廃藩置県および第1次府県統合にかかわる太政官布告
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凡例
- 引用文は「法令全書」による。
- 本文の字体は現行のもの(新字体)に改め,適宜,行頭の字下げに変更を加え,句読点等を補った。
- 茶字は,原文の読み下しまたは引用者による注を表す。仮名づかいは現代仮名遣いによった。ただし,漢字と“かな”の表記法に一貫性はない。
- 太政官布告による新府県の領域画定後,主に旧府県飛地の整理をしながら各府県管轄地域の交換を繰り返した結果,明治5(1872)年末までの間に実現した府県の領域には,ここに掲載した太政官布告による領域とは若干の異同がある。
- 整理・統合のある程度完成した明治5年末の各府県の領域については,こちら を参照せよ。
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O:大政奉還・王政復古
A:府県設置
1)府藩県の設置:政体書(抄)
閏四月二十一日
去冬 皇政維新纔ニ三職ヲ置キ続テハ八局ヲ設ケ事務ヲ分課スト雖モ兵馬倉卒之間事業未タ恢弘セス故ニ今般 御誓文ヲ以テ目的トシ政体職制相改候ハ徒ニ変更ヲ好ムニアラス従前未定之制度規律次第ニ相立候訳ニテ更ニ前後異趣ニ無之候間内外百官此旨ヲ奉体シ確定守持根拠スル所有テ疑惑スルナク各其職掌ヲ尽シ万民保全之道開成永続センヲ要スルナリ
慶応四年戊辰閏四月 太政官
去冬,皇政維新,わずかに三職を置き,続いては八局を設け事務を分課すといえども,兵馬倉卒の間,事業いまだ恢弘かいこうせず。故ゆえに今般,御誓文を以もって目的とし,政体職制,相改候あいあらためそうろうは,徒いたずらに変更を好むにあらず。従前未定の制度・規律,次第に相立候あいたちそうろう訳わけにて,更に前後異趣にこれ無き候間そうろうあいだ,内外百官,この旨を奉体し,確定守持根拠する所ありて,疑惑するなく各おのおのその職掌を尽し,万民保全の道,開成永続せんを要するなり。
政体
一 大ニ斯国是ヲ定メ制度規律ヲ建ツルハ 御誓文ヲ以テ目的トス
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決ス可シ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ルマテ各其志ヲ遂テ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基ク可シ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ 皇基ヲ振起ス可シ
右 御誓文ノ条件相行ハレ不悖ヲ以テ旨趣トセリ
大いにこの国是を定め,制度・規律を建つるは,御誓文を以って目的とす。
(御誓文 [=五箇条の誓文]略)
右,ご誓文の条件,相行あいおこなわれ,悖もとらざるを以って旨趣とせり。
一 天下ノ権力総テコレヲ太政官ニ帰ス則チ政令二途ニ出ルノ患無カラシム太政官ノ権力ヲ分ツテ立法行政司法ノ三権トス則チ偏重ノ患無カラシムルナリ
天下の権力,総すべてこれを太政官に帰す。すなわち,政令二途に出るの患,無からしむ。太政官の権力を分かって,立法・行政・司法の三権とす。すなわち,偏重の患,無からしむるなり。
一 立法官ハ行政官ヲ兼ヌルヲ得ス行政官ハ立法官ヲ兼ヌルヲ得ス但シ臨時都府巡察ト外国応接トノ如キ猶立法官得管之
立法官は行政官を兼ぬるを得ず。行政官は立法官を兼ぬるを得ず。但ただし,臨時都府巡察と外国応接との如ごとき,なお立法官,これを管するを得う。
(この間,5ヵ条分 略)
一 諸官四年ヲ以テ交代ス公選入札ノ法ヲ用フヘシ但今後初度交代ノ時其一部ノ半ヲ残シ二年ヲ延シテ交代ス断続宜シキヲ得セシムルナリ若其人衆望ノ所属アツテ難去者ハ猶数年ヲ延サヽルヲ得ス
