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1889(明治22)年2月11日の大日本帝国憲法発布により立憲政体が整備されていく中で,立法機能を担う機関の1つとして帝国議会が設置され(天皇には行政官庁の設置・改廃や官吏の任免,軍の統帥などの大権に属することがらについて,議会を経ずに勅令を発することができた。また,一般の法律に関しても最終的にそれを裁可するのは天皇であり,結局立法権は天皇に属した),議会を構成する両院の1つとして衆議院が置かれました。
社会の上層部の人々の代表によって構成された貴族院に対して,衆議院は字の通り一般の民衆の代表によって構成されるものであり,そのための最初の選挙が1890(明治22)年7月1日に実施され,そこで選出された議員による第1議会がその年の11月に開かれました。
以来,大日本帝国憲法(明治憲法)下での天皇の立法権に対する協賛機関としての帝国議会から,日本国憲法下での唯一の立法機関で国権の最高機関としての国会へ,議会自身の位置づけが大きく変わる時期をはさみながら衆議院は存続し,100年以上にわたって40数回の総選挙が繰り返されてきたわけです。
この間,衆議院議員の選挙制度には数度にわたって大きな変更がありました。
はじめのうち,選挙権は一定の財産をもつ男子にのみ与えられる制限選挙とされていました。その上で,最初の選挙は小選挙区制で行われていました。
1900(明治33)年に財産資格の制限が緩和されて選挙権が拡大されました。それと同時に,選挙制度も小選挙区制に変えて府県単位の大選挙区制(ただし市の区域は府県から独立した選挙区とされた)となりました。
大正年間に入りデモクラシー(民主主義)の思想が広まると,それまでの制限選挙に代えて国民一般にひとしく選挙権を与える普通選挙を要求する動きが強まりました。そうした中で,1919(大正8)年にとりあえず2度目の選挙権の拡大が行われ,それとともに再び小選挙区制が採用されました。
普通選挙制度を要求する政党勢力がこの小選挙区・制限選挙による総選挙に勝利して普通選挙がようやく実現したのは,1925(大正14)年のことでした。ただし,このとき選挙権を与えられたのは男子のみであり,よく指摘されるように治安維持法という弾圧法律とセットとなるものでした。ともかく,このときに“日本独自の”としばしば形容されてきた中選挙区制が採用されました。
その後,ごく短期間(わずか10年足らず)の政党政治のあと,5・15事件(1932:昭和7年)と2・26事件(1936:昭和11年)とが契機になって急速に政党勢力は後退します。1940(昭和15)年には,弾圧によって壊滅状態にあった共産党を除く全政党が解党して大政翼賛会に合流,翼賛体制が成立しました。そして,日米開戦。その結果が1945(昭和20)年の敗戦だったわけです。
戦後の民主化によって,共産党も含む各政党が復活。占領軍の指示によって衆議院の解散・総選挙(当時の議員は戦時中の1942:昭和17年の翼賛選挙で選出された議員で,当然に軍部の支持により推薦された議員が多数を占めていた)が行われることになり,それに先立って1945(昭和20)年末に選挙制度が変更されました。要点は2つ。1つは,この改正により女子にも選挙権が与えられ,同時に選挙権を得られる年齢が20歳に引き下げられたこと。もう1つは,中選挙区制にかえて大選挙区制・制限連記制が採用されたことです。
この選挙は,公職追放令による立候補予定者の資格審査の後,翌46(昭和21)年4月に行われ,共産党の議席獲得をはじめとする議員構成の大幅な変動が起こりました。
しかし,この選挙制度は政党には批判が多く,新憲法(日本国憲法)体制への移行のための総選挙が1947(昭和22)年4月に行われるのを前に再度改正され,もとの中選挙区制に戻されました。
1950(昭和25)年,それまで衆議院,参議院,地方議会・首長と,それぞれ別個に定められていた選挙法が一本化され,公職選挙法が制定・施行されました。制度そのものは,それぞれそれまでのものがそのまま継承されたので,衆議院議員の選挙は中選挙区制とされ,この制度の下で1955(昭和30)年の保守合同(自民党発足),両社(社会党)統一以後,両党を中心とする55年体制あるいは1ヵ2分の1大政党制とよばれる政治が展開していきました。
