医 学 生 日 記  

'99年度 一年生/春休み
聖路加国際病院探検

古き良き建物の楽しみ  まずは勝手に見てみました。旧棟編
新しい方の病院   まずは勝手に見てみました。新棟編
病棟案内(旧棟)  広報の方が付いてくれました
病棟案内(新棟)  カルチャーショックがいっぱい
見終わって  感想

古き良き建物の楽しみ
事前の電話で、古いチャペルの中にも入れてもらえるし、許可をもらえば写真も撮れることが分かった。 新富町の駅を降りててくてく歩いていく。まず古い建物の裏手が見え、チャペルの外観が見える。 ステンドグラスの窓の凝ったゴシック風のすかし模様等、望遠レンズを駆使して写真に収める。 そこから角を回って、その周辺の歴史地図や、碑などもカメラに収めつつ、看護大学の隣にある、 柴の庭の向こうの人気のない古い方の病院棟を伺う。花粉の飛散の多さに苦労する今日この頃。 マスクをし、黒いダウンジャケットの前を閉め、カバンから大きなカメラを取りだして様子を うかがいながら写真を撮る私。あからさまに、あやしすぎ・・・(^^;)。

 旧棟正面  裏手

人気のない旧棟正面から入り、絵のかけられた廊下を進む。ここも病院をやっているようだけど、 どういう病院なんだろう?(後述)。廊下の両側にどっしりと古びた、金箔を張ったオリエンタルな木彫 レリーフが並ぶ。写真では良く知っていたがそこにあるとは知らなかったので発見気分!昔、厨房の冷蔵庫 の上に、冷蔵庫の中身の分類の表示を兼ねて飾られていたことで知られたレリーフ。牛をつれた仙人は 乳製品、イノシシに乗る勇者は肉、鯛を抱えた恵比寿さんは魚介類といった類。 ちょうどここに来るまで七福神にこめられた呪いにまつわる本など読んでいたので思いがけない所で 出会って、ちょっとどっきり(^^;)

    
左から、仁田四郎と猪(肉)、恵比寿さんと鯛(魚介類)、大黒天と俵と野菜(穀類・野菜類)、 寿老人(足元に木の実が落ちてるのでフルーツ?)、牛と仙人(乳製品)

廊下の突き当たりには創設者トイスラーの肖像がかけられ、左右に階段が回り、アールデコの内装も 優雅なホールになっていて、ここの床にも大変珍しいレリーフがはまっている。守護神的なものの他に、 医にかかわるものに意味深いものを配してある。天秤、毒に打ち勝つ?マングース?知性?のオウム、 トルコ風付き星とターバンの男の出てくる魔法のランプ(?)=迷信を戒める???魚(魚介類を介する コレラなどを封じるらしい)ネズミ(ペストなどの諸伝染病封じ)

医と商業の神ヘルメス  復活のフェニックス
      

  

↑壁にあるレリーフもまた強烈。望まぬものを敢えて形にして封じる方式ながら巨大な蠅、蚊、蚤、シラミ・・

新しい方の病院

長い渡り廊下を通って新棟へ行ける。壁にずらりと掛けられた美しい絵。2階の外来受付のあるロビー に出ると、なんじゃこりゃー・・・・!リゾートホテルのロビー?明るく広く、しゃれた空間が広がる。 各種一般外来の受付の並ぶフロアなのだが、柔らかいきれいな色取りの椅子がゆったりたくさんならび、 フロアはもちろんカウンターも広く、中央は広い吹き抜けのエスカレーター。華やかな色の新しい椅子の 他に、廊下やエレベーターのあちこちに骨董屋にあるようなヨーロッパアンティークのベンチも置かれて いる。ここでも壁の至る所に絵画が掛けられている。う〜ん、なんか違う惑星に来たようだ(@。@)。 著名人がこぞってここに入院するわけだねぇ・・・。

