衆議院議員選挙制度の変遷


地理データ集 へ戻る

2009年7月21日(火)衆議院がようやく解散され,8月30日(日)第45回衆議院議員総選挙が実施されました。

1889(明治22)年2月11日大日本帝国憲法発布により立憲政体が整備されていく中で,立法機能を担う機関の1つとして帝国議会が設置され(天皇には行政官庁の設置・改廃官吏の任免軍の統帥などの大権に属することがらについて,議会を経ずに勅令を発することができた。また,一般の法律に関しても最終的にそれを裁可するのは天皇であり,結局立法権天皇に属した),議会を構成する両院の1つとして衆議院が置かれました。
社会の上層部の人々の代表によって構成された貴族院に対して,衆議院は字の通り一般の民衆の代表によって構成されるものであり,そのための最初の選挙1890(明治22)年7月1日に実施され,そこで選出された議員による第1議会がその年の11月に開かれました。
以来,大日本帝国憲法(明治憲法)下での天皇の立法権に対する協賛機関としての帝国議会から,日本国憲法下での唯一の立法機関国権の最高機関としての国会へ,議会自身の位置づけが大きく変わる時期をはさみながら衆議院は存続し,100年以上にわたって40数回の総選挙が繰り返されてきたわけです。

この間,衆議院議員の選挙制度には数度にわたって大きな変更がありました。

はじめのうち,選挙権一定の財産をもつ男子にのみ与えられる制限選挙とされていました。その上で,最初の選挙は小選挙区制で行われていました。
1900(明治33)年財産資格の制限が緩和されて選挙権が拡大されました。それと同時に,選挙制度も小選挙区制に変えて府県単位の大選挙区制(ただしの区域は府県から独立した選挙区とされた)となりました。
大正年間に入りデモクラシー(民主主義)の思想が広まると,それまでの制限選挙に代えて国民一般にひとしく選挙権を与える普通選挙を要求する動きが強まりました。そうした中で,1919(大正8)年にとりあえず2度目の選挙権の拡大が行われ,それとともに再び小選挙区制が採用されました。
普通選挙制度を要求する政党勢力がこの小選挙区・制限選挙による総選挙に勝利して普通選挙がようやく実現したのは,1925(大正14)年のことでした。ただし,このとき選挙権を与えられたのは男子のみであり,よく指摘されるように治安維持法という弾圧法律とセットとなるものでした。ともかく,このときに“日本独自の”としばしば形容されてきた中選挙区制が採用されました。
その後,ごく短期間(わずか10年足らず)の政党政治のあと,5・15事件(1932:昭和7年)と2・26事件(1936:昭和11年)とが契機になって急速に政党勢力は後退します。1940(昭和15)年には,弾圧によって壊滅状態にあった共産党を除く全政党が解党して大政翼賛会に合流,翼賛体制が成立しました。そして,日米開戦。その結果が1945(昭和20)年の敗戦だったわけです。

戦後の民主化によって,共産党も含む各政党が復活。占領軍の指示によって衆議院の解散・総選挙(当時の議員は戦時中の1942:昭和17年の翼賛選挙で選出された議員で,当然に軍部の支持により推薦された議員が多数を占めていた)が行われることになり,それに先立って1945(昭和20)年末に選挙制度が変更されました。要点は2つ。1つは,この改正により女子にも選挙権が与えられ,同時に選挙権を得られる年齢が20歳に引き下げられたこと。もう1つは,中選挙区制にかえて大選挙区制・制限連記制が採用されたことです。
この選挙は,公職追放令による立候補予定者の資格審査の後,翌46(昭和21)年4月に行われ,共産党の議席獲得をはじめとする議員構成の大幅な変動が起こりました。
しかし,この選挙制度は政党には批判が多く,新憲法(日本国憲法)体制への移行のための総選挙が1947(昭和22)年4月に行われるのを前に再度改正され,もとの中選挙区制に戻されました。
1950(昭和25)年,それまで衆議院,参議院,地方議会・首長と,それぞれ別個に定められていた選挙法が一本化され,公職選挙法が制定・施行されました。制度そのものは,それぞれそれまでのものがそのまま継承されたので,衆議院議員の選挙は中選挙区制とされ,この制度の下で1955(昭和30)年の保守合同(自民党発足),両社(社会党)統一以後,両党を中心とする55年体制あるいは1ヵ2分の1大政党制とよばれる政治が展開していきました。

