2005.01.25
誤字等No.128
Google検索結果 2005/01/25 濡れ手に泡:9,820件
今回は、かなり有名な誤字のひとつ、「濡れ手に泡」を取り上げます。
正しい表記は、「濡れ手に粟」。
いえ、間違えました。正確には、「濡れ手で粟」です。
このような助詞の違いも結構多いですが、この程度なら許容範囲とも言えます。
さて、この「濡れ手に泡」。
単純に考えると、「泡」と「粟」の「誤変換」に見えます。
しかし実際には、「粟」であることなど思いもつかず、「泡」で正しいと思い込んでしまっている人がいます。
このような人は、同音異義語である「粟」と「泡」を「取り違えて」いると見ることができます。
従って、ここ誤字等の館では「濡れ手に泡」を「取違科」に分類します。
「濡れ手で粟」は、「苦労せずに利益を得ること」の例えとして使われます。
濡れた手で粟をつかめば手に粟粒がたくさんついてくる様子からの連想ですね。
特に力を入れなくても粟粒の方から勝手にくっついてくれるわけですから、楽なものです。
楽をして稼ぎたいと願っている人たちにとっては、この上なく魅力ある言葉ですね。
なぜ、「米」や「麦」ではなく「粟」なのでしょうか。
粟の実は非常に小さいので、他の穀物に比べて濡れた手に「くっつきやすい」ことが理由かもしれません。
この「粟」という穀物、現代の日本で「常食」している人は、なかなかいないでしょう。
「健康食品」扱いでスーパーの隅に置かれているか、あるいは「小鳥の餌」として売られている程度でしょうか。
「見たことさえない」という人がいても不思議ではないのが現状です。
決して、「身近なもの」とは言えません。
「聞く」ことで言葉を覚える人が、「ぬれてにあわ」と聞いて「泡」だと思い込むのも無理はありません。
「粟」と「泡」を単体で発音する場合、少なくとも標準語では両者のイントネーションは異なります。
これが「濡れ手で粟」のような成句となると、イントネーションの区別がはっきりしなくなることがあります。
漢字表記が「粟」であることを知っている人でも、無意識のうちに「泡」の発音になっている人もいることでしょう。
その発音を聞いた人が、「泡」と聞き取るのは、むしろ自然な流れとなります。
さらに、「濡れ手に泡」は慣用句としての解釈も可能です。
「泡」だって、濡れた手に勝手にくっついてきます。
「泡」をつかむなら、乾いた手よりも濡れた手の方が簡単でしょう。
そう考えて、「濡れ手に泡」が本物の実在する慣用句であると信じ込んでいる人もいるものと思われます。
見方によっては、現代人に馴染みが薄くなった「粟」を、誰でもイメージしやすい「泡」に変えた「新世代の慣用句」とも言えます。
この誤字が広く普及し、言葉の「進化」と呼べる段階にまで達する可能性も、十分あります。
ひらがなにすれば表記は同じ、その意味するところもほぼ同じ。
でも、使われている「例え」は全然別のものに置き換わっている。
「進化」だとすれば、なかなか絶妙です。
立場としては、「一瞬先は闇」に近いものがありそうですね。
ただし、現時点ではまだ「間違い」の領域にあるはずです。
この言葉を意図的に使うなら、その場面は慎重に選んだ方が良いでしょう。
ところで。
冒頭にも書きましたが、「濡れ手に」と「濡れ手で」という「助詞の違い」が存在することも、この言葉の特徴です。
正確な慣用句としては「で」なのですが、どちらかと言えば「に」の方が好かれている印象です。
実際に、どの程度使われているのか調べてみましょう。
濡れ手で粟:7,700件
濡れ手に粟:4,580件
濡れ手で泡:1,430件
濡れ手に泡:9,820件
「正解」が少数派という事態にまではなっていないようですね。
しかしよく見ると、誤字側の「泡」では「に」が圧倒的多数です。
これは、いったいなぜでしょうか。
「粟」と「泡」の違いは、上述のように「身近さ」の違いに由来するとして。
「で」と「に」の違いは、どこにあるでしょうか。
おそらく、「手で粟をつかむ」という能動的な動作よりも、「手に粟がくっついてくる」という受動的な結果を意識してのことではないかと推察されます。
現代人にとって、この言葉の先にある願望は「楽に利益を得る」といった段階にとどまるものではありません。
そこにあるのは、「何もせずに利益を得る」という、究極の怠け者根性です。
何らかの活動によって手に入れるのではなく、財産が勝手に飛び込んできてくれる。
これほど理想的なことありません。
そういった感覚には、能動的な「で」よりも受動的な「に」の方がぴったりくるのかもしれません。
ある意味、これもまた「言葉の進化」と呼べるのでしょうか。
あるいは、両手の上に泡を山盛りにしたシーンを想像しての「に」とも考えられます。
金貨や宝石などの「財宝」を抱えている「丸儲け」のイメージが喚起されているとしたら、「で」よりも「に」になるのでしょう。
無論、「泡」そのものにはそれほどの価値はありません。
しかし「泡」は、中身は空でも大きく膨らむものとしての象徴でもあります。
ある意味、かつての「バブル景気」を思い起こさせる言葉であり、「あぶく銭」という言葉との関連も見逃せません。
まさに「あぶく銭」を手に入れることこそが、「濡れ手で粟」の実態ですから。
これもまた、「濡れ手に泡」の表記が使われる要因のひとつとなりそうです。
いずれにしても。
みんなが「濡れ手に泡」を夢見るだけの夢想家になってしまうような時代は、歓迎したくありませんね。
人の財産を狙う「詐欺師」たちにとって、これほど住み心地の良い世界もないでしょうから…
世の中、そんなに甘くはないものです。
「濡れ手に泡」ばかりを追っていると、いつのまにか、自分がもともと持っていたものまでも泡と消えてしまうことになりかねません。
日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。
ぬれ手に泡:30件
濡れてに泡:24件
ぬれてに泡:4件
濡れ手の泡:26件
濡れ手が泡:4件
濡れ手で栗:262件
濡れ手に栗:302件
※ 2005/02/20
このページに、「〜はは」と文字が二重に重なる誤記がある、というご指摘を頂きました。
ありがとうございます。早速、訂正しました。
「にに」と同じミスを、自ら実践した形となってしまいましたね。
誤字を扱うページで、こんなミスはいけません。
なかなか「完璧」とはいきませんが、できるだけ気をつけます。
誤字の原因は、おそらく「第二の仮説」の方です。
該当の文章、何度か書き直しをした覚えがありますから…