医 学 生 日 記  

'00年度 二年生/夏休み

新聞取材  自転車通勤
皆既月食  100余年に一度の規模らしい
東京障害者職業センター  3日間の実習
学童キャンプ  学童保育の小学生達と
南の島の大嵐  22年ぶり!?の台風に遭遇
  台風初日(8月6〜7日)/闇/電力生活/ようやく下火(8月8日夕方)/台風一過(8月9日)
美白?!  効くも八卦・効かぬも八卦
絵を描く  あさがおのかんさつ 

新聞取材 
テストが終わったぁぁぁー!というその日、家人が新聞の取材をうけるというので、それを見物に行って みた。日経新聞の記者をしている前の大学の先輩が、「近頃の、自転車で遠距離通勤している都市部の サラリーマン」の記事を書くので、はるばる都内まで30kmもの道のりを自転車に乗って通っている家人に 話がきたのだ。

家人はいつもはヘルメットに普段着っぽいTシャツ、短パン、首には土方タオル、背中にメッセンジャー バックというかっこうが殆どだが、サラリーマンらしさがなさすぎー!ということになり、ワイシャツに スーツのズボンにメッセンジャーバック・バージョンの衣裳でビルの谷間の道を走り、撮影。 何度も何度も往復しながら撮ったので、通行人が「なにこの人達?」という視線を投げていた。その他、 とまって自転車と一緒ににっこりという写真もとったが、さりげなく自然な笑顔をしろという注文に 苦心惨憺、「モデルの道はあきらめた」そうだ。

そして7月26日の日経新聞夕刊の生活家庭欄にその記事は掲載された。家人の自転車に乗っているほうの 写真がしっかり載り、トップストーリーでその通勤ライフが紹介されていた。

取材風景と掲載記事

皆既月食 

7月の16日夜、皆既月食があった。月食は初めてではないが、なんでも今回はめったにないほど食が長く 続くらしい。9時頃から左端がじわじわと陰りだした。三日月などの影とは違う"不審な"陰り方で、昔の人は さぞかし不安や不吉を感じただろうと思った。ベランダで涼みつつ、雲がちらりちらりと隠すのにハラハラ しながら家族で眺めた。(子供達は小さいので、なんだかさっぱり分かってないようではあったが) 天体望遠鏡は持っていないが、いい双眼鏡があるのでそれで見ると面白かった。倍率を最大にすると、クレー ターまでよく見えるが、手ブレで月が視界を踊りまわるので、ちょっと無理がある。でも目だけで見ても 十分面白かった。皆既の状態の月って、ものすごく変な赤黒〜い色。

長男が生まれた時も月食で、月食の言い伝えってどんなのかなーと調べてみた事があった。色々あるが「暴れ ものの」「弟」の伝説が結構あったので、なかなか元気そうな符牒でいいかなと思ったものだった。

ところでマスコミでは次にこんな月食が見られるのは123年後!!とさかんに言っていたが、このぐらいって どのぐらいよ?月食自体は、結構しょっちゅうあるし。来年の1月10日の明け方にもあるらしいし。と、 思ったので、国立天文台 質問係に小学生のようにお電話してみました。"これぐらい"というのは、食の継続 時間が1時間46分以上という基準だそうで、それだと次は2123年になるらしい。納得。それと、地球の影の真ん 中を通るから長いんですか?と聞くと、それもあるが、地球と月、また、地球と太陽の距離が遠ければ、 より長くなるそうで、それらの条件が再びかみ合うのが123年後との事だった。

子供のころ空や星が大好きで、天文学者になりたーい!と言って実際なる人ってめったにいなくて、むしろ 文学芸術系に行く方が多いというけど、確かに天文学って日がな一日計算しまくるような能力もいるもんなぁ。 高校一年の、まだ楕円の定義も式もなにも習った事なかった時に、「地学」でいきなり地球の楕円扁平率の 計算やらされただけで、気が変わった私。

東京障害者職業センター 

人間科学基礎という必修授業で、夏休みに体験学習がある。病院だけでなく、老人ホーム、養護施設、 障害者施設、医療コーディネートや教育等をしているところと、医療、福祉系の活動をしている様々な 組織に数人ずつ一週間弱。通いもあれば泊まりもあり。中には楽なものもあるが、相当ハードなものもある。 休み中にぽつぽつと聞いた同級生の感想は色々。「人生観が覆るほどに、心身共にヘトヘトになった」と 言っていた、特別養護老人ホームに行った人。「患者さんと色々話せて、とても面白く良かった」という 精神科のデイケアにいった人、等。

