'00年度 二年生/三学期医 学 生 日 記
学部の校舎(病院の一部と、医学部教室と、研究室が入っている)は古い。敷地内の建物は病院2棟、 歯学部校舎と順に新しくきれいに建て直しているが、まだその順番が回ってきていない古参の建物なのだ。 暗い狭い廊下には訳のわからない配管がうじゃうじゃ通り、わけのわからない機械や戸棚や冷蔵庫や箱が 両方に積みあがっていて、なかなか怪しげ。そうそう、昔通りすがりに見物した、大蔵省の廊下も こんな感じだったなぁ・・授業の教室は、実習以外ずっと同じ部屋で、そこに先生が入れ替わり立ち代りやってくるという小中学校方式。 これがまた駿台もまっ青な、ギューギュー詰の固定式いすの階段教室で、しかも八十余名全員がかろうじて 座れるぐらいにきちきちなので、大変圧迫感がある。授業にやって来た先生は「教養と違って汚くて びっくりしたでしょ。でも4・5年したら新しく建て直してきれいになりますから(^^)」・・卒業してるって・・ (多分)
生協はそれなりに広くてうれしい。ずっしりした教科書や医学書がいっぱいあるほかに、聴診器等も置いて あって白衣を着た人がうじゃうじゃしていて独特の雰囲気。実習用のオリジナル色鉛筆(12色)があるので 何かと思ったら、ピンクや紫のバリエーションを増やした実習によく使う色で構成したものだった。 (でも缶は一般用のままなんだけど・・)その他医科歯科だけあって、すごい種類の歯ブラシ他、 デンタルケアグッズが大変充実!大型ドラッグストアでもこれだけの品揃えは見たことない。
出入りしているのは学生のほかに、教授、医者、歯医者、看護婦(師)、検査技師、大学職員、患者さんなど もいるので老若男女入り乱れている。DPEで現像を頼んだときに、「お名前とご連絡先を・・」と言うので 自宅電話番号を言ったら、「内線がありましたらそちらでも結構ですよ!(^_^)」・・あ、いえ、内線は ありません(^_^;)って、職員じゃないってば。
医学部で最初の大きなイベントといわれる解剖実習だが、まずは扱いやすくマイルドな骨の観察。講義と 平行して実習室で背骨から始め全身の骨を観察し、互いの結合や部位など調べ、スケッチ。二人一組で 一体の人骨を使う。「はい〜あっちの部屋の自分の班の棚から骨箱持ってきて〜」コツバコ?入るとちょっと妙な匂いの漂う隣の部屋(解剖実習室)には、ステンレスの台(まだ何も乗っていない 解剖台)がずらっと並んでいる。部屋の中央には大きな棚。班の番号と生徒名が記された棚ごとに、両手で 抱えられるぐらいの長方形の木の箱があり、バラバラの骨がワンセットずつ入っている。人骨である。 山の中や庭の花壇などで遭遇したらびっくりだろうが、こういう状態だと皆あまり怖いとか不気味という 感じでは無い。もちろん大切に扱うように最初に重々言われるが、それでなくともあえてふざけるという 雰囲気でもなく、へ〜、という感じでごく普通に熱心に観察されていた。スケッチの枚数や内容は自由裁量 なのだが、いつもずいぶん遅くまで残っている人が多かった。
実習で手にとる標本は、新しい白い標本と違って、年季が入ってあめ色に光っている上、結構あちこち 欠けている。私たちの班の骨は男性らしい。何十年も使ってるようだけど、事によると100年近くは前の人 かも?文明開化の活気なんか見たのかな?どんな仕事してた人かな?子供なんかいたのかな? 戦争には行きましたか?などといろいろ想像が広がってしまう。でも献体は普通骨は返すし (中には全て使ってくださいという人もいるにはいるが)、この人たちってどこから来たんだろう?? 無縁仏さんが多いのかな?そもそも日本人とは限らないよね・・
先生に聞いてみると、なんと古い標本はガンジス川を流れていた人!!だそうだ。それを下流で回収する 業者がいたらしい。(今は法律で禁じられているが、当時は合法)そんな遠い、神様の川につながるなんて まあ。はぁ〜インドの方でしたか。いろんなご縁があるものですねぇ・・と、よりイメージが出てきて しまい、この手がカレーすくってたのかな、豆のカレーは好きですか?この足で聖なる川の川底に立って、 沐浴をし、祈ったのかなぁ、と頭の中がいろんなところに飛んでいってしまった。
