医 学 生 日 記  

'99年度 一年生/春休み

湿布  世界共通かと(勝手に)思ってたよ・・
世界の湿布事情  実に色々(米、カナダ、ドイツ、中国、オーストラリア、 アルゼンチン、スイス、英)
聖路加国際病院  見物に行きました。
湿布のルーツ  意外にも西洋出身?!
左利き  昔から気になる案件
救急救命  いざというとき
プルテウス  公園にて
花粉症  ありがとう薬さん!が・・
後時恵  あの時なんで気付かなかったんだろう。というやつ
桜の頃  卒園、進級、入学など

湿布
ブルガリアのZ嬢曰く「腰や足が痛いときに薬の付いたシートを張るのが日本にはあるでしょ。あれが 向こうのテレビで紹介されたらしくて、欲しいって家族が言ってるんだけど、どのブランドがよい?」 えっ?ちょっと待って。湿布といえば一家に一箱、腰が痛い、肩がこったと言ってはベタベタ貼るのは 日本だけ?それともアジア文化?それとも東欧にないだけ?と聞かれた私はビックリ。 英語で言えばぴんとくるかな?と調べたが(stupe,cold/hot compress)その英語は知らない〜と、 さらに英語/ブルガリア辞書で自国語を引く。すると「わぁこんなブルガリア語、始めて見た〜!」

じゃあ、筋肉痛とか、腰がすごく痛い時なんかはどうするのと聞くと「静かに休む。」そ、そりゃ 正解ですが・・・。でも捻挫の時なんかは病院で消炎剤なんかを塗ったものをくっつけて包帯巻くんじゃない? 「う〜ん、ケガで病院にかかったこと無いから分からない。」薬草を煎じてペーストにして塗ったり、 布に付けて巻いたりするのは昔のヨーロッパでもやったと思うけど・・?「でも、それはおばあさんの 時代までじゃない?」がーん。よく効くんだけどなぁ〜。近代医学にもちゃんとつながってるんだけどなぁ〜 日本は漢方系のものもよく浸透してるからその流れもあるんだろうか??今まで考えたこともなかった。

アメリカは湿布あるのかなぁ。テレビだとスポーツ選手はエアーサロンパスみたいなのはよく使ってる ようだけど、一般人はどうだろう。確かにサロンパスだらけの白人のおっさんって見たこと無いかも・・。

というわけで、海外の湿布事情を鋭意調査中。海外在留経験のある人、現在在留中の人、留学生、 外資系OLに聞き込んでもらった話、サロンパスの久光製薬etc・・。からのよもやまをまとめ中。乞うご期待!

addその後、上のZ嬢は、ブルガリアの家族に湿布を送ったのだが、 家族は「痛みにとても効果的」と喜んでいるらしい。良かった良かった(^^)

世界の湿布事情

協力してくれた皆さん。ありがとう!!Q.打ち身、捻挫、筋肉痛、突き指などの時どうしてる?

・アメリカ在住の心理学者の卵の日本女性

しっとりタイプのしっぷは見かけない。冷やさなくちゃいけないところには日本の『ムヒ』みたいに スーとするものを塗りたくるのが定番。『タイガーバーム』なんかも使う。(これはどこでも手に入る。) でも洋服に匂いがついちゃうのでちょっと不便。つきゆびなんかした時は別にしっぷしないで、肌色の 包帯を巻くだけだ、とのこと。サロンパス系は、数年前に初めて日本の『サロンパス』が進出したらしく、 普通のスーパーで見かけてびっくりした。(Made in Japanと書いてあった。)

でも、うちではしょっちゅう"(a) stiff shoulder(s)!"って肩もみをお互いにやる。コンピュータとかを 使ってずっと座っているような仕事が増えてきたから、サロンパスとかマッサージとかどんどん世に広まりそう?! ダウンタウンじゃマッサージ屋さんもあるけど、でも、何故か飾りつけが亜細亜なんだよなぁ。 東洋の文化財(?)なんでしょうかね?