諸官,4年を以って交代す。公選入札の法を用うべし。ただし,今後初度交代の時,その一分の半(分)を残し,2年を延ばして交代す。断絶よろしきを得せしむるなり。もし,その人望の所属あって去りがたき者は,なお数年を延ばさざるを得ず。
(この間,2ヵ条分 略)
一 官職
○議政官 (略)
○行政官 (略)
○神祇官 (略)
○会計官 (略)
○軍務官 (略)
○外国官 (略)
○刑法官 (略)
○府
知府事 一人
掌繁育人民富殖生産敦教化収租税督武役知賞刑兼監府兵
判県事 二人
○藩
諸侯
○県
知県事
掌繁育人民富殖生産敦教化収租税督武役知賞刑兼制郷兵
判県事
一 官等 (略:第一等官〜第九等)
一 諸法制別ニ戴ス
一 右諸官司此規律ヲ守リ以テ失フナカル可シ若改革セント欲スルノ条件アラハ大会議ヲ経テ之ヲ決ス可シ
右(の)諸官司,この規律を守り,以って失うなかるべし。もし改革せんと欲ほっするの条件あらば,大会議を経へてこれを決すべし。
慶応4(明治元)年閏4月21日 (太陽暦:1868年6月11日)
「法令全書」通番 明治元年太政官布告 第331
2)最初の府県
(京都府)
閏四月二十五日 長谷宰相
京都府知事被 仰付候事
*法令全書 注:京都裁判所ヲ改テ京都府ト為スノ令他ニ見ル所ナシ姑ク之ヲ存ス,以下五条之ニ傚フ
(「京都裁判所を改めて京都府となす」の令,他に見る所なし。姑しばらくこれを存す。以下五条,これに傚ならう。)
(大津県)
閏四月二十五日 辻将曹
大津知県事被 仰付候事
(笠松県)
閏四月二十五日 田中源助
徴士濃州笠松知県事被 仰付候事
(日田県)
閏四月二十五日 松方助左衛門
是迄之職務被免豊後日田知県事被 仰付候事
(富岡県)
閏四月二十五日 佐々木三四郎
肥後天草富岡知県事被 仰付候事
(富高県)
閏四月二十五日 木村得太郎
是迄之職務被免日向富高知県事被 仰付候事
慶応4(明治元)年閏4月25日 (太陽暦:1868年6月15日)
「法令全書」通番 明治元年太政官布告 第345〜350
※注1)1通目に「法令全書」が付した注のように,各府県を設置したことを明記する布告は見られない。したがって,「法令全書」では各府県知事の辞令をもって「府県の設置」としている。次の「大阪府」「江戸(東京)府」についても同様。
※注2)当時の習慣では,官職名としては知府事・知藩事・知県事であるが,各個別の任地に続けて呼ぶ場合には京都府知事のように呼んでいた。
であるならば,たとえば4通目,松方助左衛門(正義)への辞令は
「これまでの職務(を)免ぜられ,豊後日田に知県事仰おおせ付けられ候こと」
と読み下すべきか。ただし,武蔵知県事などのような表記も多く見られる。
3)大阪府・江戸(東京)府の設置
(大阪府)
五月二日 醍醐大納言
是迄職務被 免大阪府知事被 仰付候事
慶応4(明治元)年5月2日 (太陽暦:1868年6月21日)
「法令全書」通番 明治元年太政官布告 第365
(江戸府)
五月十二日 (各通)木村三郎 船越洋之助 河田佐久馬 土方大一郎 清田岱作
徴士江戸府判事被 仰付候事
慶応4(明治元)年5月12日 (太陽暦:1868年7月1日)
「法令全書」通番 明治元年太政官布告 第387
※注)「江戸府を設置する」旨の布告が見られず辞令で代えていることは上に同じ。ただし,府庁はまだ設けられず,また知府事の任命もない。下僚の判府事5名の辞令をもって「江戸府設置」としている。
4)府の呼称制限
七月十七日
今度御改正ニ付京都東京大坂三府之外諸府被廃総テ県ニ被 仰出候事
今度こたび御改正につき,京都・東京・大坂3府の外ほか,諸府総すべて廃せられ「県」に仰せ出され候こと。
明治2年7月17日 (太陽暦:1869年8月18日)
「法令全書」通番 明治2年太政官布告 第655
※注:この時点で存在していた府には,上記3府のほかに以下のものがある。
(日付は旧暦。ここでは,1868年について 9月7日まで を 慶応4年,9月8日以降 を 明治元年 とする。)
- 神奈川府: 慶4.6.17 設置 → 明2.9.21:神奈川県
