医 学 生 日 記  

'99年度 一年生/3学期

ダイアモンド  幼児の質問から
  ↑この項に対する妹からのコメント&クラゲ
おおきくなあれ  魅惑の竜宮城
臨海実習  館山のお茶の水女子大学臨海実験場にて
あれから5年  当時は添削指導員
自転車事故  直後に遭遇
発生学発表  辞書引きの嵐でした
期末試験  一年生終了!(多分)
ダイアモンド 
6才の娘曰く「石ってどうして固いの?」私:(それは・・・共有結合(注1)が多いせいだと思うけど・・ えーっと)「石を作ってるちいさな粒がね、すご〜くしっかり手をつないでるから。しっかりつないでる 手がいっぱいあるとすごく硬い石で、あんまりつないでない石は、すぐ割れちゃうんだよ。」(うんうん、 我ながらなかなか正確)娘:「じゃぁダイアモンドは(先日一番硬い物はダイアモンドと話したとこだった) 100パーセント手をつないでるのね!(注2)」(うわーこれはなかなか正確だぁ)「そのとおりっ!!ぱちぱちぱち!」

注1:いくつかある分子のつながり方のうち、とても強固なつながり方
注2:炭素がもれなく手を使って立体的にきっちり結合したのがダイアモンド

後日化学の先生にこういう話したんですよ〜と話すと、「わー面白いわねぇ。あ、でも端っこは二酸化炭素が くっついてるらしいわよ。」そうか・・・はじっこがあったんだ。端は結合の手が余ってるから教科書通りには なってないんだなぁ。考え出すと、もののはじっこってどうなってるんだろうと色々気になってしまう。 じゃあ真空中で磨いたダイヤのはじっこって手が余りっぱなし?N先生:「活性(注3)になってるんじゃない? でもそんな風にするの実際難しいよなぁ。どうなってるか見えないしねぇ」

注3:すごく反応しやすくなっている状態

更に後日化学を専攻していた学卒の同級生に、この話をすると「あ〜はじっこね、こんな風になってるんだ よ」とカバンから図を出してくれた。(ナゼ持ち歩いているっっ?)昔ちょうどこの辺やってて、と 色々話を聞けた上、その製本した論文「Electrochemical Properties Functional Diamond Thin Films (機能性ダイヤモンド薄膜の電気化学特性)」を頂く。難しいし英語だしだが、ちらちら拾い読みしたり、 ほお〜と図を眺めたりまさに<子供が、よく分からないながらも、わくわくしつつ大人の本を覗いてみて いる状態>なのだった。
この項に対する妹からのコメント&クラゲ

おおきくなあれ

↑何かといえば、保育園のお遊戯会。全て先生と子供達で相談して準備するので親はすることはない。が 最上級クラスの父母だけは毎年「演し物」をする。いや〜年末から準備を始め、年明けは毎週のように練習 しました。共働きのための「保育園」であるので、みんな忙しい。のが普通なので、忙しいのがお互い様。 出られる範囲で結構都合する。普段の送り迎えから行事から、お父さんも混じっているのが普通で、大人も 子供もお互いを良く知っている。それだけに一層・・毎年の目玉は「お父さん達の色物(主に女装)」。

今年は浦島太郎のオーソドックスな脚本。そして、サンゴの林で出てくる子供の大好きなキャラクター達、 黒のミニスカートに白いフリフリエプロンの魚のメイド達(もちろん父)、色違いの衣をまとった三姉妹の 乙姫達(もちろん父。ガタイのいい順に三人。含だんな)。現代の浜辺を闊歩するミニスカートに網タイツ のコギャル達(もちろん父)。締めに総勢で踊り狂った「ラブ・マシーン」・・・辺りがポイントでしょうか。 私はしがないお魚役。と衣装係。うわー明日のフランス語の予習が終わらない〜と言いつつ、乙姫の衣裳を ダダダダと縫っていた日々。しかも最初予算内ならこのぐらいだよねーと慎ましく準備していたものの、 そのうち、それぞれの役の人が「自腹なら別にいいんでしょ」と、どんどんすごく・・・ 貴重な経験をさせていただきました・・。