大きな転換点は1993年にやってきました。直接には自民党の金権体質への批判が高まり,それをきっかけとする党内抗争と分裂の結果,この年の総選挙で自民党の一党支配体制が崩壊し,結党以来はじめて野党に転落,非自民・非共産の8党派による本格的な連立政権が45年ぶりに発足しました。そして,政治改革への国民の強い要求を背景に選挙制度の大幅変更が検討され,その結果1994年の2段階にわたる公職選挙法改正を経て導入されたのが,現行の小選挙区・比例代表並立制というわけです。
そこで,これまでの衆議院議員選挙の選挙制度と定数の変遷の概略を下の表にまとめてみました。
選挙法令 | 公布日 (公布時内閣) |
選挙制度 | 議員定数 | 総選挙 | 内閣 | |
---|---|---|---|---|---|---|
前期解散時 | 選挙後 | |||||
1889(明治22)年 衆議院議員選挙法 |
1889(明22) 2.11 (黒田清隆) |
小選挙区制 1人区:214区 2人区:43区 単記・記名投票 (2人区は連記) |
300 | 1889(明22)2.11 憲法発布 第1回:1890(明23) 7. 1 |
第1次山県有朋 | |
1891(明24)12.25 解散 第2回:1892(明25) 2.15 |
第1次松方正義 | |||||
1893(明26)12.30 解散 第3回:1894(明27) 3. 1 |
第2次伊藤博文 | |||||
1894(明28) 6. 2 解散 第4回:1894(明27) 9. 1 |
第2次伊藤博文 | |||||
1897(明30)12.25 解散 第5回:1898(明31) 3.15 |
第2次松方正義 | 第3次伊藤博文 | ||||
1898(明31) 6.10 解散 第6回:1898(明31) 8.10 |
第3次伊藤博文 | 第1次大隈重信 | ||||
1900(明治33)年 改正衆議院議員選挙法 |
1900(明33) 3.28 (第2次山県有朋) |
大選挙区制 | 369 |   |   | |
1902(明治35)年 同法部分改正 |
1902(明35) 4. 4 (第1次桂太郎) 北海道(札幌区・小樽区・函館区を除く),沖縄県には未施行 |
大選挙区制 各府県:2〜12人 市 部:1〜11人 離 島:1人 (1人区:57区) 単記・秘密投票 |
381 (376) |
任期満了 第7回:1902(明35) 8.10 |
第1次桂太郎 | |
1902(明35)12.28 解散 第8回:1903(明36) 3. 1 |
第1次桂太郎 | |||||
1903(明治36)年 勅令105号 |
1903(明36) 6.29 (第1次桂太郎) 北海道に選挙法施行 |
(379) | 1903(明36)12.11 解散 第9回:1904(明37) 3. 1 |
第1次桂太郎 | ||
任期満了 第10回:1908(明41) 5.15 |
第1次西園寺公望 | |||||
1912(明治45)年 勅令58号 |
1912(明45) 3.29 (第2次西園寺公望) 沖縄県に選挙法施行 |
(381) | 任期満了 第11回:1912(明45) 5.15 |
第2次西園寺公望 | ||
1914(大3)12.25解散 第12回:1915(大4) 3.25 |
第2次大隈重信 | |||||
1917(大6) 1.25 解散 第13回:1917(大8) 4.20 |
寺内正毅 | |||||
1919(大正8)年 同法部分改正 |
1919(大8) 3.26 (原敬) |
小選挙区制 1人区:295区 2人区:68区 3人区:11区 単記・秘密投票 |
464 | 1920(大9) 2.26 解散 第14回:1920(大9) 5.10 |
原敬 | |
1924(大13) 1.31 解散 第15回:1924(大13) 5.10 |
清浦奎吾 | 第1次加藤高明 | ||||
1925(大正14)年 改正衆議院議員選挙法(普通選挙法) |
1925(大14) 5. 5 (第1次加藤高明) |
中選挙区制 3人区:53区 4人区:38区 5人区:31区 単記・秘密投票 |
466 | 1928(昭3) 1.21 解散 第16回:1928(昭3) 2.20 |
田中義一 | |
1930(昭5). 1.21 解散 第17回:1930(昭5) 2.20 |
浜口雄幸 | |||||
1932(昭7). 1.21 解散 第18回:1932(昭7) 2.20 |
犬養毅 | |||||
1936(昭11). 1.21 解散 第19回:1936(昭11) 2.20 |
岡田啓介 | |||||
1937(昭12) 3.31 解散 第20回:1937(昭12) 4.30 |
林銑十郎 食い逃げ解散 |
第1次近衛文麿 | ||||