- (越後府[第1次]:慶4.5.29 設置)→ 新潟府: 明元.9.21 改称 → 明2.7.27:水原県(越後府と統合)
- 越後府[第2次]: 明2.2.8 新潟府から分置 → 明2.7.27:水原県(新潟府と統合)
- 甲斐府: 明元.10.28 設置 → 明2.7.20:甲府県
- 度会府: 慶4.7.6 設置 → 明2.7.17:度会県
- 奈良府: 慶4.7.29 設置 → 明2.7.17:奈良県
また,この布告に先立ち,次の2府が改称・廃止されている。
- 箱館府: 慶4.閏4.24 設置 → 明2.7.8:開拓使
- 長崎府: 慶4.5.4 設置 → 明2.6.20:長崎県
B:江戸改称・東京遷都
1)江戸改称
七月十七日
詔書
朕今万機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東国第一ノ大鎮四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲ体セヨ
辰 七月
朕,今万機を親裁し億兆を綏撫すいぶす。江戸は東国第一の大鎮,四方輻湊ふくそうの地。宜よろしく親臨以もってその政を視みるべし。よって自今,江戸を称して「東京」とせん。これ,朕の海内かいだい一家,東西同視する所以ゆえんなり。衆庶,この意を体せよ。
副書
慶長年間幕府ヲ江戸ニ開キシヨリ府下日々繁栄ニ趣キ候ハ全ク天下之勢斯ニ帰シ貨財随テ聚リ候事ニ候然ルニ今度幕府ヲ被廃候ニ付テハ府下億万之人口頓ニ活計ニ苦ミ候者モ可有哉ト不便ニ被 思召候処近来世界各国通信之時勢ニ相成候テハ専ラ全国之力ヲ平均シ 皇国御保護之目途不被為立候テハ不相叶御国ニ付屡東西 御巡幸万民之疾苦ヲモ被為問度深キ 叡慮ヲ以テ 御詔文之旨被 仰出候孰レモ篤ト 御趣意ヲ奉戴シ徒ニ奢靡之風習ニ慣レ再ヒ前日之繁栄ニ立戻リ候ヲ希望シ一家一身之覚悟不致候テハ遂ニ活計ヲ失ヒ候事ニ付向後銘々相当之職業ヲ営ミ諸品精巧物産盛ニ成リ行キ自然永久之繁栄ヲ不失様格段之心懸可為肝要事
慶長年間,幕府を江戸に開きしより,府下日々繁栄に趣おもむきき候そうろうは全く天下の勢いこれに帰し,貨財随したがって聚あつまり候ことに候。しかるに今度,幕府を廃せられ候については府下億万の人口頓にわかに活計に苦しみ候そうろう者ものもあるべきやと思食おぼしめされ候ところ,近来世界各国通信の時勢に相成あいなり候そうらいては専もっぱら全国の力を平均し,皇国御保護の目途立たされざり候ては相叶あいかなわず,御国につきしばしば東西御巡幸,万民の疾苦をも問わせらるるたび,深き叡慮を以もって御詔文の旨,仰せ出だされ候。いずれも篤とくと御趣意を奉戴ほうたいし,徒いたずらに奢靡しゃびの風習に慣れ,再び前日の繁栄に立ち戻り候を希望し,一家一身の覚悟致いたさず候ては,遂ついに活計を失い候ことにつき,向後銘々相当の職業を営み,諸品精巧物産盛んに成り行き,自然永久の繁栄を失わざるよう,格段の心懸こころがけなすべきこと肝要の事。
慶応4(明治元)年7月17日 (太陽暦:1868年8月23日)
「法令全書」通番 明治元年太政官布告 第517
2)東京への(事実上の)政府移転
二月二十四日
東京 御滞輦中太政官被表へ御移に相成候ニ付キ諸願伺等来ル四月朔日ヨリ東京ヘ可差出就テハ諸藩公用人ヲモ可差出置旨被 仰出候事
東京御滞輦ごたいれん中(=天皇の東京滞在中),太政官表へお移りに相成あいなり候につき,諸願伺等,来る4月朔日(=1日)より東京へ差し出すべし。ついては,諸藩公用人をも差し出し置くべき旨,仰せ出だされ候こと。
明治2年2月24日 (太陽暦:1869年4月5日)
「法令全書」通番 明治2年太政官布告 第200
C:版籍奉還
D:廃藩置県
E:第1次府県統合
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2004.12.29
ISIDA Satosi