私が選んだのは、障害者の就職の相談や訓練をしている東京障害者職業センター。ハードなものを体験 したい気持ちもあったが、そうすると家の事情上、かなり周りに助っ人を頼んだりと色々大変なので、 近くて定時に帰れそうなところを希望したら、それが通ったのだった。(第4希望まで出せる。)去年の 先輩の紹介プリントには「参加と言うより窓口見学と言う感じなので、楽だけど感動はない。」と書いて あったが、どうして、思ったよりずっと興味深く、今まであまり知らなかった分野を色々知る事が出来て面白かった。

職員の多くは「障害者カウンセラー」で、相談や、各検査とその評価、訓練などの計画や実施(これは他の 専門家もいる)、ハローワークとの連携、企業への啓蒙や、慣らし期間の付き添いまでやり、一般的な イメージのカウンセラーと言うよりは、ケースワーカーやソシアルワーカーに近い業務もかなり入っている。 センターの仕事も、いわゆる障害者主体の「福祉」というよりは労働省の管轄の労働行政よりの内容であり、 利潤を追求する一般企業の立場や言い分とのバランスのもとに社会参加を補助するところなので、 なんとなく知っていた福祉系とはやや毛色の違うところもある。

センター内での、各担当者によるかなり広範囲にわたるレクチャー、入所者15人ほどと一緒の作業訓練の 体験(唯一の障害者との接触だが、ほんの30分ほどで、ちょこっと言葉を交わせただけ)、適性検査の レクチャーと体験、知的障害者の検査の様子の見学、のほか、二日目は竹芝の中央障害者雇用情報センターで、 様々な障害者用ソフト、ハードの見学。三日目は幕張の障害者職業総合センターで、関連の研究施設や、 東京のセンターがずっと大きくなったような各種施設を見学。(この建物はやたら大きくて立派で、ロビー がむやみにだだっ広く、バブルのにおいのする所だった。)

センターの仕事のほかに、とても興味深かったのが障害者用コンピューターソフトの数々。つい行く先々で パンフレット取りまり。割と安価で、へーと思ったのが、「98Reader」。視覚障害者がウインドウズを 使うためのソフトで、カーソルが指した所を、ことごとく読み上げてくれる。また簡単な解説も入り、 ワープロ入力も「ケ−、イー、エヌ、ジェイ、アイ、けんじ、(変換キー)健二、けんこうのけん、 すうじのに」と読み上げ、声の種類もスピードもいろいろ変えられる。

でも、ウインドウズって、視覚イメージを使えるからこそのソフトだし、初めから見えない人には、画面の ウインドウのイメージがつかみにくくて大変じゃないかと聞くと、やはり、専門のソフトの方が使い勝手は 良いらしく、途中から失明した人が使っている事が多いらしい。しかし、努力次第で慣れる事は出来るし、 健常者と同じソフトで、同じデーターを共有できる意味はすごく大きいとの事で、確かに、と納得。それと、 とにかく全部しゃべりまくるので、すっごくうるさいです(^_^;)。職場で使うならイヤホンがいるかも、 とも思った。どこが開発したんでしょうとか、ここんとこは結構楽? いえいえ、意外とウインドウズ自体に バグがあってなかなか・・、へー。などと、質問しまくりの興味深々、元SEでした。

それと、まだまだ不足があるとは言え、この関連って、ものすごい予算が動いてるんだなぁ〜とも実感。 また、天下りって・・・とか、人事はちゃんと適正に回ってるのかしらとか、ちょい年寄りの視点も はさみつつ。

レクチャーや、移動時間、昼食タイム(なんとごはんが出る!)と結構話す時間があったので、いろいろな 職員の人にじっくりと世間話も混ぜつつ、話が聞けたのもまた勉強になったし、楽しかった。というわけで 生々しいハードさはなかったものの、なかなか充実した3日間だった。

