2004.05.29

誤字等No.077

【国敗れて山河あり】(取違科)

Google検索結果 2004/05/29 国敗れて山河あり:400件

全知全能」「至上命題」に続き、「偉い人」たちが好んで使う言葉の登場です。
国敗れて山河あり。祖国は敗れてしまったが、自然はそのまま残されている…。
その情景を、太平洋戦争に敗北し、焼け野原となった日本の姿に重ねる人もいます。
かつての日本人が廃墟から必死にはいあがり、見事自国を再興したという自負が、心の拠り所となっているのでしょうか。

よく見かける有名なフレーズですが、その解釈は人それぞれに異なっているようです。
戦いに負けた失望と未来への希望を織り交ぜたもの、あるいは、次の句である「城春にして草木深し」につなげて「自然の生命力」を賛美するもの、などなど。
しかし、その多くが、根本的な「勘違い」をしていることに気付いていません。

出典は、唐の詩人「杜甫」の作品である「春望」という漢詩です。
「国破山河在 / 城春草木深 / 感時花濺涙 / 恨別鳥驚心 …」と続きます。
その正統な解釈は他のサイトに譲るとして、問題は最初の1行。
ここだけを抜き出したものが、「国破れて山河あり」という成句となって独り歩きを始めたわけです。

ここで注目すべきは「」の部分です。「」ではないんですね。
この詩は、戦乱によって破壊されてしまった街の姿から始まります。
やぶれて」は「破壊されて」の意味であり、勝ち負けとは関係ありません。
これが、「敗れて」という表記から解釈を試みる人たちの「勘違い」です。

確かに、現代では「破壊される」ことを「破れる」と表現することは少ないかもしれません。
紙や布などの薄いものが裂ける様子であれば「破れる(やぶれる)」となりますが、都市が破壊される様であれば「壊れる(こわれる)」の方がふさわしいでしょう。
くにがやぶれる」と聞けば、「国が敗れる」と思い込んでしまうのも無理はありません。

一般の人なら、それでも良いでしょう。
故事成句の由来など、学校で習うことはあっても、記憶し続ける必然性はあまりありません。
誰かに指摘されて、「知らなかった」と驚いたとしても、それが「普通の反応」とも言えます。

しかし、いわゆる「偉い人」たちの場合は違います。
公衆の面前で滔々と自説を展開するときに、勘違いしたままではなんとも示しがつきません。
教養のあるところを見せようという目論みも、完璧に「逆効果」です。
自分に「漢詩の素養」があるなどと過信せず、原典を調べるひと手間さえかけていれば、余計な恥をかかずに済んだのです。
その調子では、客観的な「自己認識」ができる人間かどうかが疑われてしまうことにもなりかねません。
広く世間で使われている言い回しを安易に組み込むだけでは、薄っぺらい演説にしかなりませんよ。

それならいっそ、「窓破れて桟(さん)があり」と駄洒落でも言ってくれた方が…
良くないですね、やっぱり。

ところで、この誤字は「破れる」と「敗れる」という同音異義語から生まれていますので、「誤変科」に分類することもできます。
しかし、「勝ち負け」に関連付ける勘違いは「誤変換」という失敗とは明らかに異なる事象ですので、「言葉の取り違え」に起因する「取違科」に分類しました。

[実例]

日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。

[亜種]

国敗れて山川あり:1件
白春にして草木深し:1件

前 目次 次