また、新しい標本は真っ白でさらりとしているが、この古い骨のあめ色にピカピカなのは年季の手垢?と 思いきや先生曰く「昔はあまり技術なかったから結構アブラとか残っちゃってたんだよね」(人の脂かいっ・・)
しかし、新しいのは漂白しすぎでもろいし、でこぼこをきれいにしているもんだから腱の付いていた とこが分かりにくいし・・・と新しく美しい標本に対する先生方の評判は今ひとつだった。それはともかく骨。教養の実習で結構骨に凝ってしまったのだが、更に詳しく見ても、ほんのちょっとの 出っ張り、僅かなよじれが全部必然であるのに全く驚嘆してしまう。だって、ただの卵からよくぞこんなのが 僅かな時間で出来るなぁ。手の平が上にも下にも向けられる、首が動く、そのためのこの設計のすごさったら!! また個人差が大きくてそれもまた面白い。教養でウシガエルの骨を初めてじっくり見たとき、ある背骨の突起が 左右ですごく違うのでびっくりして「奇形?」と先生に見せに行ったら、「う〜ん、これは彼の個性でしょう。」 と言われて、はぁ(@.@)そういうものなんですか?!と衝撃だったっけ。(カエルなどは人よりよりラフらしい)
骨の観察が終わり、2月の月曜から解剖が始まる。まずは生協に実習着や道具を注文。白い、後ろ開きの 裾の長〜いうわっぱり。スタンドカラーに、身ごろは汚れに強いシャカシャカしたナイロン生地。 そして手術室なんかでよく見る青緑の帽子。道具は教養のときのピンセットやハサミがあるのでメスだけ 買う人も多かったが、せっかくなので箱に入ったセットを買う。家に持って帰ると、家人は「使ったあと 触るのヤだから、今のうちに見とこう」と言って見物していた。そして来週のための注意色々。
・貴重なご遺体には十分敬意をもって接すること。に始まり、
・上着をつけるだけでなく、中の服も着替えて別にすること。すごく臭くなるので、電車の中で白い目で見られます。
・帽子もかぶること。髪に匂いが染み付きます。電車の中で・・以下同文。
・実習着で外をうろつかないこと。エレベーターの中でも・・以下同文。
・靴も履き替えること。万一、靴に遺体の一部などを付けて出て歩き回ったりするのは、倫理上いけません。
・部屋で喫煙しないこと。喫煙の是非以前に、引火性の薬品が多いので火だるまになられても困ります。
・刃物を持っているので行動に気をつける。また友達の精神状態が危なそうだったら早めに相談すること(^_^;)・・ etc.etc.・・・ただ、すぐ下のフロアあたりまでは出歩く人がいたらしい。実は、妹は昔、医科歯科の研究室で秘書のお姉さんを していたことがあるのだが、すぐ上のフロアから異臭を放つ不気味な人がよろよろ降りてくるので、(来るなぁ〜っ!) っと思っていたそうだ。
生化学では、体の中でどんな風に糖を使ってエネルギーを作るかとか、材料を使い回して必要なものに変える 反応経路とかを色々やっている。何せ物質名とか反応名とか多くて多くて、とても一気に覚えきれるものでは 無いのだが、ほんとに凄い仕組みだなぁと感心してしまうスタンスで聞くと面白い。体は、砂糖や糖分を取らなくても他の材料からちゃんと糖を作るし、一切脂抜きの食事をしていても、他の 材料をばらして脂肪分を作る。お菓子やおイモだけでも、ばくばく食べれば脂肪がブヨブヨ付くわけだね・・。
こういう変身をさせたり調節するのは「酵素」だが、小中学校ではその辺ほとんど触れない。だから私は 子供の頃、不思議で不思議で不思議で不思議で・・・でも先生に聞いても全然説明してくれないし・・ああ なんでなんで????でいっぱいだったのだ。初めに意識したのは「光合成」。”葉緑体が、二酸化炭素と水とお日様で、 でんぷんを作るのです。ヨウ素液で紫になるか実験してみましょう”というのは大変よく分かったし、感心 したのだが、でも植物の体って、でんぷんだけじゃないじゃない?甘味の糖は、酸味の酸は、大豆のタンパク質は、 なにやら固い繊維は、花の色素は、どっから来るの?誰が作るの?