学童キャンプ 

子供の通っている学童保育の一泊のキャンプで、埼玉県比企郡の木の村キャンプ場に行った。親子総勢70数人。 きれいな川を囲んで、バンガローやテントが設置され、屋根付きの炊事場と食事場所もあり、こじんまりと しているが、なかなかいい感じで、県内にこんなとこがあったんだーと感心する人多数。

親は、班(自分の子供とは違う班)のリーダーとして仕事がいっぱい。私は役員ではないし、未就学の幼児 連れだったので相当仕事は少なかった方だったのだが、体調は悪いわ、その辺りの日程がきつくてへろへろ だったりと、相当バテバテでぐったり・・・。

が。ふと気付くと、川の石のきれいなのをせっせと集めてたり、がんがんぶつけて割ってみて、おお、 これは意外と薄く割れるぞっ!と喜んだり、変な虫を観察したりしているのだった(^_^;)。

面白かったのが、朝食にやった「牛乳パック・ホットドック」。ホットドックのパンの切れ目にバターを 塗って、ボイルしたソーセージを挟み、アルミホイルで2重にくるみ(きつすぎないように)、空の牛乳パックに 突っ込んで地面に置き(下に空気が入るように小石で少し浮かせる)火をつける。紙パックが燃えきったら 出来あがり!ほかほかで美味しかった。

南の島の大嵐 

台風初日(8月6〜7日)

家人の実家、沖永良部島に帰省。どうも台風が近づいているよう だから泳いでおこう。とさんご礁の海を楽しんだ。やや風は出てきたがリーフの中はあたたたくて、沖の波 も入ってきていない。翌日の8月7日は朝から、かなりハデな風雨になってきた。この台風8号はこの時期に してはやけに歩みが遅く、しかも真東からまっすぐ西に進んで直撃という、見た事もない天気図を描いて いた。それにぱっちりとした大きな目。かなりの大型だ。いつもなら車で外を見物に行ったりするが、 今回はとてもそういう気にならないぐらいの風雨。身動きも難しそうだし、第一何が飛んでくるか分から ない。缶詰状態だが、家人の実家はホテルを営んでおり、大型の鉄筋の建物なので、家が崩壊する心配は なく、割とのんきにしていた。部屋で娘にマージャンを教える家人。「え〜っと、あたしこれをアタマに しようかしら・・・」などと言っている6才児・・・(^_^;)

台風が近づいて荒れ出すと、船や飛行機は欠航する。鹿児島−奄美をつなぐ航空会社、JAC(日本エア コミューター)は欠航の時も、ぎりぎりまで「(航行を)予定しています。」というのがお決まりだが、 この日帰る予定だったホテルに泊まっていたお客さんが朝問い合せた時も同じく「予定しています。」 今からでっかい台風がぶつかるんだから絶対無理でしょっ!☆\(^_^;)

本当にひどいピークは半日から一日で去るのが普通なのに、夜になっても全く勢いが衰えない。11時ごろ テレビの番組が衛星放送を除いて全てブツリと途切れた。テレビ塔がやられたらしい。そこで本を読んだり、 「えにっ記」のペン入れなどをしていると、何度も停電するようになった。デスクワークって暗いと何にも 出来ないんだなぁと思いつつ(思えばこの時に手元に懐中電灯を持ってきておくべきだった)、停電の隙間を 縫って、ちまちま作業をしていたが、深夜、ついに停電したままになった。これだけ嵐が続くと、相当 電線切れてるだろうなぁ。まぁ、今は寝ちゃえばいいんだし・・・と布団にもぐり込む。

ところがなにか不審な気配を察したのか子供達が二人とも夜中の3時に起きてしまい、ちょっと離れたベット で泣きべそ声。「ママ〜!暗すぎる〜!そこをちょっと開けて〜」視界に全く光の入らない闇というものが 初めてなのだ。電気が壊れちゃって明るく出来ないんだよ。今そこに行くから。と声をかけたが、ほんの10数歩程の移動 が、手探り足探りで時間がかかる。手をつないで一つのベットに固まって嵐のお話などしていたが、ふと 子供達の気が紛れるかもと思って、腕時計のバックライトをつけて見た。ピンクのBaby-Gは、ライトも ピンクで、10秒ほど明かりが付いている間、時刻の上に人がちょこまか走るようなアニメーションが出る。