任期1年延長後満了 第21回:1942(昭17) 4.30 (翼賛選挙) |
東条英機 | |||||
1945(昭和20)年 同法部分改正 |
1945(昭20) 4. 1 (小磯国昭) 樺太・朝鮮・台湾に施行 実際の選挙は執行されず |
中選挙区制 〈樺太〉全域1区:3人区 〈朝鮮〉3人区:1区 2人区:7区 1人区:5区 〈台湾〉1人区:5区 | 496 | |||
1945(昭和20)年 同法部分改正 |
1945(昭20)12.17 (幣原喜重郎) 沖縄県に施行せず |
大選挙区制 2〜14人区 制限連記 秘密投票 | 468 (466) |
1945(昭20)12.18 解散 第22回:1946(昭21) 4.10 |
幣原喜重郎 終戦解散 (GHQ解散) |
第1次吉田茂 |
1947(昭和22)年 同法部分改正 (新憲法体制下) |
1947(昭22) 3.17 (第1次吉田茂) |
中選挙区制 3人区:40区 4人区:39区 5人区:38区 単記・秘密投票 |
466 | 1947(昭22) 3.31 解散 第23回:1947(昭22) 4.25 |
第1次吉田茂 新憲法解散 |
片山哲 |
1948(昭23)12.28 解散 第24回:1949(昭24) 1.23 |
第2次吉田茂 なれ合い解散 |
第3次吉田茂 | ||||
1950(昭和25)年 公職選挙法 |
1950(昭25) 4.15 (第3次吉田茂) |
中選挙区制 同上 |
1952(昭27) 8.28 解散 第25回:1952(昭27)10. 1 |
第3次吉田茂 抜き打ち解散 |
第4次吉田茂 | |
1953(昭28) 3.14 解散 第26回:1953(昭28) 4.19 |
第4次吉田茂 バカヤロー解散 |
第5次吉田茂 | ||||
1953(昭和28)年 奄美復帰法 |
1953(昭28)11.16 (第5次吉田茂) |
奄美群島区:1人区 | 467 | 1955(昭30) 1.24 解散 第27回:1955(昭30) 2.27 |
第1次鳩山一郎 天の声解散 |
第2次鳩山一郎 |
1956(昭和31)年 公職選挙法改正案 審議未了 廃案 |
1956(昭31) 3.19 内閣提出法案 (第3次鳩山一郎) |
小選挙区制 1人区:457区 2人区:20区 |
(497) | 1956(昭31) 第24回通常国会 3.19 法案提出 5.16 衆議院:修正可決 6. 3 参議院:審議未了 |
||
1958(昭33) 4.25 解散 第28回:1958(昭33) 5.22 |
第1次岸信介 話し合い解散 |
第2次岸信介 | ||||
1960(昭35)12.24 解散 第29回:1960(昭35)11.20 |
第1次池田勇人 安保解散 |
第2次池田勇人 | ||||
1963(昭38)10.23 解散 第30回:1963(昭38)11.21 |
第2次池田勇人 所得倍増解散 (ムード解散) |
第3次池田勇人 | ||||
1964(昭和39)年 公選法部分改正 |
1964(昭39) 7. 2 (第3次池田勇人) |
1人区:1区 3人区:43区 4人区:39区 5人区:40区19議席増 |
486 | 1966(昭41)12.27 解散 第31回:1967(昭42) 1.29 |
第1次佐藤栄作 黒い霧解散 |
第2次佐藤栄作 |
1969(昭44)12. 2 解散 第32回:1969(昭44)12.27 |
第2次佐藤栄作 沖縄解散 |
第3次佐藤栄作 | ||||
1970(昭和45)年 沖縄住民の国政参加特別措置法 |
1970(昭45) 5. 7 (第3次佐藤栄作) |
沖縄全県区:5人区 (議席復活) |
491 | 沖縄国政参加選挙: 1970(昭45)11.15 |
第3次佐藤栄作 | |
1971(昭和46)年 沖縄復帰法 |
1971(昭46)12.31 (第3次佐藤栄作) |
同上 | 1972(昭47)11.13 解散 第33回:1972(昭47)12.10 |
第1次田中角栄 日中解散 |
第2次田中角栄 | |
1975(昭和50)年 公選法部分改正 |
1975(昭50) 7.15 (三木武夫) |
1人区:1区 3人区:47区 4人区:41区 5人区:41区20議席増 |
511 | 任期満了 第34回:1976(昭51)12. 5 |
三木武夫 ロッキード選挙 |
福田赳夫 |
1979(昭54) 9. 7 解散 第35回:1979(昭54)10. 7 |
第1次大平正芳 増税解散 (一般消費税解散) |