その夜の打ち上げで、私と一緒に頭に魚を付け、腕に青いふさふさを付けてフラダンスを踊っていた お母さんが、和光市の理化学研究所の脳科学総合研究センターの研究員と知った。「え〜〜!!理化学 研究所!?結構憧れだったんですよね〜。あそこ、昔は日本では異色の”研究者達の楽園”って言われてた でしょ。」と私。「まぁ昔はいい人出てますよねえ・・・(以下略)・・・・」というわけで 思いがけず理研や海外の研究事情(スイス・バーゼル大学)なども聞けて面白かった。

臨海実習  

3学期の選択科目の「発生学の基礎」の臨海実習。生徒5人(今年はナゼか男1名)と先生、院のお姉さん 面白そうだから行きたい〜と同行のドイツ語の先生とそこの男子生徒1名。鈍行に乗って列車の旅を楽しみつつ 館山へ(でも誰もお酒を飲まなかったので私はちょっと驚いた)。館山には大学の保養所のような寮があり、 そこから歩いて5分のお茶の水大学の臨海実習施設を借りて、3日間実習をする。

1日目
着いて早速臨海実習所へ行き、水槽に囲まれた実験室でご飯を食べ、実習を始める。実習内容はバフンウニの 卵の初期発生の観察。アセチルコリンという神経伝達物質を注射して興奮状態(?)にしたウニを海水を 満たした瓶の上に置くと卵や精子がだ〜っと出てくる。今、このウニどういう気分なんでしょう・・・
←産卵 ←精子
プレパラートの上の卵に海水で薄めた精子をぽとっと垂らすと見る間にすばやい精子が受精に成功したとこから プクッと受精膜が浮き上がり、さーっとそれが全体に広がってぐるりと取りまく膜になるのがよく分かる。 後れをとったその他大勢精子はその周りで努力を続けている。

ドイツ語の先生は、顕微鏡見るのなんて子供の時以来♪とうきうき。生物の先生を捕まえて素朴な質問を連射。 殊に精子がお気に入りで「がんばれー」「やったー」「あー敗者が無駄な努力を。悲し〜」とひときわ騒ぐ。 薄めたのがここに・・と言っているのに男は濃さで勝負!!などと意味不明なことを口走り、原液を持って きてかけては「うわ〜いっぱい。」と喜んでいた。

という先生は置いておいて、せっせとスケッチをする。卵割までちょっと時間があるので目の前の浜に生き物を 拾いに行く。風船のような実の付いた海草(ホンダワラ)や岩場に付いた貝をひっぺがしてすぐ戻る。 漁港に行った人は捨ててあった15センチぐらいの小さなエイの死体を持ち帰る。

最初の卵割。腰がくびれていると思ったら数十分でグリグリとくびれ、ぷちっと二つになる。わーい! と喜びつつじっと眺めてスケッチする。さらに一時間以上すると二つのハートのように見える卵がじりじりと 4つの細胞に分裂。この辺までは肉眼で”ぷちっ”というのがよく分かって楽しい。プレパラートに乗せておくと 水分が蒸発していくため見る見る弱るのでしょっちゅう大きなシャーレに戻す。8細胞くらいで夕飯に戻り、 また戻ってきて続行。

細胞が増えるとだんだん真ん中が空洞になっていく。その辺りからはもう一つ一つの分裂は分からない。 そこで、拾ってきたエイを解剖してみた。不用意に切り離さないように見やすいように工夫しつつ展開。 エイや鮫は骨格が軟骨なので扱いやすい。独特のえらに続く肺も、上下に一つずつの一枚の板のように なった歯も珍しいものばかりだった。似たような種類の解剖図を広げてみんなであーだこーだと観察した。 あとで写真を見ると私は笑いながら解剖している(^^;)もしくは顔をくっつけそうに近付けて覗き込んで いるかのいずれか・・・。嬉しそうな顔してたよねぇ・・とは撮影の先生談。
     
トビエイ。約15cm(除しっぽ)  3枚目トビエイの脳

その他、カルシウムを抜いた海水内では受精が進まないという実験もする。カルシウムが細胞の活動に 欠かせないということを確認するためだが、なーんにも起こらないので「つまんないよ〜」とドイツ語の 先生に殊に不評。「ねぇねぇ〜もっと面白い実験ないの〜」と騒がしいので、じゃぁ異種(=ヒト)の 精子で受精が進むか自ら確かめてみては?と提案したが「やだ」と却下。でも、できるもんかなーと 興味津々の模様。生物の先生曰く、認識するタンパクが違うんだから無理でしょう(-_-;)