・アメリカ在住の日本人主婦

10年前にカナダに暫らく住んでいた時、聞いてみたが、彼らは「肩が凝る」という感覚が分からないよう。 (イギリス系カナディアンのみに聞いた結果。当時40代、5,6人)「それはどんなふうになる事?」と 逆に質問され、「そんなのなったことない。」とみんな言い切っていた。 肩を触らせてもらったら、 むちゃくちゃ凝ってましたが。試しに肩を揉んであげたら、「なんかいい感じ」みたいに言っていた。 気持ちは良かったみたいで、もっとやって、と言われが、翌日もみ返しがきたことを、ものすごい重病に かかったかのように騒ぎ立て、二度と揉んでくれとは言ってこなかった。

で、身体が重く疲れたと感じたときは、 1.お風呂につかる 2.足湯する(ハーブを浮かべるっていう人もいたような・・・) 3.早目に寝る

ドラッグストアで聞くと、「あれはスポーツで筋肉が疲労したとき用だから」という答え。 アスリート用 であって、あ〜肩こったぁ〜という軟弱な者には使用を許されないというような響きがありました・・・。 (よくわかりませんが・・・)

・日本在住中国からの医学留学生

中国では、湿布は肩こり、腰痛などに良く使われ、皮膚から薬を与えるらしい。これは口から薬を与えると はどこが違うか良く分からない。僕の印象では、おじさん、おじいさんたちが使うもの。

・外資系企業に勤める日本人OLの聞き込み

[イギリスとオーストラリア留学経験者]
タイガーバームの湿布を台湾あたりじゃ空港で(Duty Free)売ってるけど、USAではどうかなー? Sydneyで足捻挫した時は「タオルを氷で冷やした」ものを巻いた覚えしかない。古い話だけど。

[US留学経験者]
アメリカにはあった。説明が英語だったから良くわからなかったが、ドラッグストアにいろんな種類の 湿布があった。肌色のサロンパスみたいを使ったことがある。

[旅行取扱主任者 有資格者もと添乗員]
知りません。でも肩凝りはないそう。そういう表現もない。あれは日本人特有のもの。ということは日本は 非常に特殊なストレス社会だということ。というか、ストレスレスにする術に乏しい国だと思う。

[今年1月にドイツへ結婚していった幸せ者]
シップあるよーーー。マッサージ屋さんもあるし、マッサージする器具なんかも売ってるのみたし、 日本と変わらないと思う。

・アルゼンチン育ちの日系人女性

全然無かった。だから時々送ってくれと言われる。

・スイス留学経験者

日本のようにドラッグストアにずらーっと並んではいなかったと思う。でも自分が必要としてなかったので あまりしっかり見ていなかった。

・イギリス在住日本女性会社員

英国では湿布はあまり一般的ではない。とりあえず薬局などではみかけない。ヒート・スプレーといった 湿布のようなにおいのするスプレーがあるが、常用のものではないと思う。

自分の感覚のローカルさを再認識してしまいました。筋肉痛一つでも面白いですねー!!! まだまだ随時募集中ですので、何か知っている方、ぜひ教えて下さい。

聖路加国際病院

なんでまた聖路加、というと、もともと医学部に行く行かない以前から、ここの古いチャペルと病院は 古い洋館が大好きな私の要チェック物件だった。病院自体に俄然注目したのは5年前。「地下鉄に毒ガス テロ・・・!」のニュースが飛び込んできてテレビを唖然として見たとき。何が何だか分からず大パニック の中病院に担ぎ込まれ、廊下にまで溢れかえる被害者達の映像。駅や近くの病院が次々と映る中で、 「?!?」一つの病院が妙に引っかかった。

真新しい感じのきれいな院内の教会の礼拝堂に人が溢れかえり、点滴をしたり寝かされたりしている。 これ日本?へぇ〜ミッション系の病院かぁ。院内や廊下も映る。わーきれいな病院だなぁ〜・・・・って いうか・・・設計思想・・理念?自体から何かが違うような・・???広い、とかきれい、といったこと 以外に、何かが見慣れたものと違う?なんだろう?