一回りするとそのフロアの一角に開け放った扉があり、礼拝堂になっている。入ってみると誰もいなくて 広々としているが、確かに見覚えがある。あのとき、サリンの被害者が溢れ返っていた、あの礼拝堂だ・・。 そういえば今歩いているこの広い廊下もあの時は、うずくまる人、倒れている人、点滴のスタンド、 酸素マスク、走り回る看護婦、医師でいっぱいだったっけ。礼拝や、コンサートに使われる他、正面 祭壇部分はボタン一つでスクリーンが上がってきて、カンファレンスに使われてもいるらしい

お昼を食べようと思い、食堂はどこかな?と案内板を見ると一階にあった。この分だと、食堂もきっと きれいなんだろうなぁ。期待しつつ案内に沿って廊下を曲がると、病院食堂?いえ、レストランがあった。 入り口には「お席にご案内しますのでこちらでお待ち下さい」の看板。横のガラスケースには美味しそうな おしゃれなケーキがずらりと並ぶ。白いギリシャ風の飾り柱が並び、南仏風?のテーブルと机が たくさん並び、ガラス張りの壁面から明るい日の光が入る。ウエートレスさんがたくさん行き来し、注文 を取りに来る。値段は普通だけどメニューはなかなか多い。お奨めメニューの春キャベツのとアスパラの 和風スパゲッティーを食べつつ観察。確かによく見ると不自由な手でゆっくりゆっくり食べている人や、 車椅子を乗り入れている人は結構いる。でも、どこから見てもホテルのレストランだなぁこれは。

さらに地下の売店をチェック。衛生用品やコンビニ系の品揃えの他、ベビー用品、おもちゃ、ちょっとした 雑貨が大変おしゃれ。ガウンやネグリジェやスリッパのデザインがとてもいい。買おうかと思った。 色々な本の他にオリジナルの書籍も置いてあった。

病棟案内(旧棟)

教会内部を見せてもらう約束をしていた1時15分過ぎに広報の部屋に行く。担当の中年の女性は、 明るく物柔らかで、親切で、歴史のことも良く知っていて、とても面白い話が色々聞けうえ、私が医学生と 分かると病院の方も色々案内してくれ、大変有意義な「一人病院見学」までしてしまった。(^^)

昭和8年に建てられた教会。戦災も免れ(というか空襲も教会は避けたらしいが)、単なる模様というより これも色々と意味のある図像の多い舶来のステンドグラスも当時そのまま。今も昔ほどではないにしろ ミサやコンサート、結婚式やお葬式に使うらしい。
(遠景のいい写真がない〜(T.T)ホントは堂内に、 何とも言えない色合いの光が満ちている。三脚を持って行くべきだった!!)

祈祷台とか、聖水台とか、いずれも非常に見事な細工の骨董品が立派に使われていて、ひとつひとつ 眺めていてとても楽しかった。

創立の頃の話、その後の歴史的背景、ステンドグラスの意匠について、装飾の文様について、戦中、戦後 米軍に接収されたこと、マッカーサー家のとの関わり・・ステンドグラスの光の中で沢山の話を聞けた。 こっちも随分質問したが、一つ一つに丁寧に答えてもらい、来た甲斐があったなぁ〜としみじみ嬉しかった。

教会の入り口は病棟の2階ロビーだが、そのロビーの教会への入り口の反対側はひろーい休憩室のような 空間になっている。張り出したバルコニーに続く広い部屋に、クラシカルなソファーやテーブルセットが たくさん置かれている。今は殆ど人がいないが、赤ちゃんの検診に来た家族が休んだり、病棟に入院して いる人が散歩に来たり、私のように外部から見物に来た人が休んだりしているらしい。「昔はお客様が お見えになったときとか、ここで職員がティーパーティーした頃もあったんですよ。」ほ〜(@。@)

こっちの古い病棟もやってるみたいだけどどういう病院ですか?と聞くと、こちらは保険外診療をやって いるらしい。会員制のクラブがあり、予約制で一人に30分とか1時間じっくり見てもらえたり、新棟で 出産した親子用の検診や予防注射などのアフターフォローなどを時間決めてやっているとのこと。

