2007.08.26

誤字等No.167

【嫌顔でも】(取違科)

Google検索結果 2007/08/26 嫌顔でも:195件

今回は、「YiDaJing」さんからの投稿を元ネタにしています。

気が進まず、嫌な顔を見せながらも渋々承諾する様子。
……とでも解釈すれば良いのでしょうか。
嫌顔でも」とは、なんとも面白い表現ですね。
「新語」として成立してしまいそうな雰囲気さえあります。

とはいえ、実際には「嫌顔でも (いやがおでも)」などという言葉は存在しません。
おそらく、本当に書きたい言葉は「否が応でも (いやがおうでも)」だったのでしょう。
元の言葉からこれほどかけ離れた表記が「実在する」というあたりが、誤字等探索の醍醐味ですね。

否が応でも」の「」とは、「拒否する」こと。
それは、却下、不承知、すなわち「ノー」の回答を意味します。
そしてもう一つの「」とは、「応じる」こと。
それは、受理、承知、すなわち「イエス」の回答を示しています。

返事が「イエス」であろうと、「ノー」であろうと。
そんなものに関係なく、何が何でも引き受けるしかない状態。
相手の意思も志向も感情も、すべてを無視した強権発動。
それが、「否が応でも」という表現の意味するところです。

ノー」と言いたいのに無理矢理従わされているとしたら、「嫌な顔」にもなるかもしれませんね。

さて、ではこの「否が応でも」が「嫌顔でも」へと変化した過程を推理してみましょう。
考えられる発生原因は、大きく分けて三つ。

まず、単純なミスの場合。
本当は「いやがおうでも」と打ったつもりだったのに、「う」の打鍵に失敗したパターンです。
そして、画面に出た文字が「いやがおでも」になっていることに気付かず変換。
結果が「嫌顔でも」になったことにも気付くことなく、そのまま確定。
さらに文章を読み返して間違いに気づくこともなく、そのまま公開。

相当な「うっかりさん」のケースですが、さほど珍しいものでもありません。
ブログへの書き込みといった「気軽な文章」では、この手の間違いは「よくあること」と言えます。

次に、「遊び」のケース。
否が応でも」という言葉を知っていながら、わざと間違えてみせる言葉遊びです。
可能性としては十分ありますが、あまり深く追究はしないでおきましょう。
この手の「駄洒落ネタ」は軽く流してあげるのがマナーですから。

そして、三つめにして最大の原因と考えられるのが、「勘違い」のパターンです。

過去に取り上げた誤字等でも何度か言及していますが、世の中には「耳」を中心として言葉を覚える人がいます。
どこかで聞いた言葉を、その「音」だけで記憶し、「文字」と関連付ける作業を省略する人々です。
このような習慣が深く根付いた人は、「聞き間違い」に起因する「勘違い」を大量に抱え込む傾向があります。

誰かが発話した「いやがおうでも」を「いやがおでも」と聞き間違えて、そのまま記憶。
それが、事の発端です。

その後、覚えた「いやがおでも」を、何らかの会話の中で使用。
聞き手の方は「いやがおうでも」と発話されたと思い込み、そのまま会話が成立。
という経験が、一度でも発現すれば。
その人の中で「いやがおでも」という表現が、「実在する、使用可能な言葉」としての立場を確立します。

ただし、この時点ではまだ「いやがおでも」という「音の記憶」でしかありません。
それが「文字」という形を得て「嫌顔でも」になるには、もう一段階の変遷が必要です。

勘の良い人なら、最初に「いやがおでも」を音として記憶した時点で、「嫌顔」を想像しているかもしれません。
「嫌々ながら渋々と」というニュアンスを感じ取り、納得していたとしたら。
いざ文字にする段階で「嫌顔でも」と表記することは、きわめて「自然」なものとなるでしょう。

そうではなく、ただ単に「音の連なり」として「いやがおでも」を記憶した人の場合。
「手書き」の頃なら、そのまま「ひらがな表記」していたことでしょう。
しかし今は「漢字変換」が当たり前の時代。
いやがおでも」を「変換」してみれば、そこに現れたのは「嫌顔でも」という漢字表記。
そうか、「いやがお」って、「嫌な顔」のことだったのかぁ、なるほど〜。
この時点で「学習」し、自らの語彙に加わった「嫌顔でも」なる言葉。
こうなると、それ以降頻繁に利用する「お気に入りの言葉」としての地位を得ることすらあります。

誤字が「勘違い」に由来する場合、同じ間違いが何度でも繰り返されるという特徴があります。
それはそうですよね、なにせ本人は「正解」だと信じているのですから。
修正は、容易ではありません。
単純な「ミス」の場合と比べて、少々「やっかい」な状態と言えるでしょう。

ところで。
嫌顔でも」の実例を見ていると、「否が応でも」との取り違えでは解釈できないパターンがあります。

たとえば、「嫌顔でも盛り上がる」という表現。
別に、盛り上がりたくないと思っているわけでもないでしょうし、盛り上がりを強制されているわけでもありません。

この場合、取り違えられている言葉は、「否が応でも」ではなく、「弥が上にも (いやがうえにも)」です。

否が応でも」と「弥が上にも」の混同は、客間にも載せています。
検索すれば多くの解説記事がみつかりますので、結構「有名どころ」の誤用のようです。

実際、この両者の取り違えや誤変換は、実に頻繁に発生します。
おそらく、「正確な意味」を把握しないままで、「なんとなく」使っている人が多いのでしょう。
少々「難しい」部類の言葉ですので、それ自体は「やむをえない」ことでもあります。

弥が上にも」の「 (いや)」とは、「ますます」「きわめて」「いちばん」などの意味を持ち、「程度が大きい」状態を示す言葉です。
そして、さらにその「」を行くことで、なおいっそう、どんどん程度が高まっていく様子を表現した言葉。
それが、「弥が上にも」です。

ぶつぶつ不平を言いながら従わされる可能性のある「否が応でも」とは、まったく状況が違います。

全然別の言葉でありながら、しばしば混同される両者。
その最大の理由は無論、「発音が似ている」ことにありますが、それだけではありません。

否が応でも」と「弥が上にも」には、ある共通点があります。
それは、「続く言葉を強調する」役割を持っているということ。
「とにかく」「ますます」「どうしても」「なおいっそう」などなど、いずれの意味においても、次に来る言葉は「おおげさ」に扱われます。

本質より「見た目のインパクト」を重視する現代人にとって、「強調表現」はきわめて利用頻度の高い言葉です。
そのような考え方の持ち主にとっては、言葉の「本当の意味」などに興味はありません。
「強調」の役割さえ果たしてくれれば、「否が応でも」でも「弥が上にも」でも、どっちでもよいのです。

異なる意味を持つ言葉が混同して使われる背景には、このような心理の働きがあるのではないか、と私は考えています。

が、しかし。
弥が上にも」を「嫌顔でも」で置き換えるのは、さすがにどうかと思います。
嫌々ながら渋々と盛り上がるということは、つまり「盛り上がっているフリ」をしてみせているだけ、ということですよね。
なんか、むなしくないですか、それ。

あぁ、もしかすると「顔では嫌がってるように見せながら、本心はワクワクしている」という「照れ屋さん」なのでしょうか。
それはそれで、意外と面白い解釈ができるかもしれませんね。

[実例]

日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。

[亜種]

嫌が応でも:854件
嫌が王でも:2件
嫌が上にも:739件
否が上にも:3,740件
否が上でも:394件
嫌が上でも:548件
否が王でも:1件
否が王にも:1件

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