その後、全個室であるとか、医療の理想を追う創始者の理念とか、でもすごーく値段が高いので国民皆保険的 な全人医療とはまた違う選択肢の一つであるとか、ぽつぽつと分かってきた。その頃朝日新聞に連載していた ここの小児科医の細谷亮太先生のコラムがまた非常に面白くていいコラムだったのでかなり興味をそそった。 というわけで、医学部に受かったらゆっくり見学に行こうと思っていたので、ようやく出かけてみたのだった。

詳細はこちら (医療の話と同時に、趣味の建築の話につい力が入って しまった結果、なんかかなり重いページになってしまいました。すいません) 

後日妹が、「お姉ちゃん、聖路加に勤めるの?!(詰問調)」(@。@;)?いやー何にも考えてないけど? あそこいい年代物の教会があってね〜、それに珍しい病院だから見物に行ったんだけど?「あんな高い所に コネが出来たって・・・庶民の行ける病院に勤めてよ〜!!」・・・(^^;)

湿布のルーツ 

サロンパスの久光製薬のご厚意で外用貼付剤の文献を頂いた(^^)。さて、湿布の歴史とは?

まず大きく分けて二つの種類がある。パップ剤とプラスター剤。パップ剤は薬効の他大量の水分を含む基剤 によるしっとりひんやり効果も兼ねたもの。白いぽってりした、しっとりタイプのいわゆる湿布。 プラスター剤はサロンパスのように、薄くて絆創膏に薬も付いてるというタイプ。

プラスターの起源ともいえる硬膏(軟膏に対して、固形の薬を貼り付けるもの)は非常に古い歴史を持ち 最古は紀元前のギリシアの民間療法として鉛丹(四塩化鉛)と豚脂に生薬を絞り入れ、皮や布に塗って貼ったもの。 18世紀ドイツでは松脂を加えることで粘着性を高めていた。

ヨーロッパ、中国を経由して江戸後期から幕末にかけて日本に入ってきた。鉛丹とゴマ油もしくは菜種油を 熱して固め、それを和紙に塗布して貼り、「膏薬」とした。按摩膏、相撲膏と称した。(一般用とスポーツ用?!) 膏薬、っていう言葉は私が子供の頃は年配の人がまだ使っていた言葉。頭痛にはこめかみに貼ったりして、 昭和初期のマンガなどでは、庶民のおかみさんを描くときの定番小道具だった。ギリシア産だったとは!

パップ剤の方は、まず、ギリシアの、ヒポクラテス(前460〜?)とその一派により、罨法(患部を冷やした り温めたりする治療)製剤として、パップ剤を意味する、poulticeの言葉が使われている。 パップというのは粥を意味するオランダ語から来ており泥状の薬と言うこと。今もヴィックス・ ベポラップという風邪の時胸に塗るゼリー状のものがあるが、あれもその一種だろう。

パップ剤としての最古の記録はヨハネ福音書第9章。(ヨハネの福音書の第9章は盲人のお話で、イエスが 地面につばをはいて、それで泥を作って、目に塗ったというところが湿布にあたる?add そして、その盲人が水溜りだか池だかでその泥を洗い流したら、目が見えるようになり、イエスの起こした 奇跡とされている。)16世紀の書物にも、罨法(湿布)剤、擦剤として載っている。

現代の商品として現れるのは1900年代初頭、アメリカで開発したパップ。まだ泥状。日本のメーカーが輸入 を始め、国内競争が始まる。1970年代には布などに塗布してワンタッチで貼れる成形パップが出来現在の 市場となる。そして様々な薬剤を成分として含むようになってきた。

