'01年度 三年生/二学期医 学 生 日 記
小学生よりも少ない夏休みが8月3週目で終わり、すぐさま薬理学実習、つまり様々な薬の効果を学ぶ実習が 2週間にわたっておこなわれた。最初の週は実験動物を使って日替わりのテーマで実験。次の週は自分の 選択したものを一週間かけてやり、結果をまとめる実習。上から伝わってくる情報によると、「6年間で 一番きついのが3年生。特に2学期。中でも薬理!運が悪けりゃ毎日終電だよ」とのもっぱらの評判だった。まず第1週。カエルの心臓、おなかの筋肉、モルモットの腸、ウサギの心臓、を用いて、様々な薬物 投与でその働きがどう変化するかを観察する。生理学の実習と似ている所もあり、そんなに難しいわけでは ないのだが、「活きのいい標本」を取り出さないと、取り替えても取り替えてもうまく効果が出ずに10時 までかかった〜なんてこともある。
私のいた班は、失敗や試行錯誤は色々あったにしろあまり長引くことも無く、時には4時前に帰るという 記録まで打ち立てたりして結構早く帰れた一週間だった。
この実習は特に毎日動物をかなり使う実習だが、医学部に入った人がみな、そういうのが好きとは限らない。 現時点では、むしろ出来ればやりたくない人が多いぐらいかもしれない。だから班で1人か2人標本作り係を 出す時も、ジャンケンで負けてしぶしぶ、という人が結構いたりする。手を使う仕事がとても好きな私と しては、機会を譲られることが多くてラッキーだったが。
動物実験は年々様々な批判が強くなっているため、大学でも非常に気を使うところでもある。教官たちは 無駄な計画がないかチェックし、申請書を作成して許可を得る。学生にも、苦痛を与えない方法について 細かく指示を出す。学生はそういう話をしょっちゅう色々な場で聞くことになるのだが、これは一昔前には 殆ど無かったんだろうなぁと思った。
薬理学実習の2週間目は、私は骨芽細胞(骨を作る細胞)に作用する薬についての実験を選択。川をはさんで 大学から徒歩10分ほどの難治疾患研究所で4人の班での実習だった。大学で行う、何が入っているか分から ない薬品の中身を当てる、という実験の班は非常に夜が遅くなると聞いていたのでそれ以外にしたかったと いうのもあるが、教養のときに始まった「骨が好き」と言うのが 今も続いているのと、研究所の中をのぞけるのが面白いのと、少ない人数でみっちりいろいろ聞けた方が 嬉しいと言うのが選択を決めた大きな要因で、あみだくじで4/11の確率を運良く射止めたのだった。行ってみると、毎日まずテストに始まりレクチャーの後実験、レポート提出は毎日と言う濃厚なスケジュー ル。レポートやなれない作業に目を白黒させていた私たちだが、担当教授も、指導係の二人の院生さんも すごく親切、熱心に教えてくれたので思っていたより大変だったものの、すごく充実した実習だった。 初めて見る様々な器具の操作から、データのまとめ方、学生発表のためのスライド作りとまとめ方なんかも、ほんと短期間ながら 鍛えられた〜(へろへろ)って感じだった。最後、教授がみんなを連れて食事に連れて行ってくれて、 色々なお話を聞かせてくれたのもとても楽しかった。 →えにっ記
この夏は台風が少なかったのだが、9月になって初めて雨台風が東京を直撃した。昼間、地下鉄が止まった らしいというニュースが伝わってきて、みな口々に帰れなかったらどうしよう等と話していた。でもまあ 止まったのは丸の内線だけなんだから何とでもなるでしょ。そうそう、一斉に止まるなんて事ありえねーだ ろ?そこで私はふと思い出して、本当に数年ぶりにこんな言葉を口にしたのだった。「10年以上前の話だけど、なんか成田空港関係のゲリラの同時多発テロで一斉に線切られて、電車が みーんな止まった事あったよ。」
へぇ、同時多発テロなんてあったの?東京で?と聞く若い同級生たち。でもそれ台風とは・・(^_^;)。 全然関係ないよねぇ〜(^_^;)。第一、同時多発テロなんてめったに起こんないもんの心配までしてたら きりないでしょーが。夕方には雨は上がり、電車はすべて平常に戻った。