大きな転換点は1993年にやってきました。直接には自民党の金権体質への批判が高まり,それをきっかけとする党内抗争と分裂の結果,この年の総選挙で自民党の一党支配体制が崩壊し,結党以来はじめて野党に転落非自民・非共産の8党派による本格的な連立政権45年ぶりに発足しました。そして,政治改革への国民の強い要求を背景に選挙制度の大幅変更が検討され,その結果1994年の2段階にわたる公職選挙法改正を経て導入されたのが,現行の小選挙区・比例代表並立制というわけです。

そこで,これまでの衆議院議員選挙の選挙制度と定数の変遷の概略を下の表にまとめてみました。


選挙法令 公布日
(公布時内閣)
選挙制度 議員定数 総選挙 内閣
前期解散時 選挙後
1889(明治22)年
衆議院議員選挙法
1889(M22) 2.11
(黒田清隆)
小選挙区制
1人区:214区
2人区:43区
単記・記名投票
(2人区は連記)
300 1889(M22)2.11 憲法発布
第1回:1890(M23) 7. 1
第1次山県有朋
1891(M24)12.25 解散
第2回:1892(M25) 2.15
第1次松方正義
1893(M26)12.30 解散
第3回:1894(M27) 3. 1
第2次伊藤博文
1894(M28) 6. 2 解散
第4回:1894(M27) 9. 1
第2次伊藤博文
1897(M30)12.25 解散
第5回:1898(M31) 3.15
第2次松方正義 第3次伊藤博文
1898(M31) 6.10 解散
第6回:1898(M31) 8.10
第3次伊藤博文 第1次大隈重信
1900(明治33)年
改正衆議院議員選挙法
1900(M33) 3.28
(第2次山県有朋)
大選挙区制 369    
1902(明治35)年
同法部分改正
1902(M35) 4. 4
(第1次桂太郎)
北海道(札幌区・小樽区・函館区を除く),沖縄県には未施行
大選挙区制
各府県:2〜12人
市 部:1〜11人
離 島:1人
(1人区:57区)
単記・秘密投票
381
(376)
任期満了
第7回:1902(M35) 8.10
第1次桂太郎
1902(M35)12.28 解散
第8回:1903(M36) 3. 1
第1次桂太郎
1903(明治36)年
勅令105号
1903(M36) 6.29
(第1次桂太郎)
北海道に選挙法施行
(379) 1903(M36)12.11 解散
第9回:1904(M37) 3. 1
第1次桂太郎
任期満了
第10回:1908(M41) 3. 1
第1次西園寺公望
1912(明治45)年
勅令58号
1912(M45) 3.29
(第2次西園寺公望)
沖縄県に選挙法施行
(381) 任期満了
第11回:1912(M45) 5.15
第2次西園寺公望
1914(T3)12.25解散
第12回:1915(T4) 3.25
第2次大隈重信
1917(T6) 1.25 解散
第13回:1917(T8) 4.20
寺内正毅
1919(大正8)年
同法部分改正
1919(T8) 3.26
(原敬)
小選挙区制
1人区:295区
2人区:68区
3人区:11区
単記・秘密投票
464 1920(T9) 2.26 解散
第14回:1920(T9) 5.10
原敬
1924(T13) 1.31 解散
第15回:1924(T13) 2.20
清浦奎吾 第1次加藤高明
1925(大正14)年
改正衆議院議員選挙法(普通選挙法)
1925(T14) 5. 5
(第1次加藤高明)
中選挙区制
3人区:53区
4人区:38区
5人区:31区
単記・秘密投票
466 1928(S3) 1.21 解散
第16回:1928(S3) 2.20
田中義一
1930(S5). 1.21 解散
第17回:1930(S5) 2.20
浜口雄幸
1932(S7). 1.21 解散
第18回:1932(S7) 2.20
犬養毅
1936(S11). 1.21 解散
第19回:1936(S11) 2.20
岡田啓介
1937(S12) 3.31 解散
第20回:1937(S12) 4.30
林銑十郎
食い逃げ解散
第1次近衛文麿
任期1年延長後満了
第21回:1942(S17) 4.30
(翼賛選挙)
東条英機
1945(昭和20)年
同法部分改正
1945(S20)12.17
(幣原喜重郎)
沖縄県に施行せず
大選挙区制
2〜14人区
制限連記
秘密投票
468
(466)
1945(S20)12.18 解散
第22回:1946(S21) 4.10
幣原喜重郎
終戦解散
(GHQ解散)
第1次吉田茂
1947(昭和22)年
同法部分改正
(新憲法体制下)
1947(S22) 3.17
(第1次吉田茂)
中選挙区制
3人区:40区
4人区:39区
5人区:38区
単記・秘密投票
466 1947(S22) 3.31 解散
第23回:1947(S22) 4.25
第1次吉田茂
新憲法解散
片山哲
1948(S23)12.28 解散
第24回:1949(S24) 1.23
第2次吉田茂
なれ合い解散
第3次吉田茂
1950(昭和25)年
公職選挙法
1950(S25) 4.15
(第3次吉田茂)
中選挙区制
同上
1952(S27) 8.28 解散
第25回:1952(S27)10. 1
第3次吉田茂
抜き打ち解散
第4次吉田茂
1953(S28) 3.14 解散
第26回:1953(S28) 4.19
第4次吉田茂
バカヤロー解散
第5次吉田茂
1953(昭和28)年
奄美復帰法
1953(S28)11.16
(第5次吉田茂)
奄美群島区:1人区 467 1955(S30) 1.24 解散
第27回:1955(S30) 2.27
第1次鳩山一郎
天の声解散
第2次鳩山一郎
1956(昭和31)年
公職選挙法改正案