なぁんと!!生まれも育ちも西洋だった!わりと最近、中国を経由し、日本に来た。でも何故だかアジアで 好まれ、そこで生き残り発展した。アメリカには上陸すらしなかったんだろうか?どうして欧米では廃れたのか? でもドイツでは健在の模様?(その辺は文化や国民性と言った要因もあるのだろう)新たな疑問は残ったものの、 アジア産ではない、という意外な事実を発見して、またビックリな湿布の旅だった。

左利き 

私はまるっきりの右利きで、家族も全て右利きの生活をしていたが、実は父は左利き。昔のことなのでお箸と 筆はしっかり右に矯正されたため、子供の頃から右しか使っていないが(ただし、スポーツは左)、 面白いことになっている。左で字を書いてみると、右手で書いたようなまともな字がすらすら書けるのだ。 ただし、鏡像反転で!鏡で映すと、ごく普通の字になって見える。練習したのかと聞くと、自然とこう なっちゃうんだとのこと。何でこんな事が起きるんだろう?脳は何をやってんだろう?子供心に非常に 興味を引かれ、その後ずっと気になっていたテーマだ。

文化によって矯正するか否かで数が違うだけでどの人種も一定の割で左利きが出るらしいとか、脳の言語野 の分布が右利きと違うことが多いとか、芸術・スポーツなどの著名人や天才に意外といるとか、調べれば 調べるほど色々出てきて面白い。
レオナルド・ダビンチは左利きだが、彼の膨大なノートの文字を初めて見たときはびっくり。全て鏡文字! 鏡像反転に執拗にこだわった「鏡の国のアリス」(不思議の国のアリスの続編)の作者ルイス・キャロルは 左右、鏡像の感覚の混乱する「鏡失認」という障害を一時的に持っていた可能性があるらしい・・・etc.

昔から、目に付く左右関係はチェックする方だったが、ここ数ヶ月で読んだ本を見ても左右に引き寄せら れているなぁとあらためて思った。『左右を決める遺伝子』で、 体の軸の左右はどうやって出来る?鏡像同位体の分子が体ではいずれか一方だけに片寄るのはどういう訳か? 『脳の中の幽霊』では左右、鏡像の知覚の障害が起こると、どんな 事が起こるのか?脳はどう情報処理をしているのか?『左ききの人の本』 では実際の生活上の問題、文化や、兄弟による影響の違い、左利きへの暖かいエール・・。しかし、 まだまだ分かっていない事だらけだ。

左利きを減らすのはしつけの問題なので、海外へ行った人は向こうじゃ左利きが多いと驚いてくることが多い。 さらに、筆を左で使うのがやっかいなこともあり、日本では左利きなんて恥ずかしい事と、厳しくしつける 風習があったが、それも最近になって急にゆるんできたので地域差も大きい。勤めていた頃、九州勢の 同僚達が、東京の人達は左利きが多い!と驚いていたのがとても新鮮だった。(そして挨拶が下手で、 字が汚い人が多い!とも・・つまりは世間に"恥ずかしくない"しつけという古風なものが都市では消えて いってるって事だろう。私も、小さい頃よく字が汚いのは"恥"と怒られた。その割には全然 達筆にならなかったけど。;_;)

ただし、左の矯正に関しては実用よりみんなと同じでなければと言った理不尽な面も大きく、またもともと 体(というか脳)がそう出来ているのに、それを悪いことのように叱責することで、チックやどもり等の 神経障害を起こすケースが少なくない事が分かってきて、小学校などでも無理には指導しないという方針で 統一されつつある。