翌日はかなりヘビーな試験があったので、夜は勉強していた。ちょっと一休みし、テレビを見ている家人の ところに行くとなんだか映画をやっていた。と思ったらニュースだった。家人も???という感じだった。 ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が吸い込まれていく。うわぁ、過激派の人がセスナで突っ込んだ のかしら。セスナであんな大穴開くんだ。その時はまさか乗客つきの大きな旅客機だとは思っても見なか ったのだ。続いて2機目が突っ込み、ペンタゴンにと情報が流れ、これは同時多発テロだ。と言う言葉を 聞いて耳を疑った。砂の城のように崩れ落ちるおなじみのツインタワー。
ああいう状態を見てまず浮かぶのは、もしそこで子供連れていたらどうやって守りながら逃げれる だろうか、という事だった。そして今、次に浮かぶのは、もし数年後現場に居合わせたら医療チームの 手伝いをするんだろうなと言うこと。はじめの数時間、映像の中の逃げまどう人の中に怪我人は全く映って いなかった。全く救助できてないんだ、今ごろあの辺りの医師は集まってきてるんだろうな。でも近づけ ないんだろうな。などと思った。
加えて、かつて航空機のシステムを作っていた元会社員として、うわ〜〜システムが大混乱。お客情報や、 予約情報や、荷物情報、これからしばらく関係者はてんてこ舞いだろうな・・と思わずにはいられなかった。
その日は事件の大きな背景をゆっくり考えるような、そんなとこまで頭が回らなかった。そして、翌日の 試験は皆あ〜どうしよう、テレビ見ちゃったよ〜と、げっそりした状態でやってきた。大学に泊り込んで 勉強しようとしたグループも、結局病院の待合室のテレビの前に集まってしまったらしい。テストはいかに。 身近で平和な悩み。
テロが戦争に発展して、ニュースはそれ一色に染まってきたが、次は天然痘をばら撒くのでは、という うわさが飛び交うようになった。で、ふとドキッとしたのだった。私は種痘をやっているけど、うちの子供達 には免疫がない。うちの、ってだけでなく、種痘を廃止して随分経つから、子供達はみんなだ。でも種痘をやらなくなったのって結構前だったよね?確か20数年前?って事は21、2才の今の同級生達は? で、聞いてみた。「ねえねえ、種痘ってやった?」「しゅとう・・って何すか?(by 医学生)」 がーん!(-o-;)あの・・ほら天然痘の予防接種の種痘・・。「あ〜、種痘。さぁ〜聞いたことないから、知らない なぁ。天然痘ってもうなくなったんでしょ?」
他の女の子(優等生である)に聞いてみた。「種痘やった?」「種痘・・って名前の予防注射?天然痘? 何才ごろやるもんなんですか?やったのかなぁ?やってないかも?」種痘やったんなら、腕に結構目立つ 傷が残ってるんだよ。ほらほらこんなの。(片袖脱ぎ)「あ〜、それ、お父さんにはある!」 ・・おとーさん・・。そういえば近頃はみなノースリーブから傷一つない美しい腕がすらりと伸びている。 そっか。時代劇で種痘の跡が見えるとつい突っ込みを入れていたものだけど、もうすぐそれもなくなるんだ。
結局23歳以下の人は全員やっていないらしい。ウイルスは日本では破棄したはずだし、ワクチンないし、 どうすんだろ。と思いつつ廊下を歩いていたらちょうどウイルス学の専門の教授とすれ違ったので、噂通り ばら撒かれたらどうすりゃいいんでしょうか、等と尋ねてみた。
「あきらめるのです。あなたがこの世に生まれてきたのも運命。天然痘になるのもそれはまた運命・・。」・・(T_T)。
あのー。でもせめてなんか出来ることは・・。「対処療法はちょっとはあるけどあんまり 効かないしねぇ。ワクチン?当分間に合わないよ。」私種痘やってるんですが・・「え〜?そんな頃まで やってたっけ?」 いえいえ、、私が生まれたのは「そんな頃」じゃないんで・・また、他の免疫学教授いわく「全員は死なないよ。生き残った人がなんとかやってくさ」・・(T_T)
一月経って、アメリカでは郵便物による炭疽菌のばら撒きが現実化し、ちょっとしたパニックに。天然痘 は出てきていないが日本もついにワクチンを作り始めた。これ、いつ終わるんだろうか。