審議未了 廃案
1956(S31) 3.19
内閣提出法案
(第3次鳩山一郎)
小選挙区制
1人区:457区
2人区:20区
(497) 1956(S31) 第24回通常国会
3.19 法案提出
5.19 衆議院:修正可決
6. 3 参議院:審議未了
   
        1958(S33) 4.25 解散
第28回:1958(S33) 5.22
第1次岸信介
話し合い解散
第2次岸信介
1960(S35)12.24 解散
第29回:1960(S35)11.20
第1次池田勇人
安保解散
第2次池田勇人
1963(S38)10.23 解散
第30回:1963(S38)11.21
第2次池田勇人
所得倍増解散
(ムード解散)
第3次池田勇人
1964(昭和39)年
公選法部分改正
1964(S39) 7. 2
(第3次池田勇人)
1人区:1区
3人区:43区
4人区:39区
5人区:40区
19議席増
486 1966(S41)12.27 解散
第31回:1967(S42) 1.29
第1次佐藤栄作
黒い霧解散
第2次佐藤栄作
1969(S44)12. 2 解散
第32回:1969(S44)12.27
第2次佐藤栄作
沖縄解散
第3次佐藤栄作
1970(昭和45)年
沖縄住民の国政参加特別措置法
1970(S45) 5. 7
(第3次佐藤栄作)
沖縄全県区:5人区
(議席復活)
491 沖縄国政参加選挙
1970(S45)11.15
第3次佐藤栄作
1971(昭和46)年
沖縄復帰法
1971(S46)12.31
(第3次佐藤栄作)
同上 1972(S47)11.13 解散
第33回:1972(S47)12.10
第1次田中角栄
日中解散
第2次田中角栄
1975(昭和50)年
公選法部分改正
1975(S50) 7.15
(三木武夫)
1人区:1区
3人区:47区
4人区:41区
5人区:41区
20議席増
511 任期満了
第34回:1976(S51)12. 5
三木武夫
ロッキード選挙
福田赳夫
1979(S54) 9. 7 解散
第35回:1979(S54)10. 7
第1次大平正芳
増税解散
(一般消費税解散)
第2次大平正芳
1980(S55) 5.19 解散
第36回:1980(S55) 6.22
(衆参同日選挙)
第2次大平正芳
ハプニング解散
鈴木善幸
1983(S58)11.28 解散
第37回:1983(S58)12.18
第1次中曽根康弘
田中判決解散
第2次中曽根康弘
1986(昭和61)年
公選法部分改正
1986(S61) 5.23
(第2次中曽根康弘)
1人区:1区
2人区:4区
3人区:42区
4人区:39区
5人区:43区
6人区:1区
8増7減
512 1986(S61) 6. 2 解散
第38回:1986(S61) 7. 6
(衆参同日選挙)
第2次中曽根康弘
死んだふり解散
第3次中曽根康弘
1990(H2)1.24 解散
第39回:1990(H2) 2.18
第1次海部俊樹
消費税解散
第2次海部俊樹
1991(平成3)年
公職選挙法改正案

