2004.05.18

誤字等No.072

【至上命題】(取違科)

Google検索結果 2004/05/18 至上命題:10,600件

至上命題」という言葉があります。
これもまた、「全知全能」と同じように、「偉い人」たちが好んで使う言葉です。
政治家や経済人たちの「専門用語」と言っても良いかもしれません。
最優先で取り組むべき課題、達成しなければならない目標、必ず解決すべき問題、といった意味で使われているように見えます。
しかし、私が調べた範囲で、「至上命題」を見出しに載せている辞書はありませんでした。

そもそも「命題」とは論理学用語のひとつで、何らかの内容を記した「文」のことを指します。
「真」あるいは「偽」を判断する対象となるものであって、そこに「上下」の区別はありません。
命題」に、「至上」も何もないのです。

至上命題」として使われるときの「命題」は、明らかに上記論理学用語とは違う意味を持っています。
使命」「任務」「責務」「課題」といった言葉に近い印象です。
なぜ、このような誤用が生じるのでしょうか。

この言葉のもともとの形は、「至上命令」だったと思われます。
これは、「絶対に従わねばならない命令」という意味を持つ、確立された言葉です。
しかし「至上命令」では、現在使われている「至上命題」の代わりにはなりません。

至上命題とする」という宣言は「この問題の解決に注力する」ことをアピールするものであり、自主的な積極性を見せることが不可欠の要素です。
一方、「命令」は上から下に伝えられるものであり、自分自身に課するものではありません。
命令」を受けるという受動的態度では、言いたいことを表現できないのです。
そのため、どうしても「命令」以外の別の言葉が必要となります。
そこで、「命令」と近い形をした「命題」が選ばれることになった…と、私は推察しています。

論理学用語としての「命題」は、論理学を学んでいない人たちにとっては全くと言って良いほど馴染みがありません。
本来の意味を知らなければ、あとは想像することしかできないのが道理。
命題」を構成する漢字から「使命」や「課題」を連想し、それらに類する意味を感じ取ったとしても、不自然ではないでしょう。
そうなれば、「至上命令」との合成により「至上命題」という言葉が生み出されます。
この変化は、もはや「必然」と言えるものだったのかもしれません。

それでも私は、「至上命題」という言葉を認める気にはなれません。
その理由は「全知全能」と同じ、「はったり」のにおいが感じられるからです。
至上命題」を多用する人の「至上命題」は、大抵、ひとつではありません。
たくさんある課題に対して、そのすべてを「至上」と言います。
そんなもの、「至上」でも何でもありません。
結局、単なるアピールとして言葉を選んでいるとしか見えないのです。
言葉の意味を吟味せずに使っている時点で、それが「口先だけ」のごまかしである証にもなります。

わざわざ「命題」という言葉を持ち出すことなどないのです。
最優先課題」でも「重大任務」でも、立派に意味は通じます。
至上」という言葉を使いたいなら、「至上課題」でも「至上責務」でも良いです。
「解決しなければならない問題」といった具合に平易に表現できれば、さらに良くなります。

人を動かす演説がしたいなら、まずは言葉を「自分のもの」にする必要があります。
手垢の付いた表現に安易に頼っていると、結局は自らの底の浅さを露呈することになるでしょう。
適当に並べた言葉を鵜呑みにしてくれるほど、単純な聴衆ばかりとは限らないのですから。

[実例]

日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。

[亜種]

重要命題:170件
緊急命題:39件
命題解決:29件
命題達成:46件
命題を果たす:27件

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