動物の体は内臓があって、ここで栄養を取る、とか肝臓ではどうのこうのと大まかに知っていたので、そこで 作るんだな、と思っていたのだが、植物って内臓ないし、はっぱ以外は管ばっかだし、花や実は結果として出来る 部分だし(?_?)。小学校の先生に一生懸命聞いても今ひとつ質問の意図が伝わらないらしく、「まあ、植物に 内臓なんてあるわけ無いでしょ。(微笑み)」と、トンチンカンな答えが返ってくるばかりだったっけ。
植物の生理は殆ど知らないながらも、だいぶその黒幕が分かってきて20年ぶりぐらいに嬉しい私。
大学名を言うとよく歯医者になるの?と言われる。(さらには私立大学だと思われることもよくある。単科 大学である事もあって、この方面にあまり縁や興味の無い人にとっては、そんなものだろう)実際、もともとは 歯科大学だったわけだが、ここの歯学部は歯科の重鎮だそうで、また医学部と連携での顎顔面や口腔の 外科治療なんかも得意技らしい。歯学部の大学棟とは別に、門の近くには歯科の外来の新しくてきれいな大きな病棟がある。大病院と言えば お見舞いとか、テレビの映像なんかでよく知っているが、「大歯科病院」というのは、未知の世界。 一体このでかい建物になにが詰まっているのかと、すぐお隣の外来棟に見物に行った。
病院と変わらない明るく広〜い受付ロビーは老若男女でいっぱい。売店もトイレもきれい。案内板によると 地下1階から8階間でぎっしり詰まっているのは、歯科放射線外来、総合診療科、高齢者歯科、障害者歯科、 薬剤科、矯正歯科、小児歯科、ペインクリニック、顎関節科、総合口腔心療科、口腔保健指導、義歯、スポーツ 歯科、歯科アレルギー科、クリーンルーム歯科、総合診療科、虫歯外科、歯周病外科、口腔外科、顎顔面外科、 顎義歯外来、言語治療科、歯科麻酔外来、インプラント、手術室、検査室、器材室、歯科病棟。
確かに重い障害を持った人の歯科治療って難しそうだし、無菌室にいるような感染に厳重に注意が必要な人も、 普通のところでは治療できないなぁ・・・スポーツ歯科って?噛み合わせを良くしたら記録が伸びたって 聞いたことはあるけど・・。口腔心療って何だろう??・・また一つ新たな世界を垣間見て、ひとしきり 感心。
体液がいかにデリケートに常に一定の状態に保たれているかというのを習った。そこで、体の中にはある センサーがあり、血液の中に溶けている二酸化炭素の量を常にモニターしていて、必要なときには息苦しい と言うサインを出して、呼吸を荒くさせたりすることを初めて知った。そのセンサーは心臓からすぐの動脈と、 首の動脈にある。子供の頃、息を止めると苦しくなるのが不思議で、何で私は「酸素が無いことが分かる」んだろう?? と色々考えたものだった。いくつのときかは忘れたが、実験らしきものをしてみたことがあったのだ。 まず、息を止めているという動作自体が苦しくなる原因かな、と思ったのだが、ビニール袋を当てて スーハーしてると、息はしてるけど苦しくなる。生ぬるい汚れた空気が苦しくて、外の空気を吸うと 爽やかで気持ちがいい。って事は空気が良いか悪いかを私の体は知っているらしい。
でも、ひょっとして「生ぬるい」のがミソで、そこに酸素があるとか無いとかは実は分かってないのかな? とも思ったので、苦しくなった空気を袋にためて置いて、ひんやりさせてから、息を止めたあと吸ってみた。 そうしたらひんやりしてるのにやっぱり苦しい!じゃあひんやり感だけが頼りなんじゃなくて、なぜか 私は酸素の有無がわかるらしい。何でかなー?どうやって??