古い階段(古い大学の階段によく似ていた)を登りつつ、踊り場の窓から教会外壁を眺める。広報さん「ほら、 あの雨樋なんかも違うでしょう」私「古い建物は樋が違いますよねぇ。いい装飾してありますね(*^^*)」 「そのままなんですよ。緑青が出てるでしょ。」「もう手に入らないですね〜」「そうなんですよ〜この辺 はこういうの残ってる家も多いけど、若い人の感覚ではみすぼらしいってね、変えちゃうんですよねぇ」 「う゛〜勿体ないっ(>_<)・・・・けど、うちマンションなので、もらっても付けるとこない・・(^^;)」 ・・雨樋で盛り上がってくれた人は初めてなのでとても嬉しかった。

病棟案内(新棟)

黒々とした重厚な西洋屋敷から伸びた渡り廊下に出ると一転して現代になる。ずらりと絵の飾ってある、白い 明るい廊下。その先の前述のロビー。そこも一回りして説明してくれた。この所々に置いてある骨董品のような 木のベンチは昔のを使ってるんですか?「そうですよ。うちはね、捨てないんです。これでもすごく締まり屋 なんです。物持ちいいですよ〜!!」そういえば知り合いの看護婦さんが、あそこは仕事の内容はいいけど、 そのかわり職員は大変。薄給よ。と言ってましたが?「ええ、うちのドクターは清貧に殉じられる方 でないと(^^)。」

そういえばここは看護大はあっても医大がないけど、どこ系(病院人事は大概学閥に基づく)なんですか? 「うちはね、学閥一切無いんです。出来た時から」へ〜そういうのもあるんだ。研修から希望して 来る人が多いが、結構競争が激しいらしい。

上の入院フロア。ここは全個室って聞きましたが?「そう、今開いてるそこ、そんな感じです」広い。明るく しゃれたインテリア、機能的でウッディーな作りつけ家具に、システムバスルーム。(高そう・・-。-;) そして、窓が全て、お互いに見えないようにノコ場のようにギザギザにした壁面に付いている。(うまい 設計!!だけど建設費がすごくかさみそう!)

二重の厳重なロックされたガラス扉の向こうは小児病棟。(インターホンで連絡して開けてもらった) アメリカなどのカラフルで大規模なプレイルームを備えた立派な小児病院の写真なんか見ると、日本には こういうの無いね〜大体小児病院なんてもの自体あまり無いし・・小児科自体、やたら苦労してるし・・。 などと(私も全然詳しくはないんだけど)思っていたが、ここにあったか。(-_-;) 大きなホールに天井に届きそうなカラフルな機関車のオブジェがどーんと置かれ、子供が周りをうろうろ している。点滴のスタンドを引きずっている子供もいる。その様子をガラス越しに見学。

産婦人科の方も見せてもらう。新生児室があり、あら〜とのぞくと、「ちっっっちゃぁぁぁい!!」 いや、つい数年前、毎日毎日もう勘弁してくれと言うぐらい見て育てたんだけどね・・。二回も。う〜ん、 こんなにちっちゃかったか。もっともこれ以上大きくちゃ出すのが大変だけど・・。

そこの廊下にストレッチャーのようなものに半分ピンクの幌のかかったものがあった。???。 「授乳時間にお母さんの部屋に赤ちゃんを連れていく台ですよ。」超ロング乳母車でした。それに してもその大きな車輪。硬い輪に、がっちりしたスポークの感じは古い洋画に出てくる乳母車の輪のよう。 「そう、それもたぶん初めから使ってるやつじゃないかしら。たぶんアメリカ製ですね。ね、物持ちいい でしょ。」

産科の方へ。東京方面では、お金持ちや有名人の出産の御三家と言われる病院の一つがここ。部屋が広くて 豪華というのももちろんあるが、ここの売りになっているものがある。それがL.D.R。Lは陣痛、Dは 分娩、Rは回復。これが一つの部屋で出来るということだ。といってもやったこと無い人には何のことやら だが、これってすごいよ!もちろんこの全ての過程で家族は部屋にいることが出来る。