つけて驚いた。この本当の真っ暗闇の中では、思いがけず明るいのだ!文字盤がよく見える、というだけで なく、周りまで照らしている。顔を近づけると顔も分かる。子供達は大興奮。何一つ見る事が出来ない闇に 浮かび上がった光が、ほんの小さなものでもどんなに人の心を動かすかをまざまざと体感した。このバック ライト、ちょっと薄暗いぐらいのところで見ると、ついいてるんだかなんだか分からない位の光なのだ。 後で聞いたが、携帯電話の液晶バックライトが意外と明るくて、これで家の中移動するぐらいは十分だったと 台風経験の豊富な年配組も新発見に喜んでいた。

子供達は真の闇の圧迫感にただただびっくり。「目をつぶったより、もっと暗い」「まっくろが目に入ってきて 眠れない」という言葉がとても面白かった。2日後、電気がきた夜にエアコンと電気をつけ、テレビを見て ごろごろしていると、全身がだらんと緊張を解いた状態だと言うのがあらためて分かった。停電中、周りの 障害物、子供達の気配に神経を集中していると、5感も全身の皮膚の感覚までも、研ぎ澄まされて活動して いたということるのが分かる。自分にもそういう感覚が備わっていたというのも新鮮だったし、野生動物っ ていつもこういう状態で生きているんだなぁと感心してしまった。私の脳味噌もふだん使ってない能力を 使っていい運動になったんじゃないだろうか。

電力生活

翌朝、旧館と食堂は(普段はしない)雨漏りと、窓枠の隙間などから吹き込んだ雨でずぶぬれ。新館も、 強い風に、雨が防風仕様のサッシの水よけの凹凸をくぐりぬけて少し入ってきている。大昔と違って、 電化製品が多い今は、雨漏りからそれをまずガードするのも大変。パソコンセットなんて特に!実家の ホテルは自家発電の機械を持っていたので、食事時など何時間かずつそれを回したため、たくさんある 冷蔵庫の中は無事だったし、洗濯も出来ればエアコンも使えたが、これは本当に特権的な場所だった。 そんな装置がある所はごくわずか。病院も総合病院以外は持っていない所が殆どだ。昔は発電機を持って いる人も多かったが、近頃は本土同様、ちょっとした台風なら停電しないし、したとしてもすぐ復帰する ようになったので、もはや長時間の停電という事態を想定していない。

今回は結局、停電の復旧になんと一日半かかった。何が困るって、冷蔵庫だ。殆どの家庭がなま物全滅。 そして店も開ける事が出来ない。スーパーは売り場の冷蔵、冷凍ケースを始め、在庫保存用の大型冷凍庫も 一日半はもたず、なま物の在庫全滅。電話も型によっては通話できない。(携帯大活躍!)電動ポンプを 使っている所は断水、電気着火の最新式のガスレンジは使えない所もあったらしい。これが丸一日以上、 足掛け二日続くのだ。もちろん洗濯機もエアコンも動かない。奇妙に涼しかったのが唯一の救いだった。

こんな時にお産が始まったら、とつい考えてしまう。普段から自家発電を使っている総合病院があったから 安心ではあったが、発電施設のない小さな産婦人科では、保育器の温度を寝ずの番で管理した所もあった そうで、やっぱり入院、手術のある所は備えが必要だなぁと実感した。

ようやく下火(8月8日夕方)

夕方ようやく納まってきたので家人と車で探検した。自販機が倒れている。電線はいたるところでズタズタで 垂れ下がっている。喫茶店の屋根が丸ごともぎ取られて裏の畑に落ちている。トタンはそこら中に落ちている。 大きなガソリンスタンドの高い、大きな屋根が、太い鉄骨の基礎ごともぎ取られて、つぶれた折り紙の ようになって隣の空き地に落ちている。そんな中で、ビニールハウスは意外とそのままなのが不思議だった。 風のあたりにくい場所に立てている事もあるし、暴風の柵を立てている事も多いせいらしい。その柵は結構 飛んではいたが。また、さとうきびはかなり耐えてはいたが、結構倒れている。まだ若い街路樹はひとたまり もなく倒れている。ハイビスカスの赤い花、大きなアダンの実が散乱している。でも、がっちりした蘇鉄や ガジュマルはさすがに強く、葉や枝はかなり折れていたが、幹はびくともしていないのはさすがだった。