この疑問、20年近く寝かせたんじゃないだろうか。やっと分かったよ〜!!嬉し〜!
私は絵や漫画を描くのが好きだが、手を描くのが苦手。見ながら描けばいいが、想像だけでぽんぽん 描くと、他の部分と違ってなんかおかしくなる。骨学実習で、バラバラにならないよう針金でつないだ 手の骨のスケッチをしていると、なるほど、ここからこう来て、この形なんだ・・などと改めて納得し、 そばにある紙に色々な手の形を描いてみる。するといつもよりずっとすんなり描けるのだ。 執拗に種々の解剖スケッチをし、研究を重ねたレオナルド・ダビンチもこういう感じってあったのかな〜 となんとなく嬉しいような気持ちで帰る途中、週刊誌を開くとそこにダビンチと「美術解剖学」の専門家で 東大の解剖学教室で学んでいた芸大の人が出ていた。(こういう、神様が空から投げ下ろしてくれたとしか 思えない様なタイミングって、不思議と良くある)小学生達に、釣りをさせ、その魚を解剖をし、弔い、その直後また生きている魚を目の当たりにして息をのみ、 という経験をさせた後の、わずか一日の絵の変化のすごさを綴った本の紹介のインタビューだった。 (→読書日記) 解剖をした後、外に出て目の前を歩いている人を見て 「あっ、生きてる。動いている」という実感と感動が強く印象に残った、といったことを話していて、とても 面白かった。
その紹介記事を読んでいて思い出した。一昨年、カエルの解剖で脳や神経を見た時、脳からクロスした 視神経が出て眼球につながる様が、なんて見事なんだと思ったので、それをバラバラにならないように 注意深く取り出してスケッチをした。(そういう課題外のことをよくやっていた)家に帰ってそんな話を したら、家人が、そういえば、芸大の人なんだけど解剖やってる人がいて、脳と目のつながった様子が すばらしいとかで、人の標本で展示しようとしたら、それは(倫理的に?)まずいとクレームがついて 出来なかった、って話だよ。と教えてくれたのだった。その記事の人物は、まさにその人だったのだ。
そんなこんなの骨学実習の期間中、私はよく昼休みに一人で実習室に行っては骨を取り出して、スケッチの 追加をしたりしていた。ある日、また昼休みに誰もいない実習室のドアを開けると、およ?景色変わって いる。ドアの側から広い部屋の奥まで白いものがずらっと並んでいる。それまで空だったステンレス台の上に、 それぞれ、白い布で包まれ、ビニールシートのかかったものが乗っていたのだ。翌週からは解剖実習。
解剖実習が始まった。講義と平行して、4人で1体の人体を半年間(午後いっぱいを週三回)かけて解剖する。 「御遺体」(と学内では必ずそう呼ぶ)は、生前の本人や家族の希望により、死後、研究や勉強に役立てるために と献体されたもので、後日遺骨の形でお返しする。ホルマリンという防腐剤で処理してあり、生き生きとした 肌色や柔らかさは失っているが、形はきれいなままである。男女半々、いずれも年配の方ばかり。一つ発見した。目を閉じ、眠っているかのようなお年寄りの顔は、みな不思議なほど前から知っているような、 懐かしい顔のように見える。こういう状況のせいなんだろうか?「シラナイヒト」に抱く、独特の感じが 全然しないのだ。解剖するという行為と、その人に対する不思議な親しみや、大切にするような気持ちが 同時並行しているというのは、奇妙なのだろうが、一般には正常な、気持ちワルーイ、いやだぁっていう 感覚か、すっかり麻痺してモノ扱い。の両極に分裂する以外のスタンスも確かにある。
皮、神経、筋肉、血管、内臓・・・とこれから順に見ていくわけだが、私の班は今のところ他の大抵の班より、 ものすごく大変。男性だし、決して相撲取りのように太っている訳でもなく、ややムチっとしてるかな、と いうぐらいの体格だったのに、中はもう脂肪、脂肪、脂肪。他の班の様子を見てみると、全く別のことを しているかのように様子が違うのだ。皮下脂肪が厚い、なんてものではなく、皮下、筋肉と筋肉の間、膜の 間、血管や筋との隙間、神経の回り、太い重要な血管の回りまでもうあらゆる隙間と言う隙間に脂がびっちり である。