10月の20、21日と大学祭があった。ここ数年、3年生は毎年「解剖展」をやる。実際に解剖体を公開するのが 話題を呼んでいたのだが、今年はそれはやらなかった。今までは医学教育と啓蒙の範疇であるという一種の 拡大解釈で押し切ってきたところがあるのだが、昨今そういうことが問題になってきたため、筋を通して 確認を取って、とやろうとしたが無理だった。全ての献体の生前の意思確認に「一般公開」が明記されて いないためだ。また、公開自体に反対である学生も少なくなかった。欧米の場合「一般公開もいいですよ」というはっきりした意思を示す提供というものがあるのだが、日本の 場合そんなことははっきり聞かない、やるとしても本人家族には事実上内緒が心遣いというもの。って感じ できたので、改めてあいまい部分をはっきりさせようといろいろ調べると、文化の違いって大きいなぁと つくづく思った。もっとも、日本でもはっきり、例えば大学内での短期の一般公開もいいですか、って聞けば、 いいですよって言う人も少なからずいるとは思うのだが。(私はどちらかというとそうだし)
献体、といっても若い時は冗談じゃないってのがむしろ(日本では特に)普通だが、死を意識するように なって大きくその心持ちに変化がおこる人が結構いる。実際医学生で、献体登録者と機会があって話した 人ですら、自分を喜んで提供しようという気持ちが今ひとつ良く分からないと言うぐらいだから、 生の真っ只中にいる立場からの想像では限界がある。死が近い人に死のことなんてなかなか聞けないもの だが、家族の中でもめったにそういう機会のない今、もっとそういう人に触れて、その気持ちを聞いたり する機会が日常にあればいいのにと思った。
で、そんなこんなで体についての面白いトピックの展示と、骨(これは本物)、筋肉の解剖のビデオ、 大学所蔵の解剖学の古書(ベザリウス、ダビンチ、ターヘルアナトミア、解体新書等面白いのが一杯ある) のレプリカ展示、献体制度についての展示などをやった。なかなか内容はあったとは思うのだが何せ、 事実上の準備期間が一日!本番2日前までレポートと試験のラッシュで全く動けない一ヶ月だったのだ。 それでのもその合間に、図書館から借り出した総額ウン千万円也の古書の写真撮影(の手伝い)をしつつ、 皆でその図や記載を見てあーだこーだと話したのは実に貴重な機会だった。
泊り込み組に参加できなかった私は細切れ協力で申し訳なかったが在宅勤務で、展示用原稿をいくつか作り (そのうちの一つのイラストを見れば、それが「えにっ記」の主だとすぐ分かる)、パンフ用イラスト (モナリザと骸骨)を描き、事前作業ではパネルをぺたぺた作ったりと結構張り切って参加した。(解剖&祭り好き)
2日目の数時間だけだが、人骨のコーナーで解説をした。うえっ本物?という人達もほとんど皆、色々と お話すると、うまく出来てるなぁ〜と、私が初めて見た時の感動を少なからず共有してくれるので とても楽しかった。それなりに人は来てくれたけど何しろ入り口がやたら奥で分かりにくく、もっと分かり やすいとこならもっと一杯見てもらえたのに!!とか、とにかく時間がなかったので、ああすれば、 こうすればと大変心残りも多かったのだが、めでたく学長賞を頂いたのだった。
ある秋の午後、実験動物慰霊祭が大学内の講堂で行われた。毎年やっているらしいが、今年からここに来た 3年生はもちろん初めて。事前に平服でいいから全員出席するようにとのお達しがあり、実験も中断された。講堂の前は白い布で覆われ、花で埋まった祭壇に果物が山と供えられており、中央の大きな白木の位牌の ような札に実験動物之霊と墨蹟鮮やかに書かれていた。つまり普通のお葬式と殆ど同じ。部屋のそこ ここには喪服姿の葬儀屋さん達が立ち働いていた。
手のあいた職員、学生は皆来るため、平服の私たち学生のほかにも、白衣の人、スーツの先方、大学院生 などで講堂はいっぱいになった。それにしても気持ちがこもっていれば平服でいいのは分かるけど、白衣 って作業着だから脱いだほうが礼にかなうんじゃ?と謎に思った。周りと式の始まりを待ちつつひそひそ。 「医者の白衣は正装って考え方もあるのでそれはそれでOKなんじゃない?」「でも人の葬式なら出ないよねぇ」 「よれよれの院生の白衣は?」「いちおうそれっぽい気持ちで臨むってことでは?」
「ところでお経あげるのかな?」「さ〜?やっぱり死んだカエルがなに信じてたかで決めるのが筋っすよね」 「・・別に何も信じてなかったんじゃない?」「まあ人の気が済むかだし」「ところで慰霊ってどの辺の 動物まで対象なんだろ。ハエも?」「消毒すれば菌とか死ぬけど、菌は除外?」「うーん、ぶっちゃけ 悪いやつを殺すのは正当防衛ってことで違うとか・・?」「食べるのも慰霊なんかしないよねぇ」 「まあそれも正当防衛系かな」「実験で使うのは、必要はあるけど悪くないのに殺されるからかなぁ 気分的には」「でも食べる分なんて必要分より贅沢分が多いじゃん実際。」
