医 学 生 日 記  

'02年度 四年生/春休み

休み仕事  まずは家で 
バリア発表  これで本当にお休み 
スポーツクラブ  毎日が未知との遭遇
キャンパススコープ  学生新聞
雪あそび  トンネル開通
大きな眼科  地元で 
聴診器  新調! 
ABT  バレリーナ達
ハワイ  楽園

休み仕事 
いつものことだがまずは保留になっていた家の仕事に取り掛かる。これが本当に楽しいのだが、普段から もっといっぱい時間があったら毎日ワクワクするかというと、まずそうはならないだろう。気にしつつも 後回しになってたあれこれをぱぁっと片付ける爽快感はまた別物。いつもきちんとしてる人は偉いです。

あっちこっちを大々的に片付けて、不用品をほじくりだしては捨てたり、板を買ってきてギコギコ細かい 棚を細工したり。新しいコタツを買ったり、服を作ったり、子供達のスキーグッズをそろえたり。湯煎から チョコレートを作る方法を初めて娘に教えたり。まだのこってる予防接種を片付けたり。子供達が学校へ 行っている間に映画を見たり。まあこうして見ると、どれも普段出来ないほどの事でもないのだが。

バリア発表

試験終了から約2週間後、バリア試験の結果発表があった。一人一人封筒に入った結果票をそろりと 引っ張り出してみると、「不合格」の文字が。げっ!何?と思って更に見ると、

不合格科目
なし

ああもうびっくりした〜。これで晴れて丸2ヶ月のお休みが手中に。

スポーツクラブ

さて、せっかくの休みなので好きなことやるだけじゃなくて、足りないものを増強するというプランも。 ということでなんといっても健康と体力が資本。それでなくとも年は人一倍とってるんだし。それに腕力 が欲しい。もともと同性の中でも非力な方だが何かと現場で何かと不便だし。というわけで近所のスポーツ クラブに入ってみた。子供がいつもスイミングスクールに行っている所なので、娘に紹介してもらう 形で(^^;)入会費と最初の月の半額を免除に。子供達が学校へ行っている間の平日午前限定会員で 大変リーズナブル。

特にエアロビとかそういうクラスに参加しないでちんたら自分のペースで基礎的なメニュー(バイクとマシン と水泳)をやっていたのだが、ちゃんと通ってやったのは初めてで毎日毎日新鮮な発見が。もちろんスポーツ そのものや解剖や整形外科的な興味ももちろんだが、それ以外の収穫が実に予想外!

まず、平日午前は中高齢者が多い。私がきわめて若手という感じ。体の発達具合や衰え具合の千差万別なこと! 何がしか故障があってリハビリ的に来ている人から、暇つぶし、健康のため、社交、バリバリ鍛える おじいさんまで、きわめてバリエーションがあってなんか毎日、なるほどなるほどと非常に勉強になった。

ロッカールームは女性ばかりだが、まあとにかく皆さんしゃべるしゃべる。そして年齢的に病気や怪我や 家族関係や入院したときのこと、お見舞いのときのこと、よかったこと失敗したこと、医者のこと、病院の こと、家事のこと子供のこと・・人生も終わりに差し掛かったと感じたときのさまざまな心境、うつ病になる ということ、その家族のこと、薬よりプールがどんな風に関節によかったかとか、お風呂では実にさまざま な人が遠慮なく歩き回ってるし。うーーーん、これだけ濃厚な勉強が出来るとは。

キャンパススコープ

キャンパススコープという学生新聞の取材の人が来た。東京電機大、上智大、津田塾大の3人の学生さんで 医学生じゃないいわゆる普通の大学生の人とお話したのでとても新鮮で、色々懐かしいこともあった。 時間と自由がありすぎることの不安や、就職活動や、いったいどういう方面のどんな仕事に着こうか 悩んでしまうところなんか。うーん、初々しい。

でも私の頃と今と何が違うってやっぱり携帯電話のない学生生活だったというのが一番。広い大学内で いったんはぐれたら捕まえるのは難しかったし、割と簡単に音信不通になれたし(あっちこっち泊まり 歩いてたら捜索願い出されそうになった人もいた・・)、待ち合わせも、相手が来ないときはどれぐらい 待てるかなんて論争がよくあった。その代わり携帯忘れると不安、なんて事態もなかったわけだが。

家人と、「待ち合わせの場所勘違いしてよく行き違いになったよねぇ〜」などと言っていたら、 取材の女の子がすごく真剣なまなざしで「そういう待ち合わせしてみたいです。 なんかロマンチックだし」と言ってました。ん〜、そういうものかぁ。

で、出来上がった記事は楽しそうな写真入りで面白かったのだが、惜しむらくは名前の漢字が違う上に 経歴も間違ってる。理工学部卒じゃないってあれほど言ったのに・・(^_^;)。まあ誰にも不都合はなさそう だからいいか。

雪遊び

新幹線に乗って上越に雪遊びに行った。子供がいるのをいいことにソリと雪山作りやトンネル堀りや穴掘り に熱中。人が通れる大型トンネル完成!今は子供が遊べるキッズコーナーが広くて遊びやすい。最初の大学生の 頃、世の中はバブルで、若者はみんなスキーに行くのがお約束で、行く度にどんどん施設やリフトが増えて、 どこもかしこも流行のウエア来た人で大混雑で・・って感じだったのがまあ10年ほどでがらりと変わって のどかな感じに。程よい混み方でファミリー施設も多くなって快適だが、地元にしてみればあの頃の 投資の始末はさぞ大変だろう。

