郡の変遷

(2020年11月7日現在)

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近代のの変遷を表にまとめました。
以下の各段階の各府県のの状況を掲載してあります。

ただし,地方自治法の施行まで本州以南とは違った地方制度が行われていた北海道に関しては,表の構成を変えてあります。詳しくは こちらのページ へ → 郡の変遷:北海道 [解説]

なお,府県制・郡制施行までの府県の変遷については,こちらのページをご覧ください。 → 府県の変遷

8地方区分(北海道,東北,関東,中部,近畿,中国,四国,九州)による地方ごとに表を分けてあります。
下の地図の該当部分,または青字の部分を クリックしてください。

    [ 解 説 ]

全国地図



区分図

1871年末の国郡廃藩置県後の第1次府県統合終了時点 【明治4(1871)年12月27日現在】

畿内:山城大和河内和泉摂津
東海道:伊賀伊勢志摩尾張三河遠江駿河甲斐伊豆相模武蔵安房上総下総常陸
東山道:近江美濃飛騨信濃上野下野磐城岩代陸前陸中陸奥羽前羽後
北陸道:若狭越前加賀能登越中越後佐渡
山陰道:丹波丹後但馬因幡伯耆出雲石見隠岐
山陽道:播磨美作備前備中備後安芸周防長門
南海道:紀伊淡路阿波讃岐伊予土佐
西海道:筑前筑後肥前肥後豊前豊後日向大隅薩摩壱岐対馬
北海道渡島後志石狩天塩北見胆振日高十勝釧路根室千島---[1872年9月]


1871年末の府県廃藩置県後の第1次府県統合終了時点 【明治4(1871)年12月27日現在】

青森県盛岡県水沢県仙台県秋田県酒田県山形県置賜県磐前県福島県若松県 
茨城県新治県宇都宮県栃木県群馬県入間県埼玉県印旛県木更津県東京府神奈川県足柄県
新潟県柏崎県相川県新川県七尾県金沢県足羽県敦賀県山梨県長野県筑摩県岐阜県
静岡県浜松県額田県名古屋県安濃津県度会県長浜県大津県京都府大阪府堺県兵庫県
豊岡県飾磨県奈良県和歌山県鳥取県島根県浜田県北条県岡山県深津県広島県山口県
名東県香川県松山県宇和島県高知県福岡県小倉県三潴県伊万里県長崎県熊本県八代県
大分県美々津県都城県鹿児島県北海道(開拓使:1872年9月)


1889年の郡・区郡区町村編制法下,香川県再置(1888年12月3日)により現在と同じ45府県(北海道・沖縄を除く)となった時点 【1889(明治22)年1月1日現在】

北海道青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県
東京府神奈川県新潟県富山県石川県福井県山梨県長野県岐阜県静岡県愛知県三重県
滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県鳥取県島根県岡山県広島県山口県徳島県
香川県愛媛県高知県福岡県佐賀県長崎県熊本県大分県宮崎県鹿児島県沖縄県


1900年の郡・市全府県(北海道・沖縄県を除く)で郡再編が終了し府県制・郡制が施行された時点 【1900(明治33)年4月1日現在】

北海道青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県
東京府神奈川県新潟県富山県石川県福井県山梨県長野県岐阜県静岡県愛知県三重県
滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県鳥取県島根県岡山県広島県山口県徳島県
香川県愛媛県高知県福岡県佐賀県長崎県熊本県大分県宮崎県鹿児島県沖縄県




[ 解 説 ]

「郡」という区画は,その上位区画として全国を60余りに区分する「国」とともに7〜8世紀に律令制が整備されていく中で全国に設置されました(当然,律令国家の支配に属していない現在の北海道沖縄は除く)。
律令制の下では,言うまでもなく中央集権体制下での地方支配のための行政区画として実質的な機能を持っていましたが,10世紀以降,律令制が形骸化するとともに朝廷(=中央政府)の統制下にある行政機関としての機能を失います。そして,中世から近世の封建体制の下では,地域を区分するための単位あるいはその単位をさす地域呼称としての性格のみが残されました。
それを実質的な行政区画として再び復活させたのが明治政府でした。

徳川幕府から全国の支配権を奪い取った明治政府は,従来の地方分権的な封建体制から中央集権の近代的国家体制に変換するために,地方制度についてもさまざまな試行錯誤を繰り返しました。
上級の地方区分では,1869(明治2)年の版籍奉還,1871(明治4)年の廃藩置県,そしてその後の府県の再編を経て着実に制度の整備が進められました。
しかし末端の行政区分については,大区・小区制(1872:明治5年)のような全国一律ではあるけれども機械的な行政区分は十分に機能せず,結局,従来の町村を単位とする区画を復活させることになりました。
そこで新たに制定されたのが郡区町村編制法(明治11年太政官布告第17号,1878年7月22日付)です。