「菌はねぇ。慰霊ってぐらいだから魂があるやつ対象じゃない?」「魂があるなしってどこで決まる のよぉ〜」「脳があるかどうか!とか・・」「ハエも脳あるよぉ。あと、アメフラシとか ナマコなんかはどうする。脳らしい脳ないよ」「うーん・・・」
しょうもない様で結構考えてしまう素朴な雑談。
実際、読経などはなく、先生方の追悼のお話があった。学ぶために沢山の動物を犠牲にすること、それを よく自覚して機会を有意義に生かして学問に役立てるといった使命と義務のあることや、無駄な実験を なくすための努力をすることなど、が繰り返し話された。初めてで新鮮ってこともあるのだろうけど、 この式はいろんな意味で結構私には意味のあるものだった。
ある日BS日テレの製作をしている会社の人からこのHPを紹介したいけどいいですか?とのメールが入った。 番組紹介をHPで見てみると日替わりテーマでいろんなHPを紹介している番組。あ、どーぞ。と答えてから BS日テレなるものは家で見れないことに気が付いた。BSって1と2とWOWWOWしか知らなかったもので・・ 今は局もたくさんあるんですね。どうりで初めて聞く番組だと思ったら。と、ビデオの手配等しながら 楽しみに待った。しばらくすると電話出演もできないか?という連絡が入り、スケジュールをきいてみると、直前まで その時間に電話に出られるかどうか分からない日程だった。しかし当日その電話が入ったときはちょうど うまく20分ほど電話に出られる状況になっていて、無事「声の出演」というのをやった。「今から繋ぐので、 司会者が呼びかけたら答えてくださいねー。」という担当の人の言葉の後スタジオに切り替わり、スタジオ 内の音がずっと聞こえてきた。なるほど、よくテレビにある、「では、実は今○○さんと電話がつながって います。もしもしーこんにちわー」ってシーンはこんな風に収録するんだ。と面白かった。
出演者の名前などは事前にメールしてもらってたけど当日あまりよく覚えていなくて、司会のお兄さんは とても流暢なDJ風の声の人で、軽快に質問などをしていた、というのと、ゲストの整形外科の女医さんは 私は勝手にベテランどころの女性を想像していたのだが、どうも予想に反してやけに若い話し方だなぁと いうのが印象に残った。質問内容は、どうしてこういう道に進んだのか?とか、勉強は大変ですか?といった 分かりやすいもので、こちらも特別たいした答えはしなかったので、全然緊張もしなかった。
ビデオを送ってもらうまで見られないと思っていたら、当日(2001.9.19、21:30〜)つるがBSのデジタル 番組の作成などもやっている前の大学の知人達の会社にビール持参で乱入してダビングしてもらってた。 (でもみんな忙しく働いていたらしく一人で飲んでたらしい・・・)で、早速見て、はじめにまず驚いたのが、 あの流暢なしゃべりのお兄さんが外人さんだった(^^;)。そういえばクリス・ペプラーって書いて あったっけ。紹介されたのは、お薬110番みたいなところと、北海道の医師のページ、そして私の3つ。 思ったよりはるかに丁寧に時間を割いて取り上げてもらっていた。特にえにっ記。また、ゲストの西川 史子さんという整形外科医は、えっ!この人?と驚くぐらい女優さんのように華やかな若い人だった(年下だと思う)。
ゲストとの話の間中も、画面の半分になかなか的確にチョイスした色んなえにっ記を流しつづけてくれて、 製作会社の人は、よくえにっ記を見てくれたんだなーって感じで嬉しかった。ず〜っと前に描いた合格発表 の話の一こまの、電話をしている絵がちゃんとトリミングされて、番組内での電話中、画面隅に 「管理人のえにさん」というテロップと共に出ていたのが笑えた。