審議未了 廃案
1991(H3) 8. 5
内閣提出法案
(第2次海部俊樹)
小選挙区・
比例代表並立制

<小選挙区>
1人区:300区
<比例代表>
47区(各都道府県):
171議席
(471) 1991(H3) 第121回臨時国会
8. 5 法案提出
10. 4 衆議院:審議未了
   
1992(平成4)年
公選法部分改正
1992(H4)12.16
(宮沢喜一)
2人区:8区
3人区:39区
4人区:34区
5人区:46区
6人区:2区
9増10減
511 1993(H5) 6.18 解散
第40回:1993(H5) 7.18
宮沢喜一
政治改革解散
細川護煕
1994(平成6)年
公選法部分改正
1994(H6) 2. 4
(細川護煕)
小選挙区・
比例代表並立制

<小選挙区>
1人区:300区
<比例代表>
11区:200議席
500     
(小選挙区区割画定) 1994(H6)11.25
(村山富市)
1996(H8) 9.27 解散
第41回:1996(H8)10.20
第1次橋本龍太郎
新選挙制度解散
(小選挙区解散)
第2次橋本龍太郎
2000(平成12)年
公選法部分改正
2000(H12) 2. 9
(小渕恵三)
<比例代表>
11区:180議席
20議席減
480 2000(H12) 6. 2 解散
第42回:2000(H12) 6.25
第1次森喜朗
神の国解散
第2次森喜朗
2002(平成14)年
公選法部分改正
2002(H14) 7.31
(第1次小泉純一郎)
<小選挙区>
区割変更
5増5減
480 2003(H15)10.10 解散
第43回:2003(H15)11. 9
第1次小泉純一郎
マニフェスト解散
第2次小泉純一郎
2005(H17) 8. 8 解散
第44回:2005(H17) 9.11
第2次小泉純一郎
郵政解散
第3次小泉純一郎
2009(H21) 7.21 解散
第45回:2009(H21) 8.30
麻生太郎
(  )
鳩山由紀夫
※第22回総選挙以降の選挙通称は朝日新聞(カッコ内は読売新聞)による

総選挙には,さまざまな機能が期待されているのですが,その1つに議院内の勢力構成の変動による政権交代があるでしょう。特に現行憲法体制のように議院内閣制が採用されていれば,それに対する期待はより大きなものになります。
ところが,実際の総選挙の結果を見ると,これによって政権交代が実現した例(上の表で地色が桃色となっている総選挙)は意外に少ないのがわかります(55年体制の下では言うまでもなく自民党が政権を独占しつづけましたから,本来の意味では政権交代が起きていないのですが,ここでは内閣の交代擬似的な政権交代として扱います。ただし1980(昭和55)年第2次大平内閣から鈴木善幸内閣の交代は,前首相の急死によって前内閣を基本的に継承する形で行われたので政権交代とはみなしませんでした)。
むしろ現実には,たとえば第1次森内閣の下で行われた第42回総選挙がそうであったように,選挙前に発足した政権の正統性を問う審判という性格の方が強いのかもしれません。

2003年11月9日に実施された第43回総選挙では,現政権の小泉3党連立内閣の存続か,それとも民主党(を中心とする)菅内閣の誕生か,という政権選択が盛んに喧伝されました。その点では,総選挙に期待された機能を果たしたと言えるかもしれません。
結果は,小泉政権信任された一方で,政権交代への期待もそれなりに表明された,というあたりでしょうかね。 03.11. 追記

2005年9月11日の第44回総選挙は直接には郵政民営化小泉首相の政治運営をめぐる自民党内部の分裂・抗争が原因となって衆議院が解散されたことによります。二大政党化が進んでいると言われる中でもう一方の大政党である民主党がめざすような政権交代は起きるのでしょうか。
05.8.14 追記

