2004.05.22

誤字等No.074

【トリヴュート】(外誤科)

Google検索結果 2004/05/22 トリヴュート:252件

音楽CDのジャンルのひとつに、「トリビュート盤」と呼ばれるものがあります。
ある特定のアーティストを尊敬する者たちが集まり、敬意を表するものとして完成させたアルバム、といった場合に使われる言葉です。
この「敬意の表明」があるかどうかが、単なる「オムニバス」や「カバー」との違いとなります。

英語の「tribute」は、「貢ぎ物」「捧げ物」あるいは「賛辞」といった意味を持ちます。
まさに、対象となるアーティストに捧げられた賛辞が「トリビュート盤」となるわけです。

ここで、過去の誤字等の館から「ウェヴ」や「デヴュー」の回を読んだことのある方なら、想像がつくことでしょう。
そう、「tribute」を「トリヴュート」と表記してしまう人が、きっといるはず。
そして検索結果は、予想通りのものとなりました。

英語以外の外国語ではどうか分かりませんが、少なくとも英語では「」を使う必要は全くありません。
それを知らずに、「トリヴュート」の方が「カッコいい」と思い込んでしまった人たちなのでしょう、きっと。
しかし、ただそれだけでしょうか。

検索結果として表示されたページの中には、「tribute」と「トリヴュート」が一緒に載っているページもあります。
それを見ていて、私は気付きました。
ほぼ間違いなく、彼らの中には「」という表記が「v」の音を表すことを知らない人がいます。
」と「」の発音が違うということも理解していないのかもしれません。
バ行」の別の書き方として「ヴァ行」が存在する、という程度の認識しか持ち合わせていないとしたら。
であれば、「ビュ」と「ヴュ」は表記上のバリエーションという以上の意味を持ちません。
トリビュート」と「トリヴュート」のどちらが書かれていても、読むときにはどちらも「トリビュート」と発音することになります。
だからこそ、「tribute」という正しい綴りを知っているにもかかわらず、それを「トリヴュート」と表記して何の違和感も覚えないのでしょう。

そう考えれば、「ウェヴ」や「デヴュー」にも納得がいきます。
そのような認識の持ち主であれば、原語の綴りが「b」であると聞かされても、「だから何?」としか感じられません。
それでは、自分の間違いに気付くこともできませんし、間違いを正すこともできません。
」を考案したと言われる福沢諭吉も、どこかできっと嘆いています。

もともと、日本人は「v」音と「b」音を聞き分けることが苦手です。
本来の日本語に「v」音は存在しないのですから、あたりまえです。恥じることではありません。
それを自覚しているのであれば、「v」音であるという確信がない限り、素直に「バ行」を使っておいた方が無難です。
でも、自分に「英語力」があると過信してしまったりすると、そうもいかないのかもしれませんね。

以前ご紹介した「フューチャリング」も、音楽関係でよく使われる用語でした。
ディスクトップ」などのパソコン用語に並び、音楽用語もまた誤字等の宝庫のようです。

音楽を熱く語る人の中には、異様なほど「カタカナ語」を多用する人が珍しくありません。
「作詞家」と呼ばれる人の中にも、そのような人はたくさんいます。
彼らは一見、外国語が大好きであるように見えますが、実際には外国語に対してまるっきり敬意を払っていないケースが目立ちます。
デタラメな発音も滅茶苦茶な文法もおかまいなし。
ただ文字としての見た目が、あるいは言葉の響きが良ければそれで良し。
そんな風潮が蔓延しています。

確かに、「アーティスト」を名乗るものにとっては、そういった感覚が重要なのでしょう。
堅苦しい文法といった「既成の型」を破る思考法も必須なのかもしれません。
細かいことにこだわらず、自由な発想をした方が良い作品を生み出すのかもしれません。
しかし、「本当の知識」を持っていてそこから逸脱するのと、何が本当かを知ろうともしないで暴走するのとでは、雲泥の差があります。
トリヴュート」は、どう見ても後者。
カッコつけた文章中に登場などしようものなら、はっきり言って「みっともない」です。
型を破るのは、せめて「教養」くらい身に付けてからにした方が良いと思いませんか?

[実例]

日本人とは、かくも「外国語の発音」に弱いのでしょうか。
このような「外国語の発音」が原因と思われる誤字等の品種を、「外誤科(がいごか)」と命名しました。

[亜種]

trivute:13件
トレヴュート:7件
トリヴート:1件
トリビュード:30件

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