この太政官布告(当時はまだ法律という形式が存在しません)の要点は以下の4点です。

そして各郡に1人(小さい郡の場合は数郡に1人)の郡長を配置し,その事務所として郡役所を設置して,には実質的な行政区画としての機能が与えられました。
同時に第4条の規定により,3府:東京(麹町区以下15区)・京都(上京区・下京区)・大阪(東区・西区・南区・北区),5港:横浜・神戸・新潟・長崎・函館(ただし函館の区制施行は翌1879:明治12年)およびその他の都市(仙台・金沢・名古屋・堺・岡山・広島・赤間関[下関]・福岡・熊本)がそれぞれから分離してが設置され,翌年には函館とともに札幌にも区制が施行されました。
この際,東京・京都・大阪3大都市を構成する各区は,それぞれが単独の行政区画であり,別個に自治権を与えられていました。逆に言うと,東京・京都・大阪といった都市全体を総括する行政単位は存在しませんでした(それぞれがそれに相当するのですが,いずれも郊外の農村部までをその管轄区域に含んでいます)。

1888(明治21)年4月市制・町村制が公布され,翌89年の4月1日以降,それまでのだけでなく多くの都市が順次市制を施行して,という行政単位が誕生しました。町村でも全国規模で統廃合が行われ,多くの新しい町村が発足しました。現在の市町村は直接にはこのときに起源を持つものです。
次いで1890(明治23)年5月府県制および郡制が公布されました。
これによりには府県と市町村の中間行政機関としての性格が規定され,さらに議会(郡会)が設置されて自治体としての機能も与えられました。
府県に関しては1888年12月に香川県愛媛県から再分離して再編が完了していたのでそれまでの府県にそのまま府県制が施行されました。 しかし,については従来の郡の統合再編が必要とされ,それが完了した府県から順次郡制が施行されました。各府県での郡の再編完了・郡制施行は以下の通りです。最終的には,岡山県に郡制が施行された1900(明治33)年4月1日にようやくの再編が完了しました。

しかし,制度に関しては,特に自由民権運動の系譜を引く政党勢力を中心に批判が多く,衆議院郡制廃止が議決され,それを貴族院が否決する,ちいうことが繰り返されました。ようやく1923(大正12)年自治体としての(郡会および郡の自治財政)が廃止され,1926(大正15)年には行政官庁としての(郡長および郡役所)も廃止されました。
これ以降,は再び単なる地方区分単位に戻り,現在に至ります。ただし,戦時体制下の1942(昭和17)年7月1日付けの内務省告示によって北海道を除くすべての府県府県の出先機関としての地方事務所が設置されました。これは基本的にを単位にして設置されたので,事実上行政官庁としての郡が復活したとみなすことができます。

したがって,市制・町村制および府県制その他にかえて日本国憲法とともに1947(昭和22)年5月3日に施行された地方自治法には,国の行政機関としてのに関する規定はもちろんありません。の廃置分合の権限は都道府県にあり,それは条例によって行うことが規定されています。
実際には,ほとんどの都道府県で従来のの区画・名称がそのまま使用されています。これまでに異同があったのは,1) 群馬県群馬郡からの北群馬郡の分離(1949年),2)三重県安濃郡河芸郡の合併による安芸郡の設置(1956年),3) 長野県西筑摩郡木曽郡への改称(1968年),4) 島根県隠岐4郡の合併による隠岐郡の設置(1969年),5) 鹿児島県囎唹郡曽於郡への表記変更(1972年)だけです。
しかし,より多くのが,郡内の町村がになったり,周辺市町村との合併・編入によって消滅しています。

消滅した郡一覧表(郡制施行以後)
都道府県別  消滅順

また,地方事務所支庁など都道府県の事務を分掌する出先機関については地方自治法第155条各都道府県が条例によって設置または廃止することができるようになりました。したがって,出先機関の名称や設置のされ方,所管事務などに各都道府県による違いがあったり,中にはこれを廃止してしまった県もあります。


「府県の変遷」

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2000. 8. 2
2003. 8.30 全面改訂
2013.10.30 区分図へリンク
2020.11. 7 改訂
ISIDA Satosi