…と言っていたら,結局政権交代は起こらずに,自民党が思いっきり焼け太った結果に終わりました。 05.9.21 追記

さて,2009年7月21日。前回選挙から4年近くが経過して,現行憲法下で2度目の任期満了も間近になって,ようやく衆議院が解散されました。この間,総選挙を経ずに成立し崩壊した内閣が2つ(安倍晋三内閣,福田康夫内閣)も続き,2008年9月の成立以来,解散・総選挙を既定路線としていたはずの麻生太郎内閣が解散を打つこともできないまま1年近くが経過して,やっとの第45回総選挙。それほどまでに自民党が追い詰められたとして,今度こそ本当の政権交代という声もあります。果たして,麻生太郎内閣は無事に第1次麻生内閣と記録されて第2次麻生内閣へと続くことができるか,それとも50数年ぶり鳩山内閣発足,つまり政権交代が実現するのか,どういう結果になるのでしょうね。 09.7.23 追記

結局,第2次麻生内閣とはいかず,本当に政権交代が起きました。明治憲法下,大正〜昭和初期の政党政治期も含めて,過去に何度か与野党が入れ替わる政権交代は起きていますが,それは元老(西園寺公望)の「気まぐれ」であったり(もちろん,西園寺はその時々の政治状況を勘案して最も望ましい姿として政友会/民政党間で交互に首相を推薦していたわけですが,彼一人が決定権を事実上独占している限り,結局は彼の「気まぐれ」です),敗戦後の諸制度転換期の幣原→(第1次)吉田→片山という交代をはさんで,現行憲法下では前の内閣が政権を投げ出したのを受けてのことであり,総選挙の結果で政権交代が起きたというのは,1993年の宮沢→細川という政権交代以来今回が2度目,しかも自民党が完膚なきまでに負けて与野党の勢力が完全に逆転した上での政権交代今回が初めてと言うべきでしょう(政権交代が起きた後の総選挙でそれまでの少数与党が圧勝して与野党の勢力が逆転したことは,昭和初期を含めて過去に何回かあります)。
2度目の鳩山内閣がこの後どのように政治をリードしていくのか,始まったばかりで先は見えないのですが,少なくとも今回の総選挙が歴史的なものであったことは確かでしょう。
09.10.9 追記

ところで,どのような選挙制度を採用するにせよ,選挙を行うためには全国をいくつかの選挙区に区分することが必要です(首長や市町村議会,あるいは参議院の比例代表区や以前の全国区のように対象区域全体を1つの選挙区とすることもありますが)。
その際には当然,投票権の平等の原則によって,人口を最大限に考慮した選挙区が画定されることになります。しかし,その区割りからは恣意性が排除されなければならないから,結局はある程度それまでの地域的なまとまりも同時に区割り画定の際の重要な考慮点となります。
したがって,そのようにして画定された選挙区の区割りから,「地域をどう区分するか」という点で興味深いデータが得られるかもしれません。

そこで,それぞれの選挙制度によって,具体的にどのような選挙区の区割りが行われてきたかを,以下のそれぞれの表にまとめてみました。


1890年:第1回総選挙
(小選挙区制)
1900年:第1次拡大
(大選挙区制)
1919年:第2次拡大
(小選挙区制)
1925年:普通選挙法
(中選挙区制)
1946年:戦後第1回
(大選挙区制)
1947年:新憲法準備
(復活中選挙区制)
1950年:公職選挙法
(中選挙区制)
1994年:改正公選法
(小選挙区制)
 2002年:改正公選法
(小選挙区区割改正)

中選挙区制定数の変遷

旧中選挙区/現行小選挙区 市区町村別対照表 09.7.29 改訂

衆議院総選挙(第41回以降)選挙区別議席獲得政党 09.10.9 改訂

参議院通常選挙 地方区/選挙区当選者所属政党

第3次鳩山内閣小選挙区案
第2次海部内閣小選挙区案


地理データ集 へ戻る

地理のページ へ戻る

2000. 8. 3
2009.10. 9 改訂
ISIDA Satosi