買い出しをしながら帰ってそのまま宴会に。諸々の話で延々と続き、じゃー寝ますか・・・と4時に寝る。 でも、やはり女性が多かった年だからか(しかも内3人が既婚だったりする)お酒自体で飛んだって事は なかった。でもお風呂には入り損ねた。

2日目
それでもしっかり8時半頃には起きてご飯を食べ実習所に。膜の中ですっかり育ったまん丸君は繊毛など 生やし、膜の中でくるくるとかわいく回転している。そして酵素で殻を溶かし、一生懸命グリグリ回転攻撃 をかけてついには膜を破り出てくる(孵化)。また、頑張れ〜!!あ〜ここに出そうなのがある〜!!と 声援を飛ばしながら観察・スケッチ。孵化後の殻は、ひしゃげたソフトコンタクトレンズのようだった。

ここで特別参加のドイツ語師弟が帰る。昼食後はハンマーやタガネ等を持ち、長靴を借りて磯採集。 各種貝、サザエに住んでるでっかいヤドカリ、アメフラシ、ヨロイイソギンチャク、紫ウニ、海綿、 ケヤリムシ、漁港に捨ててあった魚、漁師さんが「お茶の水の人?あげるよ」とくれたワカメ。

これは取れないよ。と言うのをカシカシカシカシ・・・・とつつき倒して採取するのが自分の得意技で あることが分かった。特に初めて見た「ケヤリムシ」、この実習至上を誇る大漁だったらしい。 岩の下にいて赤くてふさふさ。イソギンチャクのように見えるがその下には黄色でぐにぐに動く長い体が あり、体の周りには粘液で作った周りの土と同じ色の管があり、脅かすとその管の中にしゅっと引っ込む。 映画「砂の惑星」かなんかに出てきそうな風体。私は気持ち悪い虫や生き物が好きではなく、家の中で 出会おうものなら間違いなくキャ〜!!となるのに、こういう時は平気なのが不思議。

小さな漁港の周りの浜には漁師さん達が食事に使ったと思われる魚の、すぱっと切り落とされた頭が ごろごろ落ちている。その中にフグもあった。これって免許あるのかな〜大丈夫なのかなぁ?でも毒のない 奴かも。食べたとは限らないし・・などと頭を囲んで推測する。フグは真新しく、私達が近付くと浮き袋に ぷーっと空気を入れ(首から後ろがないのでそのものが見える)「ぐぷ、ぐぷ、ぐぷ」と音を発しながら体 (というか頭)を振動させ、大変怖かった。

ウニの方は盛んに泳ぎ回って真ん中には空洞、腸の元になる細胞がその中に落ち込んでスタンバイしており、 体も三角になってきている。陥入(外側の皮が中にぐっとめり込んで腸等を作る)も起こり、めり込んだ管 がくびれて何かの形を作り、先端は反対側にくっついて口を作ろうとしている。せっせとスケッチ。

その後アメフラシの解剖をしてみる。黒地に白っぽいまだら、20センチぐらいのナメクジの親玉のような 生き物。紫の汁を出して身を守る、と聞いていたので採集の時つついたり振り回してみたが反応はなかった。 が、背中を少しチョキと切るとブッシュ〜と皿の中は紫の海。私の手も紫に。

 (←紫汁の海。)
実はね〜〜その色は一生落ち ないんだよぉ〜という先生のギャグを聞き流しつつも、これじゃかわいそうだしやりにくいし、何とか麻酔 かけるなり殺すなりしてからじゃないとと方法を尋ねる。が、「クロロホルムとか効かない。肺で呼吸 してないし」じゃあ構造は分かりづらくなるけど断頭しようか・・「頭切ってもあまりかわんないよ。脳 ないし」う〜ん。軟体動物って難しい。青酸カリなかんかなら効くかな?でもそれじゃ私が危険だ・・・ 「というより、そんなのそこらに簡単に置いてないって・・・」
 