第2次大平正芳 | ||||
1980(昭55) 5.19 解散 第36回:1980(昭55) 6.22 (衆参同日選挙) |
第2次大平正芳 ハプニング解散 |
鈴木善幸 | ||||
1983(昭58)11.28 解散 第37回:1983(昭58)12.18 |
第1次中曽根康弘 田中判決解散 |
第2次中曽根康弘 | ||||
1986(昭和61)年 公選法部分改正 |
1986(昭61) 5.23 (第2次中曽根康弘) |
1人区:1区 2人区:4区 3人区:42区 4人区:39区 5人区:43区 6人区:1区8増7減 |
512 | 1986(昭61) 6. 2 解散 第38回:1986(昭61) 7. 6 (衆参同日選挙) |
第2次中曽根康弘 死んだふり解散 |
第3次中曽根康弘 |
1990(平2)1.24 解散 第39回:1990(平2) 2.18 |
第1次海部俊樹 消費税解散 |
第2次海部俊樹 | ||||
1991(平成3)年 公職選挙法改正案 審議未了 廃案 |
1991(平3) 8. 5 内閣提出法案 (第2次海部俊樹) |
小選挙区・ 比例代表並立制 <小選挙区> 1人区:300区 <比例代表> 47区(各都道府県): 171議席 |
(471) | 1991(平3) 第121回臨時国会 8. 5 法案提出 10. 4 衆議院:審議未了 |
||
1992(平成4)年 公選法部分改正 |
1992(平4)12.16 (宮沢喜一) |
2人区:8区 3人区:39区 4人区:34区 5人区:46区 6人区:2区9増10減 |
511 | 1993(平5) 6.18 解散 第40回:1993(平5) 7.18 |
宮沢喜一 政治改革解散 |
細川護煕 |
1994(平成6)年 公選法部分改正 |
1994(平6) 2. 4 (細川護煕) |
小選挙区・ 比例代表並立制 <小選挙区> 1人区:300区 <比例代表> 11区:200議席 |
500 |   |   |   |
(小選挙区区割画定) | 1994(平6)11.25 (村山富市) |
1996(平8) 9.27 解散 第41回:1996(平8)10.20 |
第1次橋本龍太郎 新選挙制度解散 (小選挙区解散) |
第2次橋本龍太郎 | ||
2000(平成12)年 公選法部分改正 |
2000(平12) 2. 9 (小渕恵三) |
<比例代表> 定数20減 11区:180議席 |
480 | 2000(平12) 6. 2 解散 第42回:2000(平12) 6.25 |
第1次森喜朗 神の国解散 |
第2次森喜朗 |
2002(平成14)年 公選法部分改正 |
2002(平14) 7.31 (第1次小泉純一郎) |
<小選挙区> 区割変更 5増5減 |
480 | 2003(平15)10.10 解散 第43回:2003(平15)11. 9 |
第1次小泉純一郎 マニフェスト解散 |
第2次小泉純一郎 |
2005(平17) 8. 8 解散 第44回:2005(平17) 9.11 |
第2次小泉純一郎 郵政解散 |
第3次小泉純一郎 | ||||
2009(平21) 7.21 解散 第45回:2009(平21) 8.30 |
麻生太郎 追い込まれ解散 |
鳩山由紀夫 | ||||
2012(平24)11.16 解散 第46回:2012(平24)12.16 |
野田佳彦 近いうち解散 |
第2次安倍晋三 | ||||
2012(平成24)年 公選法部分改正 |
2012(平24)11.26 (野田佳彦) |
<小選挙区> 定数5減 1人区:295区 |
475 | |||
(小選挙区区割変更) | 2013(平25) 6.28 (第2次安倍晋三) |
2014(平26)11.21 解散 第47回:2014(平26)12.14 |
第2次安倍晋三 アベノミクス解散 |
第3次安倍晋三 | ||
2016(平成28)年 公選法部分改正 |
2016(平28) 5.27 (第3次安倍晋三) |
<小選挙区> 定数6減 1人区:289区 <比例代表> 定数4減 11区176議席 |
465 | |||
(小選挙区区割変更) | 2017(平29)6.16 (第3次安倍晋三) |
2017(平29)9.28 解散 第48回:2017(平29)10.22 |
第3次安倍晋三 |
第4次安倍晋三 | ||
2021(令3)10.14 解散 第49回:2021(令3)10.31 |
第1次岸田文雄 |
第2次岸田文雄 | ||||
2022(令和4)年 公選法部分改正 |