生前の意志によって献体し、解剖実習や研究に貢献した方々の慰霊式が築地本願寺で行われた。学生、 教職員、遺族のほかに、これから自分の体を提供しようという献体の会の会員席もあった。殆どが年配の方 だったが、自分自身の未来として見た目で、実際に献体された方の遺族や解剖した学生達を目の当たり にすると言うのはどんな気分なのだろう。献体の会の会報誌などにはそういった心情も載っているのかも しれないが、学生全部にそういうものを見る機会があればいいなと思った。(希望すれば会報誌はもらえるが、 そんなことをする人はごく少ないので)大学、献体の会の関係者による式辞があり、そのあと献体者全員の名が読み上げられた。それまでずっと 番号が付いているだけのご遺体の一つ一つの名前を聞くと、その人がこの世に確かにいて、それぞれの 人生があったんだなぁという実感がより鮮明になった気がした。その後本堂の扉が開かれて、このお寺は 浄土真宗なので、必ずしも個々の宗派と合うとは限らないのだが普通に読経、焼香が行われた。 ただし宗教上の理由で読経や焼香に参加しない人もいた。
亡くなってからかなり日がたっていることもあって、遺族の方の大半は静かに落ち着いた雰囲気で式に出席 していたが、中にはあらためて思い出されたのか涙している方もいた。焼香するために遺族席の横を通った 時、席について泣いていた女性が隣の人に話している声が聞こえた。「今まで息子達の前だしって、ずっと 気が張ってて全然涙も出なかったんだけど、今になってなんかほっとして気が抜けたら悲しくて・・」
遺族にしてみれば、献体に同意する際の心理は人それぞれだろう。故人の希望をかなえたと言う安堵感を 持つ人もあるだろうが、分かってはいても割り切れない人もいるだろう。その遺体をいわば「切り刻んだ」 学生の集団と対面するというのはかなり複雑なのではないだろうか。席についている間、焼香の列が 列席者の席の間を通っていく間、遺族が学生席の方に目を向けるたびに気になってしまった。じっと見渡す 人、チラッと目を向ける人もいたが、見る限りの印象では、そばを通る時でも、あまり学生の方に目を 向けない人が多かった。
ところで、私の両親の実家は浄土真宗の寺である。寺の跡取は大学を出た後、京都や東京の本山で勉強を することが多い。だから、この慰霊式で読経のためずらっと並んでいた僧侶のなかに一人ぐらい親戚や 知り合いがいてもおかしくないよなぁ・・と思っていたのだが、後日父親に聞いてみると、式の後お説教 のような話をした住職(に当たる役職)の人がまさに父親のよく知っている知り合いで、つい最近いとこの 結婚式で同席したばかりの人だった。世間は狭い。
生化学実習は大腸菌からDNAを抽出してどんなタイプかな、と調べてみる実習と、ある酵素(体の中で化学 変化を助けてくれているたんぱく質)が、どういう条件でよく働くかな、というのを調べる実習を1週間ずつ やった。いずれも実験操作や手法を体験して親しむという感じだったのであまり遅くなることはなく、時 間的には余裕があった。もっとも、大きい試験が控えていたりレポートがあったりで、トータルで やっぱり忙しかったのだが、早く帰れる感覚という珍しいものに、わーいクレープ食べにいこ〜!!とか、 デパートでお買い物しよーとか、はしゃいでしまう女学生達だった。 (もちろん男子学生の喜んでいたが放課後何をしていたのかはよく知らない)DNAの実験は、既製品のキットを使っているし、手順は確立されているしで学生はシンプルにそれをこなせば いいだけなのだが、ほんの一昔前には誰もできなかった技術なんだと思うとちょっと感慨深いものがあった。
また、薬理学の選択実習で鍛えられた数々のものが意外にもすぐにこの実習で大いに役立って、ちょっと お得な気分の4人(一緒に難治疾患研究所に行った班員)だった。
衛生学というと、なんとなく、予防接種とか、食中毒の防止とか、昔なら結核や寄生虫の撲滅・・?という 感じで、学生にも初めははっきりしたイメージがない。「衛生的」という言葉は近代になって国民の 生活の医学、科学的な向上を強く推進して先進国の仲間入りをしだした頃にすごく流行った言葉らしい。 そうそう、サザエさんを読んでいると新しもの好きなサザエさんや、カツオ君がやたら使うので私も気に なっていたのだ。衛生によくないよ。とかヒエイセイだよ!といった感じで今とやや言い回しが違う ものもある。授業は伝染病に関するものや様々な中毒、潜水病だとか、高圧、低圧症と言った珍しいものを含む様々な 職業病、ガンや、薬害、環境問題といった非常に広範なもので、ちょうど高校までの保健体育と現代社会を 混ぜてやや詳しくしたものという感じだった。ほかの授業とはまた違う視野がありとても面白かったし、 その時期の非常にハードな日程の中で、この授業はかなりみんなに安息をもたらしていた。(徐々に人数も減った)