というわけで、グニグニと戦いつつ解剖。やりにくいのなんのっても〜〜今までやったのの比じゃなかった。 でも最終的には各器官はつながったままうまく観察に持ち込めた。アメフラシの神経を研究する人が多いと 聞いて、こんなんどうやってやるんじゃぁ〜と思ったが、整理してみると頭の辺りの神経は脳はないとはいえ 非常に見やすく発達していて大きな神経節がきれいに配置されていたのでなるほどと思った。
あとで調べたら4度で冷麻酔するとやりやすい。とのことで一晩冷蔵庫に入れればよいと分かった。

この日は夕食後はお風呂はいって寝ましょう。ということになり、宴会はしたが1時には寝た。 お風呂で手についた紫はちゃんと落ちた。

3日目
朝食後行ってみるとウニは、骨片という小さなしんまでできて、三角錐の人工衛星のような形になり 漂っている。立派になったねぇという感じである。スケッチ後、ケヤリムシの管をちょきちょきと切って 中身を出してみた。つくづくエイリアンか何かのようである。数分で周りに透明なゼリー状の粘液が 出てきて周りのゴミなどをくっつけて管を作り始めた。
  右端の黄色い のが本体。ビックリして縮んでいるが普段はもっと長〜い。(15〜20cm位)

最後に発生中のウニの卵、採取した生き物(の生き残り)をバケツに入れ、採集した周辺に返しに行った。 ケヤリムシを取った岩畳は潮が満ちていて近付けなかったのでその手前で元気でねーと波に投げ込んだ。 昼食を取り、館山でおみやげなどを買い列車に。みんなは途中で鈍行に乗り換えたが私は特急で帰った。 (インフルエンザが娘→息子と猛威を振るっていたので・・)

あれから5年  

1月17日。至るところで「あれから5年」の言葉がおどる。阪神淡路大震災から5年である。 その頃私は自分が再び大学を受けるなんて事すら考えたこともなく、赤ん坊をあやしつつZ会の添削員を していた。その朝ニュースを見て,真っ先に頭に浮かんだの(の一つ)は、一番被害のあった町に住んで いた友人の安否と、恐らくこの街にもかなりいるであろう自分が添削したかも知れない、顔も知らないZ会 の教え子(?)達のこと。いるかどうか分からない、紙を通しただけの縁でも、もしその子が命を落として いたら、どこかに埋まっていたらという想像が私をぞっとさせる。

 受験シーズンまっただ中。それでなくても大変なのに、助かってもケガをしたり、家族を失ったり、 家を失ったり、進学を断念せざるを得なくなることもあるだろう。体育館で勉強している高校生の映像も映る・・

しばらくしていつものように添削答案が着いた。さて今週のお仕事を始めましょうと封筒を開け、 「遅着」の判子が押された締め切り遅れの答案の束を見ると、どういう偶然かその殆どが、神戸周辺の住所、 県立長田高校の生徒などだった。日付は震災の後。どぎまぎしながら目を通したが通信欄(先生へのお便り欄。 私はここを読んで返事を書くのがいつもとても楽しみだった)に地震について触れたものは一つもない。

だから私も、どうですか?とか、頑張ってね!等とは書けなかった。かなり迷った記憶があるが具体的に 何をかいたか良く覚えていない。何か書いている人にはその返事を、何も書いていない人には答案の内容 についての当たり障りのないことを書いたような気がする。あそこで、まだその事に触れる余裕はなかった のであろう彼らをそう言う風にそっとしておいた方が良かったのか、それとも応援してるよ!とか何とか 書いた方が良かったんだろうかと今もよく考える。

しかし、その受験生達がひどいハンディを負うことになった思う反面、実は期待のような予感もあった。 いつも沢山の答案、お便りを見ながら、子供達が豊かさと自由に包まれながらも、なにかの確かな実感を 得られずに、静かに行き場のない苛立ちを沈殿させているような気配を感じていた。今回、目の前で不変 と思っていたものがもろくも壊れ、生きること、死ぬことむき出しになったような光景を目の当たりにした 若い感性は強烈に何かを芽吹かせるのでは?という気がしたからだ。

後日の報道で、進学できなくなったり、勉強が出来なくなって涙を呑んだ人も多かったにも関わらず、 被災地にたたずんで大工、土建、建築家を、救命の現場を見て医師・看護婦を、様々なトラブルから法律家を 流通を、行政を・・・・とはっきりと目標を定めて出発した生徒が多く、その年の長田高校の進学成績は なんとアップした・・。というニュースを聞いた。私はちょっと涙が出そうになった。