ところでロッジの医務室の医師は季節限定アルバイトなのだろうが、どういう人がやってるのかな〜と 側を通るたびに気になった。風邪や腹痛の人も来るけど、かなりの大怪我の人も来るわけだし。寒いから 高齢の人が脳やら心臓の発作起こすことだってあるかもしれない。結構怖そう。

大きな眼科

下の子の視力が一年生の時からどんと落ち、仮性近視だろうと目の筋肉を緩める薬を出してもらって点眼 したのだが一向変化がない。うちにゲーム機はないしそんなに目を使ってるかなぁ??と思ったが日がな 将棋盤にらんで本やマンガ読みふけってても近くを見ていることには変わりないか・・。でも私も子供の頃 から本が大好きで、夜も寝ながら読むと目が悪くなると叱られるので、布団の中の薄暗がりでこっそり読 んだりしていたが(余計悪い・・)ずーーっと1.5だった。体質?

どっちにしても眼鏡がいるなら大きいとこでよく見てもらおうか。と探すと、近所に昭和初期から地元に あるという老舗の大きな眼科があるのを発見。今までものもらいを小さな地元の眼科で見てもらったことが あるだけで、「大きな町医者」と言うのは見たことがない。

行ってみると新しいきれいな建物だが、昔の待合室を残したのか一部畳スペースがあったり徳富蘇峰に送ら れた病院の名前の書が掲げてあったりで面白い風情のあるところだった。医師も多いが事務や看護士や視力 測定の技師や眼鏡屋さんなどスタッフがいっぱいいて、しかし大学病院よりは診察室と待合室や事務が近く て、はじめてみる規模の活気のある病院だった。

いろいろ診察を受けたあと、先生が言うには、両親のどちらかが強度近視じゃないですか?(家人がそう・・) くりっとした大きい目によくある目の奥行きの軸が長い軸性近視で、レンズの調節力を良くする点眼では 直らないとのこと。成長とともにどうしても軸が長くなって進行するので、あとは進行を早めないように 目を使いすぎたりしないように気をつけるしかないが、進むのは避けられないとのこと。いくら点眼して、 目の周りをすりすりマッサージしても全然効果がないなぁと思っていたので、じゃぁむしろ出来る範囲で のんびりやりましょうと、気が楽になった。

聴診器

実習に備えて聴診器を購入!大学生協でも割安で扱うが、今はネットでも安く早く買えて便利。名前入り。 他にも色々色があるし(でもナース用と違って医師用のは全体に渋め)特注にすればパステルピンクなど にも出来るのだが、見る限りそういう人がいないのでちょっと遠慮してみました・・。深いグリーン。

←届いた荷物  ←箱の中!

うちに子供のおもちゃの聴診器はあるが、本物は音が全然違う!というわけでみんなで喜んでいろんな音 を聞いていた。ただ、大人には心臓の音が気持ち悪いとやや不評・・ドキ、ドキ、ではなく、ドリュッと いうかブリュッというか、液体が搾り出されるような生々しい音がするので。

ABT

妹と、渋谷のアップリンク・ファクトリーに「アメリカンバレエシアターの世界」というドキュメント 映画を見に行った。ダンサー達の練習風景や日常、バレエ団のオフィスの様子などをひたすら撮ったもので 興味のない人にはつまらないと思うが、好きな人にはとっても面白い映画。バレエを見るのはもともと好き ではあるが、今は体やその動きを見る目が医学方向にも更に広がってますます楽しい。

この映画館には始めていったが、映画館というより映写室といった風情でマイクロカフェシアターという ものらしい。狭い部屋にどっかの骨董屋からかき集めたようなばらばらな古い椅子やソファが何列か並び、 横には小さなバーカウンターがあり、そこで一人のお姉さんが支払いも飲み物サービスもしていた。 お客は10人ぐらい。チケットがドリンク付きで、おまけにぺリエがあったのでとってもうれしかった。 なぜか「くらげの飼い方」のビデオが売っていて、誕生日プレゼントにと妹に買ってもらった。(^^)

ハワイ

春に休みが取れるのでハワイに行こう!といっていたのだが、あれよあれよという間に戦争が始まり、うーん、 どうしようか。とばっちりの可能性は低い地域だとは思うけど・・。ちょっと迷ったが、卒業したらしばらく 忙しくてこういうチャンスもないし、今はとにかくこの貴重な時間を使いたい!というわけで結局行った。

子供を遊ばせるには絶好の場所。コンドミニアムで朝ごはんは自前だったのでとにかく楽だった。海、 大型プールの遊園地、私が特に好きなポリネシア系の文化の資料の多い博物館、派手な手品のショー。 同じ国の人が戦地にいるとは思えない別世界の和やかさ。こんな時でも今だから来れる、と思うと 一分一秒がありがたい。

成田に帰ってくると、戦争のための警戒に加えて、SARSは広がっているわ(SARSも発生時はまだ他人事と いった雰囲気で、帰国したぐらいからマスコミでも本格的に騒ぎ出した)、アフリカのほうでエボラ 出血熱は出たわで(これは日本から遠かったせいかマスコミでも見なかった)緊張が増していた。 その中をいろいろな国から戻りお土産の山を抱えて楽しそうに行きかう人たち。色々な言語で書かれた SARSの注意を呼びかけるカードをもらった。珍しいので取っておいた。


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