廃藩置県および第1次府県統合にかかわる太政官布告
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凡例
- 引用文は「法令全書」による。
- 本文の字体は現行のもの(新字体)に改め,適宜,行頭の字下げに変更を加え,句読点等を補った。
- 茶字は,原文の読み下しまたは引用者による注を表す。仮名づかいは現代仮名遣いによった。ただし,漢字と“かな”の表記法に一貫性はない。
- 太政官布告による新府県の領域画定後,主に旧府県飛地の整理をしながら各府県管轄地域の交換を繰り返した結果,明治5(1872)年末までの間に実現した府県の領域には,ここに掲載した太政官布告による領域とは若干の異同がある。
- 整理・統合のある程度完成した明治5年末の各府県の領域については,こちら を参照せよ。
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O:大政奉還・王政復古
A:府県設置
B:江戸改称・東京遷都
C:版籍奉還
六月十七日
版籍奉還願出候面々
今般版籍奉還之儀ニ付深ク時勢ヲ被為察広ク公議ヲ被為採政令帰一之 思食ヲ以テ言上之通被 聞食候事
版籍奉還(を)願出候そうろう面々(へ)
今般,版籍奉還の儀に付き深く時勢を察せられ,広く公議を採せられ,政令帰一の思食おぼしめしを以って言上ごんじょうの通り聞食きこしめされ候こと。
明治2年6月17日 (太陽暦:1869年7月25日)
「法令全書」通番 明治2年太政官布告 第543
六月十七日
版籍奉還不願出候面々
今般版籍奉還之儀列藩及建言候ニ付キ深ク時勢ヲ被為察広ク公議ヲ被為採政令帰一之 思食ヲ以テ言上之通被 聞食候依之於其藩モ封土版籍返上被 仰付候事
版籍奉還(を)願出候わざる面々(へ)
今般,版籍奉還の儀,列藩(が)建言及び候に付き,深く時勢を察せられ,広く公議を採せられ,政令帰一の思食おぼしめしを以って言上の通り聞食きこしめされ候。これにより,其藩しはん(=その藩)においても封土版籍返上(を)仰おおせ付けられ候こと。
明治2年6月17日 (太陽暦:1869年7月25日)
「法令全書」通番 明治2年太政官布告 第544
D:廃藩置県
七月十四日
詔書
朕惟フニ更始ノ時ニ際シ内以テ億兆ヲ保安シ外以テ万国ト対峙セント欲セハ宜ク名実相副ヒ政令一ニ帰セシムヘシ朕「さき」*1ニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ新ニ知藩事ヲ命シ各其職ヲ奉セシム然ルニ数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ朕深ク之ヲ慨ス仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ有名無実ノ弊ヲ除キ政令多岐ノ憂無ラシメントス汝群臣其レ朕カ意ヲ体セヨ
朕惟おもうに,更始の時に際し,内うち以って億兆を保安し,外そと以って万国と対峙たいじせんと欲ほっせばよろしく名実相副あいともない,政令一いつに帰せしむべし。朕,さきに版籍奉還の議を聴納ちょうのうし,新あらたに知藩事を命じ,各おのおのその職を奉ぜしむ。然しかるに,数百年因習の久しき,あるいはその名ありてその実じつ挙あがらざる者あり。何を以って億兆を保安し,万国と対峙するを得んや。朕,深くこれを慨す。よって今,更に藩を廃し県となす。これ務つとめて冗じょうを去り簡に就き有名無実の弊を除き,政令多岐の憂うれいなからしめんとす。汝なんじ臣民,それ朕が意を体せよ。
明治4年7月14日 (太陽暦:1871年8月29日)
「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第350
*1:「さき」=「日かんむり」+「襄」