自転車事故  

ある朝、保育園からちゃりちゃりと帰る途中、路上に人が倒れていて何やら騒ぎになっていた。 高校生の男の子とおばさんが自転車で衝突したらしく、おばさんは頭から血を流していて意識不明。 顔半分はすりむいていた。現場のすぐ前のうちのかかりつけの内科・小児科医院の先生と看護婦さんが 人工呼吸をしているところで、他の看護婦さんや事務の人達も次々と点滴だの機材を持ち出してかけずり 回っている。

その時点で血圧殆ど触れず、呼吸殆どなし、意識無しで周りも必死。スタッフはそれにかかりきりだったので 私は道の真ん中に倒れているおばさんの自転車を道脇に運んでいって、前かごに入っていた所持品を確保し、 慌ただしい病院スタッフの周りに散乱して転がり回っていた(医療用)テープや包帯を集めて箱に入れ、 後は下がって見ていた。

通行人のおじさんなどが連携して救急車を呼び、車の通行を止め、荷物からおばさんの身元を調べて連絡先 を探す。非常時にてきぱきと仕切る人というのは結構いるもので非常に頼もしく見守る。おばさんはカバン の中身から保険屋さんらしい。自転車で今日のお仕事に向かうところだったのだろう。いつものように 朝御飯を食べるとき、家を出るとき、こんな事が待っていようとは夢にも思わなかっただろうに・・。 ただ、あの状態で救急車が来るまで何分かほっておいたら、その時点で危ないと思うので、 病院の真ん前だったのは不幸中の幸いか。

酸素マスクを付け、何とか呼吸をさせようとするスタッフ。強制的に空気を吹き込まれて膨らむ胸というもの を初めて見た。それは生き物のようではなく、人形のようだった。がんがん何かの薬を点滴し、心マッサージ も合わせて行われる。馬乗りになってマッサージを続ける、いつもにこやかなお母さんという感じの見慣れた 婦長さんはとても頼もしかった。しかし緊急時ってあの制服はパンツ見え放題・・。

相手の方のピアスにつんつん頭の高校生のお兄さんは無傷だったが、事の重大さに、顔面蒼白、茫然自失。 呼吸がない!心臓が止まりそうと叫ぶのを見ているうち、倒れそうになって包帯の箱を踏みつぶし、 運ばれていった。すぐ戻ってきて道の脇に座っていたが、顔を覆った手も、肩もがたがた震えていた。

数分で救急車が到着。救急隊員に先生が経過を報告しながらさらに機材を出してもらって路上での処置 が続く。気管に管を入れ呼吸が戻った、血圧がちょっと触れたとの声が聞こえた。他は?という問に 「頭をかなり打ってるのと、肋骨折れてるかも、あとはないと思う」と先生。その頃、電話で呼ばれた その高校生のお母さんもやってきたが、為す術もなく立ちすくむばかり。

とりあえず呼吸が戻ったとようやくストレッチャーにのせ、救急車に運び込んだので,私も持っていた おばさんのカバンを救急隊員に渡し、その場を離れた。そのとき、そぉれっ!と先生も救急車に乗って いったので、朝一でインフルエンザ小僧をその先生の病院に連れていこうと思っていたけど、ちょっと延期。 事故にはくれぐれも気をつけようと思った朝だった。

追記add
半月後、道路に花束が手向けられていた。助からなかったそうだ。知り合いが、お母さんらしき人と男の子が そこに花をそなえ、じっと手を合わせているのを見たと言っていた。

発生学発表  

自由選択のセミナー科目「発生学の基礎」は上の臨海実習の他に、各自が選び、 読んだ発生学の英語の論文をまとめて順番に発表する。今年は6人なので一こま一人ずつゆっくり出来た。 (けど途中で先生がインドに行ってしまって半月休講で補講期間にずれ込んだ。)