2022(令4)11.28 (第2次岸田文雄) |
<小選挙区> 区割変更 10増10減 1人区:289区 <比例代表> 定数配分変更 11区176議席 |
465 | 2024(令6)10.9 解散 第50回:2024(令6)10.27 |
石破茂 |
総選挙には,さまざまな機能が期待されているのですが,その1つに議院内の勢力構成の変動による政権交代があるでしょう。特に現行憲法体制のように議院内閣制が採用されていれば,それに対する期待はより大きなものになります。
ところが,実際の総選挙の結果を見ると,これによって政権交代が実現した例(上の表で地色が桃色となっている総選挙)は意外に少ないのがわかります(55年体制の下では言うまでもなく自民党が政権を独占しつづけましたから,本来の意味では政権交代が起きていないのですが,ここでは内閣の交代を擬似的な政権交代として扱います。ただし1980(昭和55)年の第2次大平内閣から鈴木善幸内閣の交代は,前首相の急死によって前内閣を基本的に継承する形で行われたので政権交代とはみなしませんでした)。
むしろ現実には,たとえば第1次森内閣の下で行われた第42回総選挙がそうであったように,選挙前に発足した政権の正統性を問う審判という性格の方が強いのかもしれません。
2003年11月9日に実施された第43回総選挙では,現政権の小泉3党連立内閣の存続か,それとも民主党(を中心とする)菅内閣の誕生か,という政権選択が盛んに喧伝されました。その点では,総選挙に期待された機能を果たしたと言えるかもしれません。
結果は,小泉政権が信任された一方で,政権交代への期待もそれなりに表明された,というあたりでしょうかね。 03.11. 追記
2005年9月11日の第44回総選挙は直接には郵政民営化と小泉首相の政治運営をめぐる自民党内部の分裂・抗争が原因となって衆議院が解散されたことによります。二大政党化が進んでいると言われる中でもう一方の大政党である民主党がめざすような政権交代は起きるのでしょうか。 05.8.14 追記
…と言っていたら,結局政権交代は起こらずに,自民党が思いっきり焼け太った結果に終わりました。 05.9.21 追記
さて,2009年7月21日。前回選挙から4年近くが経過して,現行憲法下で2度目の任期満了も間近になって,ようやく衆議院が解散されました。この間,総選挙を経ずに成立し崩壊した内閣が2つ(安倍晋三内閣,福田康夫内閣)も続き,2008年9月の成立以来,解散・総選挙を既定路線としていたはずの麻生太郎内閣が解散を打つこともできないまま1年近くが経過して,やっとの第45回総選挙。それほどまでに自民党が追い詰められたとして,今度こそ本当の政権交代という声もあります。果たして,麻生太郎内閣は無事に第1次麻生内閣と記録されて第2次麻生内閣へと続くことができるか,それとも50数年ぶりの鳩山内閣発足,つまり政権交代が実現するのか,どういう結果になるのでしょうね。 09.7.23 追記
結局,第2次麻生内閣とはいかず,本当に政権交代が起きました。明治憲法下,大正〜昭和初期の政党政治期も含めて,過去に何度か与野党が入れ替わる政権交代は起きていますが,それは元老(西園寺公望)の「気まぐれ」であったり(もちろん,西園寺はその時々の政治状況を勘案して最も望ましい姿として政友会/民政党間で交互に首相を推薦していたわけですが,彼一人が決定権を事実上独占している限り,結局は彼の「気まぐれ」です),敗戦後の諸制度転換期の幣原→(第1次)吉田→片山という交代をはさんで,現行憲法下では前の内閣が政権を投げ出したのを受けてのことであり,総選挙の結果で政権交代が起きたというのは,1993年の宮沢→細川という政権交代以来今回が2度目,しかも自民党が完膚なきまでに負けて与野党の勢力が完全に逆転した上での政権交代は今回が初めてと言うべきでしょう(政権交代が起きた後の総選挙でそれまでの少数与党が圧勝して与野党の勢力が逆転したことは,昭和初期を含めて過去に何回かあります)。
2度目の鳩山内閣がこの後どのように政治をリードしていくのか,始まったばかりで先は見えないのですが,少なくとも今回の総選挙が歴史的なものであったことは確かでしょう。 09.10.9 追記