授業ごとにがらりと内容が変わるだけでなく、全国の専門の先生が来て授業をしてくれるという場合が多く、 とても楽しみだった。中でも私が物心ついた頃には常にニュースを埋め尽くしていた公害の専門家が何人も 授業をしてくれたのがすごく印象に残った。私も常々感じていたし、気にもなっているのだが、あれから ほんの20年程で公害はあっという間に風化して、本で知る知識になっている。神通川流域はイタイイタイ病、 原因はカドミウム、四日市は喘息、原因は・・と板書していた先生は「こんなこと、覚えなくても日本中の 人が知ってたんですけどね。今の人には暗記項目なんですよね・・」と吐息混じりに言っていた。もちろん、 気にする必要がないぐらいにそれらが消えていったことは素晴らしいことなのだが、忘れる怖さを知ってい るだけに余計ジレンマを感じるのだろう。
遅れて文明国の仲間入りして、頑張って急速に発展したのに調子に乗ったら戦争でぼろぼろに負けて、 今度こそと平和に頑張って、科学も工業も発展して、経済も倍々に発展してレジャーなんかも発達して、 と希望でいっぱいだったところに、他ならぬその工業化で全国に恐ろしい被害が続出して、未来が突然 真っ暗になったような、そんな衝撃で当時世間はいっぱいだった。今「ブラック・ジャック」なんか 読み返してみると、頻繁に様々な(架空のものも含めた)公害病が出てくるのに気づく。 今はダイオキシンや環境ホルモンで今までにないひどい時代というニュアンスの報道は多いけど、 それでもあの頃の切迫感にべれば、のんきに感じる事も少なくない。講義をしている先生方もそれは 痛いほど分かっているようで、それが伝わらないもどかしさを抱えている感じがした。公害が専門の先生は いずれも年配のとても穏やかな語り口の先生ばかりだったのだが、患者さん達や、政府や企業との長い長い 葛藤からくる静かな迫力がにじみ出ていた。
全体実習では大気の測定や騒音の測定と体力測定をやった。大気測定はポンプの先に試薬の詰まった 細いガラス管をつけて酸素濃度、二酸化炭素濃度などといったそれぞれの組成を測り、騒音測定はマイクに 「○ホン」と音の大きさの出る機械のついたものをもってそれを見るだけという、とても簡単なものだった。 機材(といっても小さいものだけど)を持って、病院の待合室やエレベーターや正門の前の道路といった所 でうろうろしながら保健所職員ごっこをしているようで面白かった。
体力測定のデータは後で体力測定班が統計を取るのに使うものだったのだが、年齢や生活環境をある程度 そろえて統計を取るだろうから、年齢が外れてる私のデータなんかどうせ使わないだろうな〜と、きつい 踏み台昇降などは飛ばしてのんびりやった。残り時間は運動部の子達の動きにはキレが合って素晴らしい。 などと鑑賞に徹した。選択実習では、ガン化ウイルスを感染させた細胞のガン化の様子を観察するのと、自分の血液からDNAを抽出し、 アルコール分解酵素(のうちの主な2つ)のタイプを判定するという2つの課題をやる班に入った。皿の中で 培養した細胞にガン化ウイルスをかけると、数日で簡単に細胞のいくつかがガン化してすごくへんてこなひねくれた 形に変形して塊になって盛り上がるのが不気味だった。(ガンの原因は色々あるが、あるウイルスの感染に よって起こるガンもある)
遺伝子診断は院生の人に採血してもらうことから始まったが、その取った直後の血のあったかさに驚いた。 体温が37度近くあるんだから当然といえば当然なのだが、冷蔵庫の牛乳に慣れていたせいで搾りたての 牛乳が熱いのにびっくりした時と同じだなぁとふと思い出した。
DNAの抽出と検査は市販キットを使ったのだが、それでも不慣れな私達には毎日が新しいことの連続で、色々 珍妙なミスやアクシデントがあって私達は面白かったが指導している方は大変そうだった。生化学実習で やった大腸菌の実習と似てはいるのだが、なんと言っても他ならぬ自分達の遺伝子であり、「酒の強さ」と いう経験からくるデータとつき合わせて、誰が強いだのやっぱり弱いだのと盛り上がった。
