2004.06.19

誤字等No.086

【係りの人】(平誤科)

Google検索結果 2004/06/19 係りの人:23,600件

今回は、「たなけん」さんからの投稿を元ネタにしています。

送り仮名の誤字等、第三弾です。

特定の役目や仕事、あるいはそれを受け持つ人を意味する「(かかり)」には、送り仮名は付きません。
これを無造作に「係り」と書いてしまう人の数は、「話し」に匹敵するほど大量に存在しています。
日常的に、「言葉」がいかに軽んじられているかを示す好例と言えるでしょう。
今回は、確実に「誤字」と断定できる「係りの人」という使用例で検索してみましたが、そんな限定例でありながら圧倒的な件数がヒットしています。

かかり」の漢字表記が「係り」となるのは、動詞「係る」の活用形である場合、およびその意味が強く残っている場合に限られます。
かかる」という読みを持つ言葉は「掛かる」「架かる」「懸かる」「罹る」など色々あり、それぞれに意味が異なります。
係る」にも固有の意味はあるのですが、使われる場面は多くありません。
まして、「係り」として使われるのは、文法用語である「係り結び」や「係り受け」くらいのものではないでしょうか。
文法以外の話題では、ほぼ確実に、送り仮名を付ける必要はないと言っても良いくらいだと思います。
これほど分かりやすいルールもありません。

にもかかわらず、信じられないほど多くの人が、何も考えずに「係り」と表記してしまうのは何故なのでしょうか。

ひとつの理由は、「係り」の方が読みやすいから、なのではないかと考えます。
」であれば「けい」と音読みしてしまう人がいないとも限りませんが、「係り」であれば自然と「かかり」と読むことでしょう。
そのような観点から、意識して「係り」と表記している可能性もあります。
もし、そういった主張があるのであれば、賛成はできませんが理解はできます。
しかし、そこまで考えて言葉を使う人は、そうそういるものではありません。

別の理由を探してみましょう。
係り」と送り仮名を付けても「別に不都合がない」ことも、大きな理由となりそうです。
送り仮名の付け方について意識している人でも、意識しない人でも、「係りの人」は「かかりのひと」と読むことでしょう。
意識している人なら、間違いに気付くか、そうでなくても何らかの違和感を持つ可能性が高いです。
それでも、意味を誤解することもないでしょうし、わざわざ「かかりりのひと」などと誤読することもないでしょう。
コミュニケーション自体は、不都合なく成立します。

正しく、「係の人」と書かれていた場合はどうでしょうか。
けいのひと」と音読みすることもできなくはないですが、多くは、何の疑問も持たずに「かかりのひと」と読むことでしょう。

すなわち、送り仮名の規則を「意識しない」人にとっては、「」と「係り」は完全に等価なのです。
どちらを使っても全く同じであれば、かな漢字変換で最初に出てきた方の候補を使うことに、何ひとつためらいは生じ得ません。
同じページ内に「係りの人」と「係の人」を混在させて平気な人は、その典型でしょう。

では、なぜ「等価」になるのでしょうか。
上記のように、送り仮名の有無は「動詞の意味が残っているかどうか」を区別する機能を持っています。
内閣告示では、「花の組」「赤の組」のように「ひとそろい」「グループ」の意味を持つ名詞としての「くみ」は送り仮名を付けず、「活字の組みがゆるむ」のように動詞の意識が残っている場合は送り仮名を付ける、と説明されています。
この規則に従うならば、「」と「係り」は等価にはなり得ません。
その区別が失われてしまう理由は、大きく二つあります。

まず、上記のように「係る」という動詞の意味が残った状態での言葉がほとんど使われないこと。
区別しようにも、本来の「係り」という言葉についての知識がなければ、送り仮名があろうとなかろうと、ただの名詞としての「かかり」と認識するしかありません。

そして、内閣告示自体が難解であり、かつ浸透していないこと。
内閣告示は「現代の国語を書き表す場合の送り仮名の付け方のよりどころを示すもの」として定義されていますが、「例外」や「許容」が多く、すべてを理解するのは簡単ではありません。
また、しょせんは「よりどころ」であって、交通ルールのように強制されるものではないことから、告示の存在自体を知らない日本人も、かなり多いことでしょう。
ルール自体を知らなければ、遵守も無視もあったものではありません。

こういった「言語感覚」は、学校で教えられただけで身に付くものではありません。
日常生活を通して「トレーニング」することにより、徐々に鍛えられるものです。
と言っても、特別な努力が必要なわけではありません。
日本語を正しく使う能力のある人が書いた文章に触れる機会が潤沢にあれば、自然と磨かれていきます。
しかし、読書の習慣を全く持たない人や、無思慮に書かれた文章しか読んでいない人であれば、微妙な言語感覚の獲得は至難のわざとなります。
それは、いわゆる「表現力」にも影響を及ぼすことでしょう。
言語的な知識やセンスを所有していれば表現力が高くなるとは限りませんが、基盤となるものが貧弱であればどうしようもありません。

「たかが送り仮名」と軽く見てはいませんか?
もしそう思っているとしたら、それこそが「日本語力の基盤」を身に付けきれていないことを証明してしまっているのかもしれません。

[実例]

日本人とは、かくも「平仮名の間違い」に弱いのでしょうか。
このような「平仮名の間違い」が原因と思われる誤字等の品種を、「平誤科(ひらごか)」と命名しました。

[亜種]

係りの方:6,890件
係りまで:4,320件
教育係り:1,150件
世話係り:1,060件
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お客様係り:845件
係り宛:539件

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