ちなみに私もだんなも娘も右利きだが、息子だけは赤ん坊の時から、はっきりと左利きの兆候を示している。 何かを右手に渡しても、必ず左に持ち替えて食事をし、絵を描く。日本(や他の漢字圏)は特に矯正する 傾向があるので欧米(1〜3割ぐらい)よりずっと少ないと言われるが、息子が3歳の時、保育園の懇談会で 何気なく話を振って調べてみると、クラスの3割ぐらい(一般に言われている、矯正前の左利きの確率に 見事にぴったり)が左利きであることが分かって面白かった(一人、よしよし、と内心ガッツポーズ^^;)。 彼はユニークな脳味噌になるだろうか。鏡文字は書くだろうか?この先の観察が楽しみ。

救急救命 

自転車交通事故を目撃してから、蘇生に当たっていた医師に後日、 ああいう時って、素人はどうすればいいんでしょう。息止まってたから、ほっとくと死んじゃいますよね? と聞くと、「そうだねーマウス・トゥー・マウスの人工呼吸っていうけどね。でも血が出てるときは 最近は感染の問題とかあるから、無条件にはお奨めできないなぁ〜」そっか。そういう事は本には あまり出てないけど、サリンの時も人工呼吸してサリンを吸ってしまった人もいたそうだし、緊急時って いろいろ大変なんだなぁと思った。

そのあと、都内で電車の脱線接触事故があり、沢山の死傷者が出た。テレビには血まみれのぐしゃぐしゃの 電車。えっと、ここにいたらまず・・・血を止めなきゃ。ハンカチ。そうだネクタイもらって止血して・・ 意識不明の人は担架がないから、移動するときは肩で引きずるしかないのかな。その前に口の中に吐いた 物があったら取らないといけないか・・。

週刊誌などの細かい記事を見ると、救急車が遅れた奥の方の電車では、乗客がこういう措置をとても しっかりやったという事が書いてあった。ネクタイの止血はもちろん、座席をはずして担架にして運び 出したり。そして救急車が遅い!と口々に怒っていた。いつものことだが、警察、鉄道、消防署、消防団 等の指揮系統がバラバラなので来ていたのに動けずにいた部隊が結構いたらしい。

知識はあってもやっぱり実習しないと。と、春休み中に消防署の「救命講習」を受けようと思い立った。 一般人向けの救急車が来るまでに出来ることを覚えようと言う講習で、初級4時間、上級8時間で基礎的な 救急処置の講習が受けられる。ところが問い合わせると、自分の住んでいるところや近所は「個人じゃ ちょっと・・・友達を10人ぐらい集めればいいですけど」とのこと。少し離れた大きな市を聞くと 今度は「個人でもいいですよ。でもいっぱいなので来月以降じゃないと。」予定も、教えてくれる所も あれば、はっきり分からないので市の広報に出るのを探してくれというとこなど色々。

10カ所ぐらい聞いて春休み中はあきらめ、とりあえず家にあるやたら詳しい豪華版の家庭の医学の 救急の所をじっくり読み返すことにした。子供の頃から「家庭の医学」を読むのが趣味(^^;)だったので 大まかには頭に入っているが、その本はやたらめったら詳しくて、じっくり読んでいると、あ〜こんな事に なったら痛そう、う〜これは苦しそう、ひ〜子供がこんな事になったらっ。と気持ち悪くなってきた。が読んだ。

プルテウス

臨海実習のウニの幼生の観察時に、顕微鏡の視界の中で、透き通った 三角錐の空洞の中にぽろぽろと細胞が落ち込み、下からもこもこと陥入が起きて腸が内部に伸びていくのを 見て、自分が小さ〜くなって、この(ウニの幼生の)中に入って、そこに座って透き通った天井から ぽろぽろ落ちてくる細胞や、周りで分裂していく細胞や、床からするすると伸びていく腸を眺めたら 面白いだろうなぁ〜と夢想したものだ。

先日子供達と遊びに行った公園に、5メートルはある高い柱を中心に、赤いロープを網目状のピラミッドの様に 張り巡らせた大きな遊具があったのだが、四方に足を伸ばしたその形は「あっウニのプルテウス幼生・・」 (上述の3角錐がプリズム幼生、そこからさらに進んで3角錐の人工衛星のようになったのがプルテウス幼生)