準備が大変!初めて読む専門誌。英語とラテン語系の生物・化学系用語がぎっしりで、普通の辞書だけでは 全然足りない。図書館に専門の辞書はたくさんあるが、やはり不便なので生化学事典を買ってしまった。 高いステッドマン医学用語辞典は保留して、生物系に絞ったのを買ったのだがなかなか良かった。 でも、ついもの珍しくて、ふと気付くと全然関係ないページを延々と読みふけっていたりして、ますます 時間がっっ(^^;;)。また、調べてもしばらくすると忘れてるのがあったりで、ワンセンテンス読む のに、何度も何度も何度も何度も辞書を引き引き、書き込みつつ、のろのろ進む。内容が面白いからいいものの・・。 でも「眉とは目の上に生えている毛のことである」という一文に何日もかかったという杉田玄白よりは楽か・・ 辞書あるし。彼らも内容が面白かったから続いたんだろうなぁ・・

私が選んだのは、発生中のニワトリの胚で、軟骨を作るとき発現するある遺伝子と、それが作る物質の働き。 骨というの考えて見れば体の中でも機械っぽく不思議な所で、まず周りから材料を集めて軟骨という”芯”を 作り、成長し、後でそれを硬い骨に置換していく。その時栄養をせっせと送っていた血管も大部分撤退して、 カチカチの骨になる。その最初の段階の軟骨を作るあたりで発現している遺伝子だ。 2学期にウシガエルの骨を調べたとき、このような骨の発生を 本で見つけて、すごいなぁ〜と感心しまくっていたので、あ、あの話かぁと訳している途中で嬉しくなった。

また、この物質は軟骨を誘導するだけではなくて、血管を生やさないようにする血管生成の抑制物質でもある というのが発見が眼目の一つで、その遺伝子は軟骨以外でも血管のない目のレンズの周りでも発現していたり して、とても面白かった。

昔、コンタクト・レンズを着けっぱなしにして酸欠になると、普段は血管のない黒目に(酸素を求めて) 血管が入ってくるというのを聞いた時、どうやって血管をはやしたり、引っ込めたりしているのかなぁと 思っていたが、こういう物質がコントロールしてんのかぁと感心した。

それと、アトピーの人は外用ステロイドの使い過ぎで毛細血管がいっぱい浮いちゃったという副作用に 困っている人が多いけど、こういう物質で治せないのかなぁ、とか、いちご種と言われるような、血管が 異常に増殖して盛り上がって見える先天的な血管腫の治療に使えないのかなぁ(赤ちゃんのいちご腫に 困っているお母さんの話を前新聞で読んだ)とか、癌の血管をブロックして腫瘍を兵糧責めにする方法を 最近聞くけど、それには使えないんだろうかとか、色々素朴な疑問が浮かんだ。

最後に、色々なテーマがあってとても面白かったけど、みんな教科書風に内容と結果に重点を置いている。 でもせっかくこういうの読んでるんだから、教科書にはあまり乗らない途中の手法や手順なんかをもう少し 重視して説明するように。との先生のお言葉があった。そっか、そこを見るのも狙いだったのか。 「まだ素人な自分にも他の人にもちゃんと伝わるように、分かりやすくまとめて」って「そう言う面倒な所は はしょって」って意味かと思って、訳すのがすっごく大変だったその辺を、惜しみつつ切り捨てて しまったのに(T.T)・・・・と,何かと勉強になった一ヶ月だった。

期末試験  

3学期は必修が少ないのでたいていの人は2日ぐらいで試験が終わる。が、難物の物理化学があるので気が 抜けない。試験前の最後の授業の一週間は子供達のインフルエンザで登校叶わず。がいつものように友人に FAXなどで助けてもらって、ありがたやありがたや。終わった日には、はふ〜っと気が抜けた。

情報処理、というパソコン初心者用授業(ウインドウズを触る、メールを出す、Webを見る、好きなものを コピーしてワードに貼ってレポートを作る)は、タイピングとレポートの課題があって慣れない人は苦労 していたが、私はチューターというものに志願してなっていたので課題提出義務が無くて楽だった。 チューターは上に書いたようなことが出来れば誰でもやって良く、初心者の質問に答えたりしてサポート するのが仕事。でもハード上、学内システム上のエラーなど訳の分からないものも結構多く、先生を呼びに 行くことが多くてあんまり役には立っていなかった気がする(^^;)。でも、いまいち恥ずかしいというのを 除けば、私には美味しかった。


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