5才の息子が気に入っているお化けのお話の本がある。ろくろっくびや、おいてけ掘、といった昔からの 伝承話を集め、「日本昔話」のようなかわいい絵をつけた本だ。その中に「あぶらとり」という話がある。 ご馳走を山のように出してもてなしてくれる不思議な家があったが、それは実は太らせた人間を火に あぶって、滴るあぶらを絞って飲む化け物の家だった・・というストーリになっている。現代の人間には、 体から汗が出るとか、顔が脂ぎるといった感覚はあっても、「あぶらが滴る」という発想は普通無い。 これは死や死体、壊れた体、朽ちていく死体というものが身近で、太った人の身には脂が詰まって滴って くるというのを知り尽くしていた時代の人の頭の中でしか生まれ得ないお話だったんだなぁ・・・と脂と 格闘しながらつくづく思った。
テレビで、懐かしい映画、「ターミネーター2」を放映していた。未来の精巧なサイボーグの出てくるSF で、ずいぶん前、封切り直後に映画館で見た。当時の私は、生物ももちろん好きだったが、仕事上、コンピュ ーターやプログラムといったものが身近な頃だった。(私自身は大した事をしていたわけでは無いのだが。) そして、これがどう発展していくかなと考えたりするのが大好きだったので、そんな常日頃の夢想とも 重ね合わせてワクワクしたり、敵役の液体金属で出来た変化自由な新型のサイボーグを見ると、液体金属の 特性を自在に操ったり、脳のように中枢に情報を集める方法ではなくて、生物のように細胞一つ一つに 全プログラムを搭載しておいて、各部分が臨機応変にプログラムの必要な部分だけスイッチを入れて 役割を持ったり出来たら、どんなになるんだろうとか、とめどなく連想が広がって、楽しくて仕方が無かった。今、見ると、もちろんそんな夢は相変わらず胸をよぎるものの、裸で歩くシュワルツネッガーを観ては、 私の知ってる大胸筋と違う…(すごいボリューム!)。などと立派な筋肉にいちいち目が行き、銀色の サイボーグの骨格を観ると、あ〜人の骨格をなんてうまくアレンジしたデザインなんでしょうと感心し、 金属骨格の上を生きた細胞で覆っている(本物の人らしく見えるように)と聞けば、じゃあその血肉に酸素や 栄養を送るための循環装置はどういう風に作ったらいいかな〜などと色々構想。
何より、自分の中の違いを感じたのは、機械が剥き出しになったサイボーグの腕が、指をしなやかに動かして 見せるシーン。以前はフィクションのセットとはいえ、なんて精巧なものなんだろうと感動したのだが、 今感じるのは、こんなにすごそうな仕組みでも、本物の生きた腕の仕組みのすごさには遠く遠く及ばない なぁ〜という驚き。そして機械を作っている人達は、そのものすごい壁をよく知った上で、日々立ち向かって いたんだなぁという驚き。その発見や驚きが、この上なく面白かった。
解剖学の授業のときに標本を運んだりしてお手伝いしつつ、一緒に授業を受けているお姉さんが二人いる。 実習のときに先生に聞いてみると、「聴講生のような立場で来ている、絵を描く人」との事。ダヴィンチ さんでしたか。絵を描く人がここで学ぶと、どんなものが生まれるのかなぁと興味深かった。ある昼休みに、 ちょっとやっておきたい所があったので解剖実習室に行くと、絵描きさんの一人の人が教室の端の方で、 筋肉や腱の剥き出しになった膝のあたりをスケッチ中。スケッチを覗かせてもらいつつ、色々お話など 聞けて嬉しかった。もう一人、授業にも実習にも参加しているお兄さん(?)。私達生徒にはなじみの人だ。教養部で、医療の 基礎になる倫理や哲学、人間科学といった科目を担当していた先生。若手ながら熱意とパワーと今日性の ある鋭い授業で定評のある面白い先生なのだが、解剖といったアプローチでまた何かを見てみようという 事らしい。この実習への参加の反映された授業を聞けないのは残念。