よじ登って、真ん中辺りのロープに座り、上を見上げ、周りを見回すと、まさにこれはウニのお腹の中だ〜。 3次元にシンメトリーに並んだ細胞!(ここではロープの編み目なんだけど)はじの方は三角に、四角の ならんだ真ん中編、きれいな6角形の所もあり・・。見上げて揺れていると、登ってきた娘が「ママ、なに ぼーっとしてるの?」ここねえ、顕微鏡で見たウニの赤ちゃんに似てるんだ〜。だから自分が小さくなって そこに入ったらみたいな感じがして面白いんだ〜。「ふ〜ん。そうなの・・」。しばし、ぼ〜っと並んで座る 親子であった・・。

花粉症

大人になるまでアレルギーは一切無かったのに、5年前に花粉症になった。ちょうど10年ぶりの大飛散と 言われていた年でその年に発症する人は多かったが、あれから5年、本当に花粉症人口が激増した。 予防薬と言われるシーズン前から毎日飲む薬を使うようになって、去年は花粉が少ない年だったことも あり、殆ど押さえることが出来た。(去年は受験に影響が出るといやだと思って3月から飲み始めたので ちょっと出遅れたのだが、それでも効いた)

今年もぬかりなく2月から飲み始めて万全!のはずが、去年の8倍とも言われる花粉の当たり年のせいか、 効かない!寝不足と、鼻ノドが常に荒れているために感染して風邪にもつれ込み、よろよろ。 知人に「毎日飲むのの他に朝晩"セレスタミン"ていうの飲んでるの。いいわよ〜!」と言う話を聞いたりで、 これは限界と思っていつもの内科に。「ぜんぜ〜今年はアレジオン(予防薬の名)が、ききばぜん。もう一 押し」う〜ん、人相変わってるね。じゃあ抗ヒスタミンを出すか。頭鈍るから車は運転しないようにね。 と言うわけで出た薬を見ると、うわさの「セレスタミン」。どれどれ効くかな?

効きました。目や口の中のかゆみ、鼻水、くしゃみが一掃され、眠れるので風邪も一気に全快。私は もともと薬の反応がよく、副作用も出やすい。殆ど副作用を感じない人が多いアレジオンでも眠いし、 手の痺れ方で飲み忘れをチェックできるぐらい。だから副作用の出やすい抗ヒスタミンではホントに副作用が はっきり。朝辛い、ぼおっとする(いつもと変わらないとも言われるが)。それでもあの症状が抑えられる だけでもう薬学様々。気分壮快、マスクなんて忘却の彼方で深呼吸!久しぶりに天気がいいと嬉しい、 風が爽やかで嬉しい、お花が咲いてるねぇ〜と散歩を楽しむという懐かしい春に浸れて有頂天に。 しかしよく効くなぁ〜・・・

そこで花粉症の治療やセレスタミンについて調べてみると・・「セレスタミンで体中がボロボロになって 大変でした(ステロイド連用重症アトピー患者談)」「大変よく効くが、切り札的な薬なので連用しない ように(耳鼻科医師談)」・・っておいおい。聞いてないよぉ。抗ヒスタミンとだけ聞いていたが、それと ステロイド剤の混合の薬だった。重症アトピー患者と違って、季節物の花粉症はほっといても数ヶ月で服用 が終わるのであまり言わないのかもしれないが・・・。

ただむやみと薬や副作用を嫌悪して、症状をこじらせると悪循環のどつぼにはまる。切り札は切り札として うまく使い、体の治癒力を発揮できる程度にもってってあげるのも大事。この兼ね合いと見極めが経験なん だろう。いまはおおむね予防薬だけ、セレスタミンは時折飲むだけで平常状態になるようになった。 あとはシーズン終わりを待つばかり。それでも薬があるのは本当にありがたいことだ・・