風が弱まった時点で作業を開始し、既に徹夜の「九電工」の人達が、そこら中で電線を直している。その姿の なんてかっこよく頼もしかった事!全ての人の熱い感謝のまなざしを受けつつ不眠不休の復旧作業が続く。 発電所に近い隣町では電気が通りだし、一軒だけあるコンビニは人でいっぱい。お握りなんてとっくになく、 パンもカップラーメンも既に棚から消えつつあった。

台風一過(8月9日)

電気は依然止まったままだが、ようやく台風一過らしい天気になった。基本的に出来る事は自分でやる所 なので、男衆はそこら中で屋根にのっては、トントンギコギコ。家の中や回りの片付けも総出でおおわらわ だ。久々に道中に人がいる。4人でてくてく歩いてると、そこら中の知り合いに「帰ってたの?」「台風見に 帰ったの?(^_^;)」台風一家・・・。

お昼前、ついに電気が付いた!!私達は自家発電を使っていたのでその瞬間はよく分からなかったが、他の 家はほんとう〜〜に、ほっとした事だろう。店を開けた大型スーパーに行ってみる。広〜い店内、袋菓子や 乾物、常温保存できた野菜の他は、まぁみごとにガラガラ。風雨が収まっても、波が収まらないと船が出ない。 この日のお昼にようやく鹿児島からの船がつくという嬉しい知らせ。九電工の応援の人達、待ちに待った 食料の仕入れ品もやって来る!被害の大きさに呆れかえりながらも元気な雰囲気が満ちてくる。小学生が 自転車で、被害を見物に走り回っている。死者はゼロ。慣れているせいか、島では大きな台風でも人が 死ぬ事はまずない。崖下などの家があまりない事もあるし、氾濫する大きな川もないし(河口の町の方は 護岸工事がされている)、危険な時に外をうろうろしたり、波を見に行ってさらわれたりなんて事も しないからかもしれない。

発表によると、沖永良部島 最大瞬間風速 56.7m。なんじゃそりゃ〜。どういう風か想像できない んですけど(^_^;)。もう何度もここで台風を見ているが、今回は桁外れの規模だった。地元の古参たちも 口々に「こんなのはホント、沖永良部台風(昭和52年)以来だよ。」と言っていた。

いやいや、すごいものを見られたわ(しかも結構楽な立場で・・)。などと思ったが、良く考えて見ると、 東京近辺で大きな地震があって、今回のような電気、通信が長時間断たれる状態になると、これはひどい 事になるなぁ。と、かなり不安になった。店が開いたとしても人数が多いから多分すぐ品はなくなるだろう。 2000年問題が終わってもちょっとは蓄えておいた方が安全だなぁ。政府の指揮機関が動き出すまで、どう 保てるだろうか・・・etc.。

美白?!

紫外線も浴びたことだし、ちょっとお手入れでもしようかなというと俄然気になるのが最近 『スキンケアの科学』で知った、日焼けのダイナミックな仕組みと それを阻害すべく開発された最新化粧品の数々。これは実験してみるしかないでしょう。と、めったに 化粧品を買わない私にとっては実に数年分の予算を投入して、その効果のほどを観察してみることに。

日焼け・その絶妙な仕組み
←大体こんな感じ。 紫外線を浴びた肌の角化細胞が細胞間の連絡物質(サイトカイン)の「エンドセリン」を出し、それを 受け取った奥にいる色素作り係の細胞メラノサイトがキャッチ、すると中にあるチロシナーゼという 色素を作る酵素がスイッチ・オン!ぞろぞろと黒い色素メラニン色素を出し、それをびよーんと伸ばした 自分の足の先に入れて角化細胞に足ごと食べさせてばら撒く。

細胞に入った色素って、ただ何となく散らばってるのかと思ったら、実際は光で壊されると困る遺伝子の 置き場、つまり細胞核の周りに集まってきて、帽子のように一生懸命、遺伝子を守っているらしい。 あ〜ホントに生き物ってなんてえらいんでしょう。

問題の化粧品は二種類。@とAの作用を阻害する薬品。左手甲右側に@左側にA右手甲の左半分に @とAの混合、右側は何もつけない。というのを毎日一ヶ月ほど続けてみることに。さて効果は どうかな?4分の3だけきれいな手になったらちょっとやだなぁ。でも全然変わり無いのも悔しいけど・・ (こういう薬用化粧品って高い!)と目下観察中。顔?もちろん比較実験なんかしないで全部付けてます。