実習の内容のほかにちょっとばかり落ち着かなかったのは、その指導に当たっていた研究室で以前妹が秘書を していたため、教授だけでなく技官さん、先生の一人、大学院生の一人が、こちらがむこうを知らないうち から、私のことを間接的にかなり知ってたって事だった。妹がお世話になりまして、いえいえこちらこそ〜 などとご挨拶しつつも、あ〜あの妹だから、なにやらかして迷惑かけたか、ドキドキ・・・(^_^;)という 感じだった。(妹は大丈夫よ、多分。と言っていたが。)妹が勤めていた当時は、私がそこに通うことになる なんて夢にも思っていなかったので、縁というのはいつどこでつながるか分からないもんだと思った。
実習後、選択班ごとに資料をまとめて発表会をやった。体力測定班は心身両面からのアンケートやテストに よる疲労度の考察などが大変興味深かった。もっとも疲労度が少なく意欲的なのは医学科女子との事だった。 変異原性テストというのをやった班では、身近な色んな物質(蛍光ペンのインクなど)がある培養細胞の遺伝子 に変異を引き起こす頻度の調査、水質調査班では大学の周りから都内各地の水質の検査と考察で、これまた フィールドワーク的に広範な調査をしていて面白かった。確か水質検査は一番楽だという評判で、楽をしたい といって人が殺到していた割りには、始まってみるとみんなえらく熱心にユニークな調査をしているのが 見てて面白かった。
3年生になってから生理学や神経科学、薬理学などにまたがって脳と神経のシステムについて色々な切り口で 学んだ。基礎的なところとはいっても、脳自身が恐ろしく複雑な上、まだ未知な部分が多く、ここ数年で 分かって来た事なども大量に入っており、やってもやってもきりがないと言う感じだった。でも、すっごく 面白かった。一般の人でも脳に興味があると言う人は多いし、テレビの番組なども脳について取り上げたも のは多い。この時期結構脳の特集番組などがあって、よく見たが、授業と平行させるとその見事なCGや解説 がすごく面白くて試験直前などにもじっくり見てしまった。記憶や認知、思考と言った部分も面白かったが、普段何気なくこなしている運動を制御するのに、どれだけ 精巧なシステムが出来上がっているかと言うのが、その機能が壊れたときに現れる様々な障害の例と共に 非常に興味深かった。ロボットにちょこっと簡単な動作をさせようとするだけで、自分がいかに普段複雑な ことをやっているかって言うことがよく分かる。
私がそれをはじめにすごく意識したのは、小学生の頃、自作ロボットに迷路を抜ける競争をさせるコンクール の様子をテレビで見たときだった。思えばそれがプログラムや、システムというものが面白いなぁと思った きっかけだし、実際コンピューターの仕事についたのだが、本当のところ突き詰めれば、生体がそんな すごいことをどんな風にやっているかっていうのが一番知りたいとこだったので、嬉しい科目だった。 (けど、とにかくややこしくて難しい・・いっぺんには覚えきれないし)
それと、この科目に限らず色んな大学や研究所から各方面の専門の講師がくるのだが、前からとても興味を もっていた「睡眠」の専門家が来てくれたのが嬉しかった。(前から色んな神経の先生に金縛りのシステム 等について質問してたので・・)
その他、運動障害の授業で数分だけ紹介された「レナードの朝」という脳障害の患者の話の映画の続きが 気になったのでレンタルビデオで見てみたら、かなり切ない話ではあったがすごくよかった。
薬理学はどちらかって言うと実用よりの科目で、とにかく薬の名前をいっぱい覚えなければならない科目だ、 という評判を聞いていたのだが、まだ臨床には入っていないせいか、薬が効く、ということや作用の メカニズムなどがとっても論理的だし面白かった。風邪薬や抗生剤、痛み止め等、普段の生活で素人が知って いるような薬がどんなもので、なぜ効くのか、投与の仕方(飲む、注射する、塗る、一度にたくさん or 何回かに分けてなど)で何がどう、なぜ変わるのか、あの副作用は何で起こるのか?麻薬でどうして色んな ものが見えたり、ハイテンションになるのか、そういう今までずっと疑問に思っていたことがどんどん 説明されているので(これまたまだ分かってないこともたくさんあるのだが)毎回目からうろこだった。 (うろこを落としながらも寝てることもあったが・・)