後知恵

ある朝、携帯を無くした。その朝、洗濯物を干していて屈んで胸ポケットから落とし、拾ったので、あったの は確か。その後は保育園に行って帰ってすぐ気付いた。あのあと深く屈んだ覚えはないし、落ちて音が しない所なんて??ないないと騒いで、その夕方、布団をぱたりと広げたらそこにあった。ここかっ。 そういえば畳む時は屈むんだった。

深く屈む、落としても音がしない、という2点から、わずか1時間の行動を考えれば分かったはずなのに・・ 簡単なことなのに・・と凡人の後知恵。「ちっとも難しい理屈じゃない。が、その目の前にある当たり前の 材料を正しく見つけて、答えを導けるかどうかが大きな違いだ」とはシャーロック・ホームズ氏の言。

システムエンジニアをしていた頃、何度もそういう目にあった。かなり進んだ段階でプログラムのバグを 見つける度、あぁ〜,そういえばあの時ふとあれ?っと思ったときに、ちょっと考えれば目の前に材料は あったのに・・ホームズだったらあの段階で見つけただろうに・・と何度思ったことか。

医者もきっと山ほどそういう悔しさを味わうことはあるんだろうなぁ。目の前にある材料をしっかり 捕まえられる人になるべく、日々の学習を生かしたいものだ。

締め切りに負われまくってナチュラルハイな現場で、一人がやけくそ紛れにハード屋さんに向かって「でも、 こうしてみるとうちらソフト屋はいいね〜突然仕様変更されても(-_-#)、間違えても(@o@;)、ちょちょいと インプットし直せばいいんだもんなぁ〜(しばしば、ちょちょいでは済まない惨状を呈するが^_^;) 機械はまた作り直すんだもんなぁ工場に戻って〜」等と言うと、機械メーカーの人も、「でもま〜機械は 壊してもばらしても文句言わないし、医者みたいに人が死んだり、ひどい事になったりする訳じゃないしね。」 一同、そうそう、機械相手はその点に関してはいいよね・・そう、そうだよ。まだマシだぁっ。

なんて話したのをふと思い出した。

桜の頃

長女が保育園を卒園した。入園した頃、子供は片言しか話さない幼児だったし、私は受験なんて考えても いなかった。4年間の何と色々詰まっていたことか。子供が元気いっぱいの非常に豊かな幼児期を過ごせたの は何より良かったが、様々な年齢、職業の父母と楽しく交流する機会が多かったのも、とてもラッキーだった。 私は大学では干支一回り下の人がいっぱいの長老で、ここでは干支一回り上の人もいたりの若造だったり する・・。

ポケモンの生地とミシンを前に、入学グッズを作った。手提げ、上履き入れ、体育着入れ、防災ずきん。 ついでにスカートなども作る。洋裁をしてると、とにかく「端の始末」をしまくらなければいけない。 布の切り口や穴はしっかりほつれないよう加工しないと、そこからどんどんほつれて崩壊するからだ。 縫いつつも、それに較べて動物の体の切り口は勝手に増殖して治ったりくっついたりするから、やっぱ すごいなー。少々のことでは端の始末なんてしないんだもんなぁ〜。外科手術だって、その勝手に端が 延びてきてくっついてくれるってのを利用してるからこそ出来る技だもんなぁ〜。などと考えてしまった。

お天気に恵まれた桜満開の日、小学校入学式に行った。門の「入学式」の看板の所で写真など撮っていると、 家人が「なんか去年もこんなんやったなぁ」「いや〜子供(?)が多いと入学式とかって続くからね(^^;)」 勉強を始めた頃、長女が小学一年生になるとき、私は学生になれてるかなぁ・・・と思ったものだった。 せっかく恵まれたこの機会をありがたく使わないと。と改めて思った。


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