この、刺激に反応して細胞から出て、ご近所の細胞に指令を出す科学物質、サイトカインはごく最近に なって研究が盛んになった、生命現象そのものに迫るような物質。微量な物質を検出できる技術が 開発されるまでは手が出なかった、とってもホットなトピックらしい。

使 用 薬 品 
商品名 @花王ソフィーナ薬用ホワイトニング
ディープホワイト
Aコーセーアルブホワイト
値段 5000円(30g) 3000円(40g)
有効成分 カモミラET アルブチン
作用 メラノサイトの表面にあるエンドセリンの受容体に
拮抗して、メラニンを作るGOサインを出させない
チロシナーゼのスイッチオンを阻害して、
メラニンを作らせない
ミソ メラノサイトの表面に付くだけで良い メラノサイトの中に入りこめないと効かない
作用効能は確かにこの通りなんでしょうが、実際は非常にガードの固い表面の角質をいかに突破して 内部に有効成分を染み込ませるかが、かなり難所らしい。タワシでこすったあとに擦り込むってのは だめでしょうか・・。

絵を描く

小学生の夏休みの宿題と言えば、朝顔の観察。子供の絵を見ていると、脳味噌の発達そのものに ダイレクトに接しているようで、大変面白い。3才頃には思うままに迷うことなく描き、実際の大きさや 色は無視しても、重要なところは確実に突き、言わんとすることはむしろすごくよく分かる事も多い。

6才になった娘は色々考えて描こうという段階になり、もはや前のような絵は描けなくなった。写真の ようにもれなく、余す所無く描き出したい。と言う事前のイメージを達成するべく、はじから描いていく。 すると画面の半分が植木鉢に。全体像を考えて、骨組みの比を割り付けてそこに収めるよう教える。 描きたいパワーを押さえ押さえ、計画のための適切な大きさに植木鉢を収めるのに、何度も描き直す。

大きさの次は要素でまた一苦労。描きたいものはきれいな花なのに、枝葉にウエイトを取られては、肝心の 所を入れる余地が無くなる。自分の描きたい大事なところからまず描いて、そこから枝葉を付け足して いけばと言っても、それでは気持ちが悪いらしい。3才の頃は、どうでもいいところで肝心なものを 描き損じるなんて事は絶対になかった。大事なことしか描かないから。

年を重ね、以前よりはるかに色々なことが出来るようになったが、全体を仕上げるためのプライオリティー というものの扱いを習得しなければ、むしろ前より絵にならず、試行錯誤の大混乱。しかし、もう3才の頃 の世界に戻ることもできないのだ。人が進んでいくという事はこう言うことなんだなぁ〜とつくづく 思いつつ、私は、もがく本人が進みたい方向、登りたいステップに必要な技やコツを教えて助けてあげるに 留めるよう、余計な方向付けや刷り込みをしないよう、かなり注意を払った。でも絵を教えるのはホントに 楽しい!

プライオリティーを付けて的確に処理するというのは脳味噌のすごく大事な仕事だが、精神を病んだ場合は これが非常に不調になって生活に支障をきたすことが多い。(普通の人だってこの能力には相当差がある が。私もよく支障をきたしている・・。)鬱状態の人等が「何かを見ても、ただ見ているだけで実感が わかない」とか、それが何か分からない、関心がわかない、働きかけようと言う気持ちが起きない等と 言うが、絵を見せてテストするとその視線の移動でかなりその程度が測れることがあるらしい。

絵を見せてここに○○がありますか?この顔は笑っていますか?などと聞くと、たいていの人は、その質問 に答える情報のある場所を、さっさっと余計なところは飛ばして目で追って探して行くが、心が動かない 状態の人は漠然と関係ないところをうろうろ見ていたり、はじから不必要に綿密にちまちま見ていったりで、 結局必要な情報を受け取るのに極端に時間がかかったり、受け取れなかったりすることが多いそうだ。

幼児の、肝心なところに力を入れ過ぎたり、不必要なところに力を入れすぎたりというアンバランスの ほほえましさや、それを克服していく発達のすごさを見るに付け、それがまた壊れるというのは、 そういうことなんだなぁと妙に納得したりしつつの宿題追い込み8月後半だった。


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