微生物学の最後に、班ごとにもらったテーマを調べて講義する学生発表があった。これは先生によると 今年から始めた試みらしいのだが、どの班も前日まで大騒ぎでいろいろまとめ、鮮やかな画像をたっぷりと 使い、とても面白く仕上がっていた。今回は全てパワーポイント(パソコンで作った画面を機械につないでスクリーンに映す、スライドのような もの。画面の作成が楽だし動画も使えてとっても便利。)による発表で、インターネットから探してきた 貴重な画像も多く、これは学生のレポート作りや資料作成の手法としてはここ数年の大きな変化と言える。 特にほぼ全員がパソコンを使い、全ての班がパワーポイントを使うようになったのは殆ど今年からといって もいい位なので、他ならぬ先生がすごく感心して喜んでいた。後で全部の班のファイルをCD-ROMに焼いて 先生他希望者に配った。
私達の班のテーマはちょっと毛色が違い、細菌でもウイルスでもなく、あの狂牛病の「プリオン」だった。 (異常な)プリオンって伝染し、増殖するものではあるけど、「生き物」ではない。ただのたんぱく質。 でも一応微生物で扱うとの事だった。大変ホットな話題なので面白かったが、いかんせんナゾも多く、 まとめている端からどんどん新しいニュースが入ってきて、狂牛病の国内1頭目が出た、と書いた途端に 2頭目が出たり、垂直感染(母親から胎児)はしないらしい、とまとめようとした途端に、新聞に でかでかと「垂直感染の疑い?!」の見出しが躍る、という感じで(結局垂直感染ではなくて子牛の 飼料の汚染らしかったが・・)、あたふたと直しを重ねる日々だった。
今回久し振りに試験前に風邪を引いた。それも、熱はないにもかかわらず2日ほど身動きできないほど 体がきつかったので、スケジュール的にはかなりピンチだったが、幸い直前ではなかったのでなんとかなった。 (→と思いきや、結局何とかならなくて、この直後の一科目は追試験を受ける羽目になった。) もともと特別丈夫というわけではないのだが、最近は風邪は気合で制することができると自信をもって いたので油断した。試験勉強が大変だから体調を崩した、ってわけではなくて「試験前だからこれぐらい 起きてても仕方ないわよね〜」と夜更かしして、しかし勉強はしないでマンガ読んでたり、「夜中まで 勉強するから多少はいいよね〜」とお菓子を不規則に食べたりして、しかも何故か絵を書いていたり、 とまあ要するに試験にかこつけて気がゆるんだせいだった。反省。回復してから心を入れ換えてちゃんと生活しつつ勉強した。おわりっこないぞ・・とクラスの誰もが思う 量の今回であったので私も同様で大変ではあったのだが、読めば読むほどすごいなぁ体さん。となんか 楽しくなってニコニコしてしまうのだった。(しかし余裕はない・・)
秋に大学祭の解剖展と自主学習のために解剖体を頂いた。結局大学祭の方に直接使うことはなかったのだが、 まだ自主的に解剖をしたい人のために年末まで開放された。やりたい、という希望のある人は結構いたものの、 次から次へと色々な試験や用事が続くのでなかなか来れる人はいない。私も夕方はできれば早く帰りたいし 、バタバタしてはいたのだが解剖もしたかったので何とか時間をひねり出すことにした。そこでほぼ毎日、昼休みになるとおにぎりを一個、ぱくりと2分ぐらいで食べて、残りの時間解剖室に通った。 着替えたりするので実質40分ぐらいしかなかったが、毎日やっていればそれなりにコツコツ進んだ。 なんといっても半年前に始めた頃よりはいくらかは知識が増えているのと、独り占めで実習の時にゆっくり 見れなかった場所などを好きなようにチェックできるのでやりがいがあった。大体いつも、広い実習室に たくさんの御遺体と(その時期は歯学部が実習をしていた)私一人、という状態だったが、時々用事で 通りかかった先生が声をかけてくれて、色々教えてもらえることもあって嬉しかった。
2学期末のテストが終わると、火葬まで一週間ほどしかなく、その間に数人が入れ替わり立ち代りやってきて 自主解剖を進めた。もう休みに入っているし、大体みんな午後に来るのだが、私だけは朝から昼までやって いた。冬休み前で早く小学校から帰ってくる娘に「お帰りなさい」を言うのも楽しみだったので。