その歴史的選挙から3年経ちました。この間、いろいろなことがありましたね。もっと大きなことがたくさん起きているのですが,国内政治の面では総理大臣が2度も変わり,前回選挙=政権交代前の短命内閣3代と合わせて年替り内閣6代,1年任期の学級委員になぞらえれば,小学校の6年間も終わっちゃうそんな長い間,お世辞にも安定しているとは言えないそんな政治状況が続いています。1920〜30年代に続く2度目の二大政党制状態。戦前の二大政党制時代でも,今の民主党とキャラが似ている立憲民政党が1930年の総選挙に圧勝し,政権崩壊後の1932年の総選挙で大敗する,なんてことがありました。今回の総選挙もその再現ということになりそうです。私個人は,今の日本が二大政党制について戦前のそれに次ぐ2度目の失敗をしつつあるように思えてならないのですが,そうならないことを祈るばかりです。
そんなことより当サイト的には,結局この間に選挙区区割りの改定が行われなかった,というのがより重大です。本来であれば2010年の国勢調査結果に基づいて区割りの再編が行われるべきでした。前回,2000年の国勢調査結果に対しては2002年に区割り改定が行われており,それに倣えば今年,2012年に改定が行われるはずでした。しかもこの間に進行した「平成の大合併」によって複数の選挙区にまたがる市区町村が大量に誕生しています(詳しくは こちら)。これは当然整理されるべきでした。そして何より,最高裁で「違憲状態」とされた「1票の格差」の問題。国会は解散前のドサクサに紛れてまさにその解散当日に小選挙区の0増5減を内容とする公選法改正案を成立させましたが,もちろん今回の総選挙には間に合いません。与党の民主党だけでなく,野党の自民・公明その他も含めた国会全体の怠慢です。選挙後,どこが政権与党になっているかわかりませんが,せめて速やかに定数調整も含めた(私は個人的には定数削減に反対です)区割りの改定を行ってほしいものです。 12.11.18 追記
とりあえずドサクサに紛れて成立した小選挙区5減の公選法改正が公布されたけど(11.26),上記の通りもちろん今回の総選挙には間に合わず,新しい区割り画定は選挙後になります。……が,実際のところ,どうなることか。 12.12. 1 追記
さて,その第46回総選挙から2ヵ月経ってしまいましたが,すみません,まだ手許のデータの整理が終わっていません。その辺の整理は追々していくこととして,結局今回の総選挙は大方の予想通り,自民圧勝・民主の壊滅的大敗という結果に終わりましたね。再び本格的な政権交代が実現したという点では,一見,それなりに二大政党制が回り始めたと言えるのかもしれません。しかし今回の民主党の負け方は正に壊滅的でした。これで立ち直れるのかどうか。このまま分裂・解体して民主党が消滅してしまったら,二大政党制そのものが成り立ちません。戦前に続き,今また日本は二大政党制に失敗してしまうのかどうか。次の総選挙までがその分かれ道かもしれませんね。 13. 2.18 追記
というわけで通常国会が終わってみると,結局成立したのは総選挙前のドサクサで成立した0増5減改正の具体的な区割りを定める衆議院小選挙区選出議員の選挙区間における人口較差を緊急に是正するための公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法の一部を改正する法律の一部を改正する法律という長い名前の法律だけでした。おまけに参議院では審議未了・みなし否決ということにして衆議院で再可決という始末。
この次の抜本改正は,あるんでしょうかねえ。詳しくは,当該ページ で。 13. 6.28 追記
いや,何と言うか…。衆議院,解散されちゃいました。上の抜本改正がされることがないままに。本当,国会はこの1年,何をやっていたんでしょうねえ…。 14.11.22 追記
結果は予想通り,与党=自公の圧勝,…と言われているわけですが,実際のところ議席数にして微減の自民。総定数が5減となったので現状維持ではあるのですが,よく見ると意外に勝てていないように思います。民主党は不戦敗が多い割には意外に勝てています。何だかんだ言って,共産党の一人勝ちと次世代の党の一人負けというところでしょうか。 15.1.10 追記
そこで,それぞれの選挙制度によって,具体的にどのような選挙区の区割りが行われてきたかを,以下のそれぞれの表にまとめてみました。
![]() (小選挙区制) |
![]() (大選挙区制) |
![]() (小選挙区制) |
![]() (中選挙区制) |
![]() (大選挙区制) |
![]() (復活中選挙区制) |
![]() (中選挙区制) |
![]() (小選挙区制) |
![]() (小選挙区区割改正) |
![]() (小選挙区区割緊急改正) |
![]() (小選挙区区割改正) |
![]() (小選挙区区割改正) |
2000. 8. 3
2024.10.13 改訂
ISIDA Satosi