近は班ごとに決まった病気の特定の人のカルテのようなものをもらい、いろいろな部分の臓器 を見て、どんな病気でなぜそんな変化が起こったかを3〜4回の実習で調べ、写真もとったりして、まとめて パワーポイント(パソコン仕掛けののスライドのようなもの)で発表する形式になった。

当然そうすると全部の疾患を見る時間はないので、「え〜!うちの班、心筋梗塞見られないの?」「胃がんが 見られないなんて!」と結構文句も出ていたが、先生方によると今まで授業を受けた先輩達の意見でも、 どうせ大量に見てもすぐ忘れちゃうし、今年のやり方の方が絶対いい!との意見が多いそうだった。 勿論、自分の班で当たったもの以外を見たい人には時間後などに標本は解放されたので勉強したい人は していた。

はじめのうち、教科書や図説と首っ引きでもどこが異常なんだかよく分からない。ここになんかうじゃうじゃと ヘンな細胞が集まっている!と思って先生に見てもらうと「これ、フツーのリンパ球だよ」と言われたり。 勿論プロでも判別しがたいケースだってあるのだが、教材用の標本には大体分かりやすいのを選んでくれて いるにもかかわらずである。大学院生も含めて結構な人数の先生方が教室を回ってくれているのだが、 みんなが争って捕まえて質問するので特に最初の頃は全然足りなかった。

私の班が最初の頃、癌を見分けるのに苦労していたとき、先生に「癌細胞って色んな形があるのに、これは 癌、って見分けるコツってなんですか?」と聞いた。先生達は教科書的なポイントを教えてくれた後、 「あとはね、やっぱり顔が悪い!」 は?・・「うわ、こいつワルそう!って、 邪悪な顔してるもん。」・・はぁ?・・と目が点だった私たちも、しばらくすると、だんだん悪い 面構えが見分けられるようになってきたのだった。(百発百中には程遠いが・・)

私にとっては解剖や顕微鏡&調べ物といった作業は楽しいので時間が経つのが早く、午後いっぱい全く休憩が いらない。飽きる作業は一時間足らずでくたびれるのに、疲労と精神は関連深いんだなぁとつくづく思う。 最終日、発表の班毎のコンペがあり、我が班はみごと優勝。(と言っても優秀な勉強家や、表現力豊かな 発表の達人といった班員に負うところが大きく、私はのん気にうろうろしていただけだが・・ ^^;)

骨髄バンク 

日々の授業の講師は、大学内の先生をはじめ全国の色々な専門家がやってきて、時には医学部以外の専門家 も来るのだが、医師でも学者でもない人が来た珍しい授業があった。日本で骨髄バンクを創設したメンバー の一人である、元普通の主婦の女性。スライドに沿って様々なお話や説明がなされた。最初の画面は にっこり笑う男の子の写真。骨髄移植で治った患者さんかな?「実は私の息子なんです。」へぇ・・ 「もう この世にはいませんが。」

NHKの番組で日本で最初の骨髄移植のドキュメンタリーを見たところだったのでその内容とオーバーラップ させながら興味深く聞いた。が、子供のお話はホントに聞くのがきつく、非常に疲れた。ともすれば全然 関係ないことを考えて気を紛らわしたくなったりして、かなり目が泳いでいたと思う。

ちょっと聞く程度でこうなんだから、家族、遺族達がどんなに困難な道であってもこのバンクを作り上げ、 軌道に乗せることを決してあきらめなかったパワーは必然だったのでしょう。

フリークオーター

7月から4週間、フリークオーターという、実習期間。それぞれ1人から4人ぐらいまでずつ、大学内の研究室 や近所の研究機関に所属して、様々な現場をのぞかせてもらう。非常にマニアックなものから実践的なもの、 先端の研究といろいろな物に触れることもできるので選ぶのは楽しいが、いかんせん学生にはよく分からない ので迷うところである。ところで、初めてこの名称を聞いたとき「自由な四分の一?」と謎に思ってしまった 英語音痴な私だが、辞書を引いたらクオーターは学期という意味もあるそうで。多分、自由選択学期 という意味なのだろうが、他にも兵隊の帰宿という意味もあるようなので、一時の居候という意味では こっちも遠からずという気もする。

せっかくだからまず行く機会なさそうな変わった所でも覗こうか、薬理学実習で行った骨の研究のところは 面白かったからその辺をまた見るか、とリストを見ると、大学の近所にある生体材料工学研究所という所に 人工関節と骨の再生、生体材料などの研究をしているところがあったのでそこにした。希望者は一人だった ので即決。

とりあえず事前に挨拶にいくと、学生の指導係の先生が出て来てくれて説明をしてくれた。前、骨の細胞の 実習をした所はバリバリみっちり型の教室だったが、こちらは大変おっとり放牧タイプらしかった。

先生「ところで何でここにしたの〜?硬組織関係だから、わりと歯学部の学生さんが多いんだよね」 前の実習の時、N先生のところの骨が面白かったし、再生とか人工材料とか興味あるし・・etc. 「あ、ひょっとしてけっこう硬いもん好き?骨とか歯とか。」「あ、けっこう硬いもん好きです!」 「おお、硬いもん好きかぁ、いいね、いいね!」という訳で硬いもん好きな所らしかった。

ここは主に工学部の人と獣医さんで構成されているという大学の中ではないところ。工学部の人は人工の 材料や骨の、力学的な問題や化学的問題等を色々研究し、獣医さんはそれらと実際の動物実験への臨床や、 ネズミや犬に人工関節を埋め込む手術をしたり色々やっている。とにかく珍しいものがいっぱいあるので それを覗いたりちょこちょこお話聞かせてもらうのが楽しかった。

獣医さんたち「ところでさ、何でここで実習してんの?」フリークオーターって色んなところでいろいろ 見せてもらえって実習で・・「なるほど〜、臨床行ったら見ないような違う世界も見てけってことか。」 「つまり俺達の牧場実習みたいなもんだな。」「うんうん、牧場実習だね。」・・牧場実習だった のか〜。

実習は歯学部の5年生のお兄さんと、関連の研究をしようとしている獣医さん。どちらもいい感じの方々で 楽しく過ごした。骨の再生とか大掛かりなのはできる時間はないので、体に埋め込んだ人工物の表面に どうしても細菌が付着してしまうのをどうするか、という研究のお手伝いで、ちょっと過酷な条件になると 細菌が身を守りつつ膜を作って引っ付く様子や条件を作るのを観察。抗生物質を入れたら菌が減っていくのは 分かるとして、壁に張り付く奴が増えていくのにはちょっとびっくり。それにばい菌を食べるアメーバの ようなマクロファージ、実際に見たのは初めてなので面白かった。それにしても人間が恩恵を受ける様々な 薬や器具ができるには山ほど動物が切り刻まれたり死んだりしているんだなぁと大変よく分かった。


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