普通、生まれるぞと言うことで病院に行く。痛いよーという陣痛期は部屋や陣痛室というとこで機械など 付けられて、助産婦や看護婦や医者が時々様子を見る他は何時間〜何十時間過ごし、生まれそうですね、 というとこまで来ると、歩いて!等と叱咤激励されつつよろよろ廊下を歩いて分娩台のある部屋に移動し、 産まれたーという後、休むのはまたそこから出て他の部屋に運ばれる。(ドラマなんかではその辺はしょって ますね。)もちろん移動はしんどいが、医療機器や場所の関係上、何十時間も同じ場所を占領するわけには いかないのだ。

噂のL.D.Rルームはしゃれたホテルの部屋のようなところに花模様のベットカバーの細目のベット。が!カバー をあげると普通のベットから、しゃきーんと下半分が下がり、両脇には足乗せ台の上がる分娩台に早変わり。 横のウッディーな家具のふたを上げると、医療機械がぎっちり。壁のボタンを押すと、いきなり天井が んが〜っ!!と開いて、ごんごんごん・・と手術室の照明器具が下がってくる。口あんぐりなわたくし。 こんなの、どの部屋にも付いてるんですか?!「ええ、どの部屋もこうですよ。とてもいいからぜひ将来お使い になって下さいな!」「いえ、それはもう終わったからいいんですけど(^^;)・・普通の料金じゃ 採算取れないですよね、これ・・・」「ええ、ここビックリするほど高いんですよね〜」出産の費用という のは病院間で殆ど変わらないが、ここの料金表を見ると一番安いのでも、私がかつて払った倍以上だった。

屋上庭園を見せてもらう。屋上中ガーデニングの嵐といった風で、その間に散歩道がうねうねと付けられて いる。広くなったところにはベンチもあり、道のあちこちにはバラのアーチがかけられている。(冬なので 咲いてなかったが)私:「屋上って、気持ちいいけど、やはり病院は気を使いますよね〜事故とか自殺とか あると・・だから出られないとか、高い金網で囲うとか、結構ガード硬いとこが多いんじゃないでしょうか?」 広報さん:「でもここから飛び降りたって話はないですねぇ。ここに来てるとそういう気は起こらないじゃ ないでしょうか。」

最後、ここの創設者のミッションドクター(宣教医師)のトイスラーの伝記の小冊子と、建築の写真の いっぱい入った本が下の売店にありますよと教えてもらったので、あつくお礼を言って別れたあと早速買った。 その『病院建築のルネッサンス』の旧棟についての項目は私が最初にこの病院を知った本を書いている 建築家、藤森照信が書いており、内容も写真も私が持っている本と重複しているのだが、大判のきれいな 写真を見るとあらためてほれぼれ。後日、自分の撮った写真と見比べて、あまりの違いに倒れそうになった!! (^^;)超一流の建築写真家の増田彰久の作品と比べても、しょ〜がないんだけど・・・

見終わって

今までに知らなかった医療の世界を垣間見たという感じでした。第一印象、金があれば理想を体現する事は 出来るのだなぁ。でも金は無尽蔵に沸いてくるものではない。これを全員にやれば国の財政は持ちません。 よくアメリカなどの素晴らしい病院を引き合いに出してあれこれ言いますが、学ぶべき事は非常に多いのは 確かですが、そういうのはあくまで金がある人のもの。向こうでは皆保険ではないため貧乏人は医療を受けら れず死んでいるという現実があります。全員に健康保険があって医療が受けられると言う日本のシステム を整備するための涙ぐましい努力と基盤整備の背景を考えると単純比較するのはフェアじゃない。

ただ、あくまで標準的なものが保証されている上に、聖路加のようなこういった選択肢も存在するというのは 素晴らしいのではと思いました。ここまでやって初めて分かってくるものというものもあるでしょうし、 それがまた全体にフィードバックされることもあるでしょう。

それと、ミッションドクターである創設者や、その後の運営スタッフの多くは外国人であったのですが、 そこにある宗教的,哲学的要素の違いというものがまた非常に興味深いとも思いました。それがなければ ここまではっきりと現在への道を歩むことはなかったでしょう。また、大きな名声や財源をこういう形で 生かし続けて維持するというのもまた大変なことだと思います。

テレビの画面で初めて見てそこに流れる目に見えない「”何か”が見慣れたものと違う?」と思ったその 「なにか」を、今後も色々考えていきたいと思ってます。


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