「法令全書」注: [此日在京知藩事ヲ召 御前ニ於テ免官ノ御達アリ翌十五日在藩ノ知事名代トシテ在京ノ参事ヲ召同様御達アリ]
七月十四日
鹿児島 山口 佐賀 高知 四藩知事ヘ
勅語
汝等「さき」*1ニ大義ノ不明ヲ慨キ名分ノ不正ヲ憂ヘ首ニ版籍奉還ノ議ヲ建ツ朕深ク之ヲ嘉ミシ新ニ知事ノ職ヲ命シ各其事ニ従ハシム今ヤ更始ノ時ニ際シ益々以テ大義ヲ明ニシ名分ヲ正シ内以テ億兆ヲ保安シ外以テ万国ト対峙セントス因テ今藩ヲ廃シ県ト為シ務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ有名無実ノ弊ヲ除キ更ニ綱紀ヲ張リ政令ヲ一ニ帰シ天下ヲシテ其向フ所ヲ知ラシム汝等其レ能朕カ意ヲ体シ翼賛スル所アレ
汝等なんじら,さきに大義の不明を慨なげき,名分の不正を憂え,首はじめに版籍奉還の議を建つ。朕,深くこれを嘉よみし,新たに知事の職を命じ,各おのおのその事に従わしむ。今や更始の時に際し,益々ますます以って大義を明にし名分を正し,内以って億兆を保安し,外以って万国と対峙せんとす。因よって今,藩を廃し県となし,務つとめて冗を去り簡に就き有名無実の弊を除き,更に綱紀を張り政令を一に帰し,天下をしてその向かう所を知らしむ。汝等,それ朕が意を体し,翼賛する所あれ。
明治4年7月14日 (太陽暦:1871年8月29日)
「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第351
*1:「さき」=「日かんむり」+「襄」
七月十四日
熊本 名古屋 徳島 鳥取 四藩知事ヘ
勅語
朕惟フニ方今内外多事ノ秋ニ際シ断然其措置ヲ得天下億兆ヲシテ其方向ヲ定メシムルニ非レハ安ソ能ク宇内各国ト並立シテ以テ我国威ヲ皇張センヤ是朕カ宵[かん]*1肝憂慮スル所ナリ「さき」*2ニ汝等カ建議スル所互ニ異同アリト雖モ之ヲ要スルニ深ク従前ノ弊害ヲ鑑シ遠ク将来ノ猷謀ヲ画ス是汝等カ衷誠ノ所致朕之ヲ嘉ミシ将ニ施設スル所アラントス汝等更ニ能ク朕カ意ヲ体シ各其所見ヲ竭セヨ
朕惟おもうに,方今内外多事の秋ときに際し,断然その措置を得,天下億兆をしてその方向を定めしむるに非あらざれば,安いずくんぞ能よく宇内うだい各国と並立して,以って我が国威を皇張せんや。これ,朕が宵「かん」しょうかん憂慮するところなり。さきに汝等が建議する所,互いに異同ありといえどもこれを要するに,深く従前の弊害を鑑し遠く将来の猷謀ゆうぼうを画す。これ汝等が衷誠ちゅうせいの致す所,朕これを嘉よみし,将まさに施設する所あらんとす。汝等,更に能よく朕が意を体し,各その所見を竭けっせよ。
明治4年7月14日 (太陽暦:1871年8月29日)
「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第352
*1:「かん」=「日へん」+「干」
*2:「さき」=「日かんむり」+「襄」
七月十四日(布告)
藩ヲ廃シ県ヲ被置候事
藩を廃し,県を置かれ候こと。
明治4年7月14日 (太陽暦:1871年8月29日)
「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第353
七月十四日
今般藩ヲ廃シ県ヲ被置候ニ付テハ追テ 御沙汰候迄大参事以下是迄通事務取扱可致事
今般,藩を廃し県を置かれ候については,追って御沙汰まで大参事以下これまで通り事務取り扱い致すべきこと。
明治4年7月14日 (太陽暦:1871年8月29日)
「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第354
E:第1次府県統合
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2004.12.29
ISIDA Satosi