この先生は私が前通っていた大学でも教えているらしい。そしてどうも私と同じ年らしい。・・・もしや。 (^。^;) と聞いてみると、学部は全然違うのだが、正真正銘、同じ4年間に、同じキャンパスに通って いた「同級生」である事が判明!「ん〜、すれ違ってたかも知れませんねえ・・・。」「あの頃はラグビー も野球も強かったですよねぇ。・・」立派にやってる同世代の人をみるのは喜ばしい。
週三回、一ヶ月ほど「医学英語」なる、単位には入ってないし試験もないという科目があった。とにかく とにかく、現場に出たら英語は絶対必要なんだから!継続的に親しんでおくべきだ。という発想の元に 作られたらしい。あっちこっちの先生が呼ばれてきて、簡単なペーパーを読ませたり、ビデオを見せたり と色々工夫して下さったが、呼ばれた先生も、まあ、英語は本当に必要だけどね〜。今、これをやるのが ベストかどうかはうーん。などと困惑気味だったりすることもあったのだが、試験の無い気楽さで結構 楽しみだった。(けど、その分実習が遅くなるのが、ちょっと困った。)初めに名物教授とも言える寄生虫学の藤田紘一郎先生の、おなじみの花粉症と寄生虫についてのお話を 読んだり、四方山話(←これは全部日本語)を聞いたのがとても面白かった。ずいぶん昔に本も読んでいたし。
また印象的だったのは、細菌学の父のパストゥールの、かなり古い、モノクロの伝記映画。細菌によって 病気になる、それが認知されるというのがこんなにも大変だったんだというのを眺めながらも、(医師では 無い)門外漢が口出しをするな!バカバカしいでたらめを吹聴するな。器具をぐつぐつ煮たりしたら 魔女扱いされる。という御立派なひげの医師達に寒々としたものを覚える。
ほんのちょっとの知識と注意で死を免れたはずの多くの人たち。3人に1人の割合で感染による産褥熱で 次々と死んでいった産婦達、残された夫や子供達の映像は、ちょっと時代がずれていたらそうであったかも 知れない自分や家族、知人友人と重なって本当に切なく悲しかった。
しかしこの映画、字幕がついていたので、ほとんど英語を聞いてなかったような・・(^。^;)
これからの医学とコンピューターは切っても切れない仲なので、さわりだけでも触れておこう。といった 6回講座。論文の検索や、アメリカの大学の電子図書館で資料を検索する練習といった基礎でもけっこう 初めて知ることが多かったが、それより最新の人体の断層データを元にした3D画像処理、専用の眼鏡と グローブをつけて手術の手応えまで再現するシミュレーターの開発の様子などが、すっごく面白かった。 また、ネット上で公開されている遺伝子情報。場所や、もしくは条件を指定すると即座に塩基配列を ぽんと出してくれる。一昔前では情報の局在化が権威のよりどころであったのに、こんな風に世界が 一つの頭脳のように情報を共有してどんどん進んでいけるのってすごいなぁ〜。
血管というものならば誰もが知っているが、「リンパ管」はマイナーだ。解剖をしている医学生自体、時に その存在に気付かなかったりする。"リンパ腺がはれる"といった表現でおなじみのリンパ節は、小豆大の 固いツブツブとして見た目にも分かりやすいのだが、無数に張り巡らされているが透明で細い管のほうは 分かりにくいのだ。私たちの班のご遺体はやたら管が丈夫で、取り除くだけで結構てこずったのだが、 おかげで、よーく観察することが出来た。そして、疑問が湧いた。よく、ガンが転移していたのでリンパ節を取ったって言うけど、この無数の管は 切れっぱなしで中身流れっぱなしになるんだろうか?そのうち再生するにしろ、それまでリンパ液は 周りから適当に吸収されるんだろうか?
と思っていたら、折りしも子宮ガンで子宮とリンパ節60個以上の摘出手術を受けたタレントの向井亜紀 さんが、インタビューでその事について語っていた。記者会見ではしっかりと受け答えしていたが、その時は まだ下腹部も足もリンパ液でパンパンで身動き出来ないほどつらく苦しかったらしい。ロングスカートで ごまかして、当日ドアから椅子まで歩いていって座るのが地獄の作業だったそうだ。一日も早く元気に なりますように。